Leaflets of the Rikyu Rat
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2007年03月01日(木) もし物語の中に拳銃が出てきたら、それは発射されなくてはならない

 破壊的な人間はその破壊性を自己へ向けることになるのだということに何故気付かないのか

 自分と社会との間に齟齬を感じたらどうするのか
 自分を社会に合わせるか、それとも社会を自分に合わせようとするのか
 自分に責任があるのか、社会に責任があるのか
 彼は後者だと考えていた。
 彼の叫ぶ人権は彼自身の権利を拡大解釈しているのだとしか思えなかった。
 そうすることで彼が自由だと感じられるならそれで良いのだろう
 僕には今のままではますます深みにはまっていくようにしか思えなかったのだけれど。
 
 彼の考えを違う、おかしいと感じてもそれを正そうと思えなかったのは
 僕が考える正しさを彼に押し付けるべきものではないと思ったし
 ただ単に説得する労力を払うだけの甲斐性が無いのかもしれないし
 あるいは僕にはある程度の嗜虐性が潜んでいるのかもわからない
 違う、違うと考えていたらいつの間にか彼は違う、決定的に違うと
 そう思っていたので別れた。

 僕にはそういう傾向がある。
 こうだと思ったら、そうだとしか思えなくなる。
 物語では無い現実なのに、僕は拳銃が出てきたら発射されなくてはならないと思いこんでしまう。そして必ず発射する。
 嗜虐性は自虐性で、自虐性は嗜虐性で、何故気付かないのか。

 本当はみんな気付いているのかもしれない、
 きっとなかなか変えられないだけだ。
 だから彼は苦しんでいたし、僕は拳銃を発射した。
 彼は撃たれてさらに苦しんでいるだろうし、僕は次のターゲットを探しているのかもしれない。


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加持 啓介 | MAIL

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