| 2007年07月20日(金) |
TAXi�ぁ△�やすみクマちゃん、酔いどれ詩人になる前に、北極のナヌー、エディット・ピアフ、ルーツ・タイム |
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ※このページでは、試写で見せてもらった映画の中から、※ ※僕が気に入った作品のみを紹介しています。 ※ ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『TAXi�ぁ戞�Taxi 4” 1998年に第1作が公開され、2000年、2003年と作られたシリ ーズの第4弾。改造マニアのタクシードライバー=ダニエル が、今回は車もプジョー406から407に乗り換えて、再 び大活躍を展開する。 前作のプロローグにはシルヴェスター・スタローンが登場し たが、今回はフランスの怪物の異名を取るサッカーフランス 代表選手のジブリル・シセ。ちょうどイギリス・プレミアリ ーグから、フランスリーグ・アンのマルセイユに復帰したの に引っ掛けて、その復帰第1戦のピッチに彼を送り届けるの が最初の仕事だ。 そして、その後もサッカーねたがしばらく続くから、これは サッカー好きには堪らない。そんな訳で、今回は最初から乗 せられて見てしまった。 本筋の物語は、こちらはベルギーの怪物という異名を取る極 悪犯人が逮捕され、コンゴでの裁判を受けさせるための移送 中、マルセイユ警察に1日収容されるという話から始まる。 その移送体制は、檻の中にさらに拘束具で繋がれるという厳 重なものだったが… この男が逃亡し、それを追うダニエルと親友の警官エミリア ンは、マルセイユからモナコへと車を飛ばす。そしてアジト を突き止めた2人は…。一方、極悪犯人の逃亡を助けた一味 はモナコの銀行を襲うが、その一味にはエミリアンの妻ペト ラが潜入捜査を行っていた。 前作は、プジョーがゲレンデでスキーをするという設定がか なり無理な感じで、話全体もそれに取って付けたようで、正 直に言ってあまり感心はしなかった。それに比べると今回の お話はそれなりにしっかりと作られている。 ただその分、カーアクションの時間は短縮されてしまった感 じで、それが目当ての人にはちょっと物足りなく感じた人も いたようだ。でも、映画はアクションがありゃ良いってもの でもない訳で、その点で今回の作品はバランスもよく考えら れていたように思えた。 ダニエル役のサミー・ナセリ、エミリアン役のフレデリック ・ディーファンタル。ペトラ役のエマ・シューベルイ、署長 役のベルナール・ファルシー、将軍役のジャン・クリストフ ・ブーヴェらはほぼ全員が再登場。 ただし、前作で関係が険悪となっていたダニエルの妻リリー に関しては、今回はガレージ改造の準備でパリに買い物に行 っているということで、不在となっている。演じるマリオン ・コティヤールは、前回紹介の映画ではプロヴァンスに行っ ていたり、今回もいろいろ忙しそうだが、次回作では出演し てくれるのかな。
『おやすみ、クマちゃん』“Mis Uszatek” 1957年に出版された絵本を原作とするポーランド製の人形ア ニメーション。ぬいぐるみのクマが、仲間の森の動物たちと 共にいろいろな体験をする1話7分のシリーズで、1975年か ら1987年にかけて104本が製作され、今回はその内の10本が 纏めて公開される。 主人公のぬいぐるみのクマが、寝る前に1日の出来事を話す という設定で、寓意や躾やその他諸々の要素が盛り込まれた 物語が展開される。大人の目で観ると、言わずもがなのもの ばかりではあるけれど、本来子供向けであるのだからそれは 当然のことだ。 また、描かれる子供の純粋さには、所々ではっとさせられる ところもあるが、それは意図されたものではない。基本的に お子様向け以外の何物でもない作品だ。 上映は2部構成で行われ、第1部は「春から夏」と称して、 「赤いふうせんと小鳥の巣」「ゆかいなお絵かき」「お洗濯 で水びたし」「アヒルの親子とはじめての水泳」「忘れな草 をさがして」。 5分の休憩をはさんで、第2部は「秋から冬、そして春」と 称して、「キノコ狩りはたのしいな」「素敵な森のコンサー ト」「いじわるなカラスと冬の神様」「みんなで行こう、ス キー旅行」「雪だるまさんと春の訪れ」と続く。 