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re-invention



 自分の中で納めきれないものが

午前中は部活動。
限られた時間の中,何を学ばせるのか。
ただ鍛えるのではなく,
主体として納得のいくものを育てたい。
きちんと伝えて練習をしたい。

わかっていてもできないのが人間。
そこをどう突破するのか。
これが当たりくじだと言っても,
それを引かないという表現はよくわかる。
自分もそうだった。
今だってそんな部分がある。
それをどう変えていくのか。
可能性は無限大の生徒達と関わっている醍醐味を,
もっと感じなくては。

明日はいよいよ新チームになっての初めての大会。
どんな結果になるのか。

午後,評価関係のことを少しだけ手を付ける。
やるべきことがまだまだある。


夜は,岡本先生宅へ。
いつも教わることがたくさん。
研究会の在り方について,
自分なりに感じていることを岡本先生に聞いてみた。
それには直接答えられず,もっと大きな回答をいただく。
学力テストで評価される。生徒の学力差はある。学習差も。
現実に対応しなくてはいけない。
でも,現実に対応すればそれでいいのか。
現実と理想の間で,道折り合いを付けるのか。

「生徒が「数学する」と言うが,それは局所にすぎない」
と言われたことがある。
文字にしても,確かに全部を学ぶわけではない。
でも自分は局所ではなく,部分だと思っている。
部分には全体の投影がある。
部分だけれど,全体に関わる。だから意味がある。
教育も部分だ。でもそれが人間ではないか。
いろいろな理論を振り回しても,
その人にとって,どう変わったのか。
主体としての自分がいたかどうかが肝心。
これってどんな価値があるんですか?
自分の課題を持っていることが大事。

芸術は,あらゆるものが問いを発している。
だからハッとする。
自分の中で納めきれないものが芸術にはある。
問いを発しているものの凄さ

「クリエイティブであること」という言葉も何度か出されるが,
恥ずかしながら,
岡本先生の目指す世界と,自分の考えている世界がどう違うのかも,
よくわからないまま。


この夏読んだ,山田ズーニー氏の話を出すと,
知っておられる先生がいて,
しかも何と女性だとのこと。意外!!
だから何だというわけではないが,なるほどと思える部分も。


何のためのVoyageだったのかを問い直す。
自分で操作することの凄さだったはず。
だとしたら,もっとそれをやらせるべきではないのか。
例えば,角度の問題にしてもそうだ。
それを見せてお終いではなくて,主体として動かして,
変化しない関係を見せ,体感させなくては。

2006年08月25日(金) 運動不足を痛感
2005年08月25日(木) 最後は人間
2004年08月25日(水) 部品交換でリフレッシュ


2007年08月25日(土)
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