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2013年07月23日(火) 邇保姫神社

邇保姫神社(にほひめじんじゃ)と言うのは広島市南区西本浦町の黄金山の麓にある小さな神社である。

当時の仁保島(現在の黄金山)に神功皇后が放った矢が当たった。この矢を御神体としてこの地に鎮守したのが始まりとされているらしい。

原爆で被爆したものの、比治山の陰に隠れていたこと、爆心から距離があったことなどから、5年ほど前までは享保年間と言うから1700年代前半に再建されたままの状態で残っていた。ひっそりとした寂しい神社であったが、私にとっては思い出深い神社であるが、2007年に出火し拝殿・本殿ともに全焼してしまったそうだ。

今振り返ってみると古墳時代以前からの由緒正しい立派な神社である。
しかし、私にとっては、広島に住んでいた小学生のころの楽しい遊び場の一つとしてであった。

神社の入り口の近くには、子供たちのたまり場の駄菓子屋さんがあり、夏になると半兵衛庭園と言う庭園に付属のプールで遊んだことも思い出す。その先には野球やサッカーもできるほどの広い広場(と言っても子供の遊びレベルならばと言う意味で、本格的なグラウンドではないが)のある公園もあった。
だが、一番の思い出は邇保姫神社である。

毎朝、父に連れられてお参りにも行った。
神社の敷地に入いると石の狛犬が出迎えてくれる。鳥居をくぐって両側の石灯籠を眺めながら先へ進むと、傾斜のきつい100段の石の階段が目の前に迫る。
うっそうと茂る林の間の階段を子供の足で一気に駆け上がると、比較的新しい社務所が正面に見える。右手にある古いがしっかりした作りの拝殿と本殿は、子供の目に、心なしか寂しいく映った。
父からもらった5円玉を賽銭箱に投げ入れ、今日一日の無事を祈って家に戻るのが、小学生のころの毎朝の週刊だった。

学校が終わると、遊ぶ約束がなくても邇保姫神社に行くと誰かしらと遊ぶことができた。
石段の手前で鬼ごっこやかくれんぼ、ケイカン(ケイカンとドロボウのふたチームに分かれて行う鬼ごっこ)や缶けりなどして遊んだ。石段の手間の広場にも木々がはえていて隠れる場所はそれなりにあるが、隠れる場所が豊富なのは石段の両サイドにある林の中だ。それなりに手入れはされているのだろうが、それにしても自然に近い林である。それなりに過酷な遊び場である。
遊び疲れると神社の目の前にある小さな駄菓子屋に50円玉を握りしめておやつを買いに走る。子供好きだと思われるおばあさんが嬉しそうに僕たちやんちゃな子供の相手をしてくれる。
そしてまた神社で日が暮れるまで遊んだ。

神社のすぐ横に同級生の友達の家があった。家業の看板屋の二階がその同級生の自宅だったが、看板屋の店先で麦茶を御馳走になった記憶もある。

また、神社に倒れている人を見つけて交番まで知らせに行ったこともある。結局昼間っから飲んだくれていた、ただの酔っ払いが寝ていただけだったが、子供ながらない非日常的な出来事に興奮したものだ。

お祭りのときには子供神輿を担いで100段の石段を登った。重たい神輿を担いで登る石段は大変辛かったが、しかし楽しい思い出でもある。

中学生になってからだったと思うが、神社の駐車場で行われた剣道大会(おそらくは神社に奉納するための剣道大会だったのではないだろうか)に友達が出場するというので応援しに行ったこともあった。その時の友人の試合の激しさに剣道に魅せられたものだ。その後剣道部に入ったが、その友人にコテンパンにやられたことも忘れられない思い出だった。高校の武道の時間に剣道を選択したが、その時の経験が活かされきれいなメンを一本取れたのも原点は邇保姫神社だったのかもしれない。


そんな思い出深い神社だったが、ある日火事で焼失したというニュースを聞いてがっかりした。
最近になって立派な本殿の再建が終わったようだが、私の思い出の中にある邇保姫神社とはだいぶ違う。うれしいことなのだが残念な気持ちの方が強い。いまさら後悔しても仕方がないのだが、大人になってから広島に行ったときにでも最後にもう一度見ておけばよかった。そう思うと残念でならない。

邇保姫神社ホームページ


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