どれも題名から想像される通りの物語だが、案外楽しんで観 ていられるのは、自分が童心に還ったというより、それなり に普遍的なテーマが捉えられていることにもありそうだ。 104本の中から選び抜かれたというところはあるだろうが、 作品の質はそれなりに高く、大人の目でも充分に楽しめた。 なお、日本語版の吹き替えをケロポンズという女性デュオが 担当しているが、全国各地で親子向けのステージショウを展 開しているという2人のパフォーマンスは、この題材にはピ ッタリはまっている感じのものだ。 また、8月4日〜9月14日の東京都写真美術館ホールの上映 では、1962年製の「こぐまのウシャテック」という9分の作 品が1日1回19時の回に併映される。試写はなかったが、シ リーズの原点となる絵本の映画化ということで、かなり貴重 な作品のようだ。
『酔いどれ詩人になる前に』“Factotum” 1994年に亡くなったアメリカの詩人・小説家チャールズ・ブ コウスキーの自伝的な小説の映画化。脚色と監督は、2004年 3月に『キッチン・ストーリー』を紹介しているノルウェー 出身のベント・ハーメル。2005年製作で監督初の英語作品と いうことになる。 主人公は自称作家だが、作品が売れている訳でもなく、それ でいて生活のために職に就いても長続きはしない。そして、 溢れ出す言葉を綴り続けなければならないと言っては、常に ノートに何か書き付けている。 そんな主人公は、バーで拾った女と一緒に暮らしているが、 正に酔いどれてセックスに明け暮れているという状態だ。そ して仕事は、氷の配達やタクシー運転手、ピクルス工場、バ イクの部品倉庫など転々とするが、どれも長続きはしない。 そんな時、突然競馬の予想が次々に当り出し小金を稼ぐが、 それが原因で女の心は離れて行ってしまったりもする。また 別の女と彼女のパトロンの家に居候になったり、両親の家に 帰れば、彼の人生を認めない父親に冷たく追い出されたりも する。 そんな売り出し前の作家の姿が描かれる。でも、まあ原作者 は最終的に作家になった訳だから、その点は安心して観てい られるという作品だ。それにこの主人公が、たまに無頼にな ってみせたりもするが基本的に優しくて、多分女性にとって は堪らない魅力の持ち主であっただろうことが見事に描かれ ている。 出演は、主人公にマット・ディロン。『クラッシュ』でオス カー助演男優賞にノミネートされた翌年の作品だが、本作の 方が断然名演技に見えてもインディペンデントの作品は、な かなか評価されないのが常というところだ。 共演はリリ・テイラーとマリサ・トメイ。他に今年2月に紹 介した『ダウト』にも出ていたフィッシャー・スティーヴン ス。さらに無記名のカメオ出演も多数あるようで、つまり、 それだけ俳優たちの興味を引く作品だったということになる ようだ。 原作者は日本でも人気があるようだが、その読者の期待は裏 切らない作品になっていると思われる。今時こんな作家がい るのかどうかも判らないが、観ている間は多少憧れも感じた ものだ。
『北極のナヌー』“Arctic Tale” ナショナル・ジオグラフィック製作による初の劇場公開用作 品で、今後30年間で消滅してしまうかも知れないと言われる 北極の自然を記録したドキュメンタリー。 北極の氷原で暮らす白クマの母子と、北極海に住むセイウチ の一族が、温暖化の進む中で生き抜いて行く姿が描かれる。 しかし今年はなんとか生き延びても、来年、また再来年と環 境はどんどん厳しくなって行く。 映画は、広大な雪の斜面に掘られた雪洞で冬に生まれた小熊 が、初めて外に出るところから始まる。一方、海中ではまだ 臍の緒を付けたままのセイウチの赤ん坊が、母親ともう1頭 の雌と共に泳ぎ始めている。 そして物語としては、この小熊とセイウチの赤ん坊の成長を 追って行くものだが、そこには、温暖化の影響で海の凍結が 遅くなったり、凍結しても柔であったり、またセイウチの一 族全員が載れるほどの大きさの氷山がなかったりという現実 が描かれる。 ただし、日本語版のナレーションをSMAPの稲垣吾郎が担 当していて、それ自体は問題はないのだが、何となくこの温 暖化の現実に対する発言が弱いように感じられた。確かに氷 の接岸が遅いとか、氷原が柔だとかということは言ってはい るのだが、それが特に強調されていないように思えたのだ。 クレジットによると、オリジナルのナレーションはクィーン ・ラティファが担当したようで、口調は稲垣とはかなり違っ たものになりそうだが、でもナレーションの原稿は翻訳のは ずだから、そこで温暖化の問題が明確にされていないのなら 問題に感じる。 もっとも、温暖化問題では京都議定書にも署名を渋るアメリ カの作品だから、それもあるかなと考えると心配になった。 それはともかく、映像では、愛らしい小熊の姿や、セイウチ が一族で子育てをするという話、さらにはワモンアザラシ、 ホッキョクギツネ、ハシブトウミガラスなどの生態がいろい ろと描かれていて、それは観ていて飽きることはない。 そこに温暖化の話は、確かに入れ難い話であったのかも知れ ないが、その辺の主張の曖昧さが何となく気になる作品では あった。
