■幸せのかけら / りゅーな■
■2003年02月09日(日) 原点回帰というか何というか。

最近、古いゲームの移植とか、古い曲のカバーとか、やたら多いですね。
もしかして、この世の中は行き詰まってきているのではない?

初期のFFやDQのGBAへの移植、平井堅の「大きな古時計」や椎名林檎のアルバム、やたらハジけてる「送る言葉」。
行き詰まって、過去に何かを求めている?
未来に何かを望むことはやめ、過去を魅力的な言葉で誤魔化し、そしてそれを求めてはいないか?

後から生まれたものは、過去に生きた者達の詰み上げてきた、そのなにかに押し潰されていると思うのは間違いでしょうか?
作られてきたもの、それに共通する何かは「御約束」とされて。
それを踏まなければならない、でも踏み過ぎてはいけない。 つまらないと一蹴されてしまうから。

新しいものを求めても、所詮は積み重ねられてきた過去のカケラでしかない。
過去が積まれれば積まれるほど、新しいとされるものは見つからなくなる。
何故なら、膨大に積まれた過去の中には、新しいと思って考え出したものも、既に存在してしまっているからだ。

だから、その過去に飲まれるしかなくなったのでしょう?
その下らない約束なんてカケラも踏まずに、いっそハチャメチャに生きたくとも、それはきっと不可能な話だと。
諦めて、過去の山からキレイなものを拾い集め、自らのものと思い込もうとしたり。

いや、それでも、ただの壊れた音やストーリーを、新しいのだと思い込んでは行けない。
過去に縋るのも、壊れるよりはマシかもしれない。


なんだかんだ、過去に名作が転がってるのも事実。
だから未来よりも、過去の甘さに浸ってしまうのでしょう。
不安ばかりの現在を越えなきゃ、未来なんてないもの。
それだったら、苦労なんてしないで過去に縋る方がよっぽど、イイよ…


纏まらねえ。

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