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2004年08月06日(金) ふて腐れ。

今日、会社帰りに家に電話をかける。
で、奥様と会話していた。
すると、じょり子が喋りたいというので奥様と変わる。

「パパァ。」
「・・・・・」

「うん?! どしたん。じょり子ちゃん。」

「・・・・・」

「パパすぐ帰るけぇね。」

「・・・・・」
「いや。パパ帰ってきちゃ駄目なの!」

「え゛っ??」

「パパすぐ怒るから、帰ってきちゃ駄目なの。」

「・・・・^^;;」
「じゃ散髪して帰る。それならいい?」

「駄目ぇぇぇぇえ〜」

私目はどうすればよいのでしょうか?<ためしてガッテン風

後で奥様に確認したんですが、プリンスに昼食を食べに行った時、ここにプールがあるのですが、それに入りたいと言って主張するじょり子をなだめて帰ってからご機嫌麗しくなかった模様。

とばっちりも良いとこ。

◇◆◇◆◇

平和宣言で市長が訂正

この記事から。

簡単に解説されていますが、唯我独尊という言葉の意味は、私たちが認知している意味「我が唯一絶対の存在」というものではない。
以前にも書きましたが、こういった仏法用語が違う意味で使われている代表例が「他力本願」。
もう一度書くと”本願力=阿弥陀如来の力”であり、他力とは本願力そのもの。
「このお力を頂くためには並大抵な努力だけじゃ駄目なんで、今まで以上に自助努力をしていきましょう。」という浄土真宗の根幹を貫く力強い言葉なのです。

まぁこういった間違った解釈と言うのは現在だけじゃなく、昔も当然あったわけで。
その証拠に伝言ゲームじゃないのですが、真意が違う形で伝わっていったのを「そういう意味じゃないんだよ。こういう意味なんだ・・・」というものを纏めたのがお経として後世に残っています。
ですから、有名な仏説阿弥陀経や正真偈は、語り口のような書き方がされています。

また、「三つ子の魂百まで」等の迷信にしてもそう。
科学的根拠はないと一蹴する坊O教授のような人間も多いし、信ずるに値しないものもありますが、もう一度言葉の裏に隠された真実(環境や動物保護等)や言葉自体の本当の意味を考えるべき時なのかもしれない・・・

と思った平和記念日でした。

参考文献
浄土真宗 親鸞会HP
仏教は独尊的な教えではないのか

◇◆◇◆◇

で、上の記事に関連して。

ホント小泉のパープーをなんとかせぇや。
今年もまた市民団体との意見交換会(正式名称忘れた)すっぽかしやがって。
非核三原則や平和を基準とした第9条の改正とかほざく反面、自分がやっていることとの矛盾はどう考えてんのかね。

広島に来るぐらいなら、イラクに行ってやれ。
このアンポンタン。


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