直せる機械と直せない機械。

 機械式時計が好きです。
 理由はいろいろあります。
 歯車の音が好きだということ。
 職人芸の塊だということ。
 針の進み方が連続しているということ。
 そして、壊れても直せる機械であるということ。

 最近の機械って、直せないものが多い気がします。
 集積回路を使っている電子機器なんかは特にそうです。
 直す、という名目で、交換しているものがほとんどです。
 修理に出して、返ってきたものが、前と同じものであることはほとんど無い。
 理由は簡単です。
 直すより、交換する方が、簡単で安上がりだから。
 それは確かにそうなのだろうけれど。

 だけど、記念品としての機械というものがあると思います。
 人からもらったもの。人にあげたもの。そのほか、いろいろと。
 そういう記念品というのは、交換したら意味が無くなると思うのです。
 いや、それは持つ人の考え方ひとつなのだろうけれども、少なくとも、僕は思えない。

 機械時計というのは、けっこう壊れます。
 テンプとか、ゼンマイとか。
 メンテナンスをきっちりしていないと、歯車が目詰まりして止まったり。
 だけど、その部分だけを交換すれば、立派に動作は正常に戻ります。
 まるで、人の身体が、日々新しい細胞へと入れ替わっていくかのように。
 中身の一部分だけを、的確に修正してあげれば、いつまでだって使える。
 これが、クォーツ時計にはない、機械時計の一番の魅力だと思うのです。
 もちろん、クォーツだって、電池を替えればだいぶ長持ちします。
 中身の基盤を総入れ替えすれば、いつまでだって使えるかもしれません。
 でも、それはなんか違う気がするのですよ。
 これが、マニアのこだわり、というものなのかもしれません。
 もっとも、僕はまだ、マニアと自称するにはあまりにもヒヨッコすぎますが(笑)。
2005年07月10日(日)

日々 / いけだ