彼らが最期に目にした光景は、如何様なものだっただろうか?
下界に戻ってきた途端、暑さにやられました。 勉強も手につかず、資料収集がてら図書館に。
哲学の棚でふと足を止め。 カルトについての本を手に取って読んでみました。
私は、宗教にこだわらない人間です。 宗教の対立という問題も、理解できません。
もしかしたら、こだわらない、ということ自体、別の何かがはたらいているのかもしれませんが。 実際、変なところにこだわりを持っているので。
数年前……小学校の何年生だったかな…… 私はエホバの研究生でした。
といっても、親がエホバの証人だったというわけではなく。 訪問に来た女性と親しくなったことから、聖書の勉強が始まりました。
結構……長く続いたなぁ……1年くらいかな? まあ、1年といっても週1回家で1、2時間という程度でしたが。
面白かったですよ。 非現実的といってしまえばそれまでですが。 世界の創世、神の意志、楽園、エホバの証人としての在り方。 そういう世界観を勉強する事は、無駄ではなかったと思ってます。
そのころから現実的だった私は、揚げ足取りばかりしてましたがねー。(笑)
でも、それはそれで良かったのかもしれない、と。 一番印象に残っているのが、進化論を否定された時ですかね。 覚えたてだったんだか、なんだったんだか。 それが絶対だと思っていたものを、簡単に否定されたというのは、結構強烈に覚えてます。
その時、子供の心理はどう働いたんだか……ま、結果はこんな人間に育ってますが。
その女性は、その後結婚されて、家に葉書が届きました。 元気かなぁ……
勉強はそれっきりです。 『ものみの塔』も『目覚めよ!』も話題が難しすぎて、一人では読めなかったんです。 ただ、その人に貰った『若い人』という本は、たまに開いたりするのですが。 それは、やはり共感できる部分があるからです。 ただ、共感できない部分も勿論あって。
その発展したものが、その本に書いてあったような問題になるんだろうかなー、と。 ふと思いました。
私の友人はエホバの証人です。 宣教師になるのだと、言っていました。 素敵な夢だと思っています。 信念を貫く姿はとてもカッコイイ。
彼女も、あの、教えてくれた女性も。 私にとっては、ごく普通の、そしてとても優しい人です。 そして、大切な友人の一人です。 全ての人が、あそこまで暴力的、威圧的だとは考えたくありません。 コレも、結局はエゴでしょうが。
ただ、ある意味で、私は神を信じていません。 そういう話を読んだり聞いたりするのは好きですが。 神父さんや、お坊さんの説教なども、それなりに好きです。
でも、どんな事に関しても、押し付けられることには、猛反発します。 私自身、断言する事はしょっちゅうですが、断言される事を善しとしていません。 それも、もしかしたら、研究生時に培われた感覚なのかもしれませんが。 ……といえば、聞こえはイイですが、結局は自己中なのかも……(苦笑)
私は、私が共感すべきと感じた事に、共感するだけです。
ある意味で、とは、宗教によって違う神々に関して、ですかね。 この世に存在している神について、信じていない、んでしょうか。 宗教は、人が作ったもの、というイメージが、どうしても根底にあるからです。 ……世界史勉強すると、人間偏ってヒネクレます。 よろしくない傾向です……って、私だけか……
それは、全ての宗教、信者に対する侮辱かもしれません。 冒涜、という言葉がふさわしい、かも。
ただ、人の言葉には、どうしても主観が入ると思います。
人が教えを説き、それに共感する人がいる。 それは、けして悪くない。
ただ、それが、『神』のものかどうか。
神は人の上に人を作らず。 人の下に人を作らず。
神はいるかもしれない。 ただ、神は私達に何かしてくれることはない。 人を選びもしない。 祝福もしない。
何事も、求めなければ得られない。 しかし、信じれば救われる、などと、信じる事はできない。
人を差別する。 好き嫌いをいう。 そんなのは、人の感情であって、それ以外のなにものでもありえない。 だからこそ、神がそんなことをするはずがない。
たかだか、18年そこら生きただけの小娘の戯言です。 矛盾は多々あるでしょう。
少し、自分の宗教観というものを考えてみました。
私の処刑日には、是非とも青い空に、見えぬ星を探したいものだと、思う。 その時は、どうか。
私、でいられますように。
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