Sing A Song

2002年08月07日(水) 火刑に処される日。









彼らが最期に目にした光景は、如何様なものだっただろうか?












下界に戻ってきた途端、暑さにやられました。
勉強も手につかず、資料収集がてら図書館に。


哲学の棚でふと足を止め。
カルトについての本を手に取って読んでみました。


私は、宗教にこだわらない人間です。
宗教の対立という問題も、理解できません。

もしかしたら、こだわらない、ということ自体、別の何かがはたらいているのかもしれませんが。
実際、変なところにこだわりを持っているので。


数年前……小学校の何年生だったかな……
私はエホバの研究生でした。

といっても、親がエホバの証人だったというわけではなく。
訪問に来た女性と親しくなったことから、聖書の勉強が始まりました。

結構……長く続いたなぁ……1年くらいかな?
まあ、1年といっても週1回家で1、2時間という程度でしたが。

面白かったですよ。
非現実的といってしまえばそれまでですが。
世界の創世、神の意志、楽園、エホバの証人としての在り方。
そういう世界観を勉強する事は、無駄ではなかったと思ってます。

そのころから現実的だった私は、揚げ足取りばかりしてましたがねー。(笑)

でも、それはそれで良かったのかもしれない、と。
一番印象に残っているのが、進化論を否定された時ですかね。
覚えたてだったんだか、なんだったんだか。
それが絶対だと思っていたものを、簡単に否定されたというのは、結構強烈に覚えてます。

その時、子供の心理はどう働いたんだか……ま、結果はこんな人間に育ってますが。


その女性は、その後結婚されて、家に葉書が届きました。
元気かなぁ……

勉強はそれっきりです。
『ものみの塔』も『目覚めよ!』も話題が難しすぎて、一人では読めなかったんです。
ただ、その人に貰った『若い人』という本は、たまに開いたりするのですが。
それは、やはり共感できる部分があるからです。
ただ、共感できない部分も勿論あって。

その発展したものが、その本に書いてあったような問題になるんだろうかなー、と。
ふと思いました。


私の友人はエホバの証人です。
宣教師になるのだと、言っていました。
素敵な夢だと思っています。
信念を貫く姿はとてもカッコイイ。


彼女も、あの、教えてくれた女性も。
私にとっては、ごく普通の、そしてとても優しい人です。
そして、大切な友人の一人です。
全ての人が、あそこまで暴力的、威圧的だとは考えたくありません。
コレも、結局はエゴでしょうが。


ただ、ある意味で、私は神を信じていません。
そういう話を読んだり聞いたりするのは好きですが。
神父さんや、お坊さんの説教なども、それなりに好きです。

でも、どんな事に関しても、押し付けられることには、猛反発します。
私自身、断言する事はしょっちゅうですが、断言される事を善しとしていません。
それも、もしかしたら、研究生時に培われた感覚なのかもしれませんが。
……といえば、聞こえはイイですが、結局は自己中なのかも……(苦笑)

私は、私が共感すべきと感じた事に、共感するだけです。


ある意味で、とは、宗教によって違う神々に関して、ですかね。
この世に存在している神について、信じていない、んでしょうか。
宗教は、人が作ったもの、というイメージが、どうしても根底にあるからです。
……世界史勉強すると、人間偏ってヒネクレます。
よろしくない傾向です……って、私だけか……


それは、全ての宗教、信者に対する侮辱かもしれません。
冒涜、という言葉がふさわしい、かも。


ただ、人の言葉には、どうしても主観が入ると思います。

人が教えを説き、それに共感する人がいる。
それは、けして悪くない。

ただ、それが、『神』のものかどうか。



神は人の上に人を作らず。
人の下に人を作らず。



神はいるかもしれない。
ただ、神は私達に何かしてくれることはない。
人を選びもしない。
祝福もしない。


何事も、求めなければ得られない。
しかし、信じれば救われる、などと、信じる事はできない。


人を差別する。
好き嫌いをいう。
そんなのは、人の感情であって、それ以外のなにものでもありえない。
だからこそ、神がそんなことをするはずがない。





たかだか、18年そこら生きただけの小娘の戯言です。
矛盾は多々あるでしょう。

少し、自分の宗教観というものを考えてみました。








私の処刑日には、是非とも青い空に、見えぬ星を探したいものだと、思う。
その時は、どうか。


私、でいられますように。





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