ココを見ておくれ
こ〜んなニュースがあったのね。 ビックリです。っつーか、なんじゃこりゃ?という気分です。
どうしてホイホイついていくかなぁ・・・と。
ネットカフェで知り合った程度の人なわけでしょ? そんな人にいきなり「バイト紹介するよ」と言われたって、胡散臭いに決まってるじゃん。 それだけ自分が「バイトを任せられるほど仕事が出来そうで、会ったばかりの人にも信頼されてしかるべき魅力に溢れている」とでも思っているのだろうか? おめでたいな、そうだとしたら(苦笑)。 それとも、それほど就職事情が厳しいのか?中国は。
以前働いていた会社の、子会社の先輩が言っていた。
「昔は、営業といえば一軒一軒の会社を回り、相手を見て直に話し、それで信頼を得た上で仕事をモノにするものだった。しかし、電話ができたことで足を運ばずに済むようになり、顧客と営業の間から顔を奪った。そして今、電子メールの普及によって、顧客と営業の間から声をも奪っている」
・・・と。 なるほど〜と思いました。
人と人との付き合いに、生身の部分が無いものを、果たして交流と呼べるだろうか? 確かに便利ではあるし、ツールとしては重宝するけれど、やはり貰って嬉しいのはEメールよりも手書きの手紙だし、よりお互いを知り合うことができるのは、PCの画面上で交わされる会話よりも、実際に会ってする会話だと思う。
なぜなら、PC上の会話なら、なんとでも言える上に、こっちも受け取りたいように勝手に受け取れてしまえるからだ。 見えていれば(または聞こえていれば)嘘を言われているときに「嘘かな?」と感じることもできるが、顔も声も遮断された状態では、そういうわけにも行かない。 ましてや、言葉が足りないだけで誤解されがちな人なんか、貧乏くじを引かされることだろう。 声や表情のもつ繊細さは、やはりPC上では伝わらないのが現実だ。
最近ネットで心中相手を探して実行する事件が数件あったが、結局はそれも、全員が全員PCを壁にしてテニスで言うところの壁打ちをしていたようなものだと思う。 自分の打った球を、ある程度思った通りに返してくれる壁(人)ならば、誰でもよかったのでは?・・・・と。
で、最初の話に戻る。
ネットカフェで知り合った人に、そのまま拉致されて拷問の末殺される。
・・・・なんで実際に会ってんのに、ひっかかるんだよ・・・(ため息)。
別にこの人たちがネットカフェで知り合ってるから言うわけじゃないけど、どうしても
「自分のいいように他人を解釈することがクセになっちゃったんじゃないの?」
・・・と思う。 自分をさも評価してくれたかのような人を、すぐに信じちゃったわけでしょ? もしも、被害者達が「自分を本当に評価してくれている人」を知っていたら、会ってすぐの人になにを言われても「アンタになにが分かる?」と思うのではなかろうか。「俺ってそんなに簡単に分かられちゃうような人間なのか?」とも。
人に信じてもらうのにも、人を信じるのにも、それ相当の努力が伴うものなのではなかろうか?
“No pain, no gain.”
という言葉にもあるように、実のある収穫には辛さが伴うものだ。ちょっとマゾヒスティックな言葉だなとも思うけれど(笑)、深いな・・・とも思う。 そういう意味では、足で稼いで売り上げをあげていた昔の営業さんは、きっと営業成績があがったときに、すごく嬉しかったんだろうな・・・などとも考えてしまいます。
てなわけで、結論。
年賀状にはちゃんと手書きのメッセージをつけようね♪
そういうオチかい!
オソマツ(^^;)。
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