あれこれ雑記帳

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2007年08月14日(火) 語り継ぐべきモノ

今日は午前中はお仕事。いいなぁ〜みんな休みで(;´д` )
午後から母方の親戚が4人、父の新盆と言う事でお線香を上げに来て
くれると言うので、ユータもそれに合わせて帰って来た。

妹一家も来て一緒に昼食。まぁ賑やかだ事(笑)
ユータやヒロに妹の子供達が群がって「遊園地の遊具と間違ってるんじゃ?」
と叔父や叔母が爆笑していたよ。
もう、殆どブランコや滑り台と同等の扱いを受けていたし^^;

まだちょっと顔の腫れが残るヒロは辛そうだったけれど文句の一つも言わない。
いや、言えない・・・だね。ありゃ。
それから実家にてお茶を飲みながら昔話。

色々話をしていくうちに母の子供の頃の話になっていったんだわ。
母は小学校に上がる歳に終戦を迎えているので、朧気ながら東京大空襲の
記憶やら、学童疎開の記憶やらが残っているらしい。

「子供心に『怖いなぁ』と思ったけれど、気が付いた時にはそう言う状態
だったから、その環境に不満を持つとか不思議に思う事は無かった」
そうだ。

母の長兄である伯父はすでに小学校高学年だったので色々覚えていて
学童疎開が辛かった事。疎開先にもB29が飛来して、更に奥地に送り込まれて
もう東京には帰れないと思った事。
戦争が終わって家に帰る時に疎開先の人がおにぎりを持たせてくれたけれど
勿体無くて食べられなくて家まで持ち帰ったら夏場で半日以上汽車に
揺られていたからご飯が傷んでいて食べられる状態では無かった事。

でも、赤ん坊だった妹(叔母)の為にそのご飯を良く洗って重湯を作って
飲ませた事・・・

私は初めて聞く様な話ばかりだった。
そして、私が19の時に癌で他界した母の父、祖父の戦争体験を
伯父が語り始めたのだけれど、これは母も初めて聞くと言っていた。

通信兵だった祖父は最初に送られた土地は中国だったそうだ。
中国では食料がとても不足していて、弱肉強食の世界で、祖父が初めて
人の命を殺めたのがその地であった事。
それも家畜の豚を現地の人から奪う為であった事。

食べる物が無く、どうにもならない状態になり追い詰められた祖父達は
豚の飼い主を襲ったそうだ。でも支給されている銃ではどうしても殺す事が
出来ず、紐を使って首を絞めたと・・・。

戦争が終わってから、祖父はとうとう一度も豚肉を口にした事が無かったそうだ。
確かに豚肉が大嫌いであった記憶はあるけれど「臭いから嫌い」と
私や周りの人間には口にしていたのに。そんな過去があったんだ。
母も「それでお父さん絶対に豚肉を食べなかったんだ」と驚いていた。

祖父が中国から引き上げて来て、2度目の召集令状が来た時には家族一同
「もうだめだろう」と覚悟を決めていたそうだ。
送られる地が南方の島と決まっていたから。

ところが、祖父達を迎えに来る船が2船続けてアメリカ軍に撃墜され
太平洋に沈んでしまい、そのまま次の迎えの船が来る事無く終戦となったそうだ。

何時も穏やかで決して声を荒げる事も無く、甘い物と猫が大好きだった祖父。
そんな過去があったなんて。

ちょうどその話を聞いている時、子供達は2階でテレビゲームに興じていた。
是非に話を聞かせたくて、子供を呼んで来るから待っていて・・・と
伯父に頼んだら「まだこの話は聞かせなくていいよ。もう少し色々な事が
わかる大人になったら・・・色々な事が考えられる大人になってから
お前達が話してあげればいいよ」と言われた。

そうなのか・・・?そうなのかなぁ・・・?
私達からより、伯父から聞かせて欲しいと思ってしまうけれど。

明日は終戦の日。
戦争と言うものがもたらすモノは何か。良く考えなくちゃいけないね。



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