『エディット・ピアフ 愛の讃歌』“La vie en Rose” 邦題の「愛の讃歌」や、原題の「バラ色の人生」など、恐ら くは誰でも1度は聞いたことのあるシャンソンの名曲を歌っ た歌手エディット・ピアフの47年間の生涯を描いた作品。 ピアフは1915年にパリの貧民街で生まれた。母親は街頭で歌 って施しを受ける歌手だったが幼い娘を残して出奔。娘は兵 役中の父方の祖母が営む娼館に預けられる。そして大道芸人 だった父親が復員し、父親と共にどさ回りなどをする内に歌 で稼ぐようになる。 やがて20歳の時にパリのクラブ歌手となり、厳しいレッスン と天性の圧倒的な声量によって見る見る頭角を現す。そして ついには、パリ・オランピア劇場やニューヨーク・カーネギ ーホールでの公演も成功させるが… ピアフは1963年に亡くなったが、47歳という行年は当時にし ても短いものだろう。しかしその末期の姿はとても47歳には 見えない。映画は時間を交錯させて描いているため、始めの 方から末期の姿が出てくるが、最初は何か別の意味があるの かとさえ思ったほどだ。 その原因は、1日10本も打っていたというモルヒネのことが 映画の中でも説明されるが、薬物に対する意識が低かった時 代とはいえ、ここに至るまで周囲が何もしないでいたことも 信じられないくらいだ。しかしピアフは、その苦境の中でも 最後まで歌を忘れなかった。 そんなピアフの生涯を、さすが10歳以下のシーンは子役が演 じるが、20歳から老婆のようになってしまった47歳までを、 『プロヴァンスの贈りもの』などのマリオン・コティヤール が見事に演じている。 コティヤールは1975年生まれだから今年で32歳、演じた期間 のちょうど真中という感じだが、本来なら簡単だったと思わ れるこの年齢幅が、この作品ではちょっと異様な描き分けと なっている。 その晩年の姿も力の入った名演だが、やはり年齢の近い最も 華やかだったころのピアフの姿は生き生きとして、成功と恋 を謳歌する姿が最高の華やかさで描かれる。そしてそれが暗 転して行く過程もまた見事に描かれた作品だ。 なおコティヤールは、元々がピアフの大ファンだったという ことで、本作では、歌声はピアフ本人の音源が使われている ものだが、彼女は息継ぎのタイミングから舌の回し方、喉の 動きまでを見事に合せており、その意気込みも伝わってくる ものだ。 そしてその歌の内容が物語に見事に重ね合わされて、すばら しい構成となっている。
『ルーツ・タイム』“Roots Time” アルゼンチンで、少数民族の文化などを描く作品を作りなが らTV番組やアニメ、クリップなどを製作している1978年生 まれの監督が、ジャマイカでレゲエの母体となるラスタファ リアンの人たち描いたロードムーヴィ。 7月23日。この日は1930年にエチオピア皇帝に即位したハイ レ・セラシエ1世の生誕の日なのだそうだ。そこでその日を 期して、ラスタファリアンは全員アフリカの地を目指すべし というアジテーションがラジオから流れている。 主人公の2人組は、乗用車に大きなスピーカをつけて、レゲ エのレコードを売り歩く移動レコード販売業者。スピーカか らは宣伝や呼び込みの音声も流れるが、実は運転席の2人の 会話も筒抜けになっている。その会話は、怪しげな法螺話な ど種々雑多だ。 そんな2人が、売れないレコードに四苦八苦しているとき、 道端で1人の男が彼らを呼び止める。その男はさっきまでラ ジオでアジテーションをやっていたDJ。彼のガールフレン ドが急病で病院まで送って欲しいという。 ヒッチハイクは困るという2人だったが、本当に病気らしい 女性と男を載せて車は走り出す。そして2人は、ラスタファ リアンなら合成薬を使う病院より、薬草医のところに行くべ きだと主張し、人伝の情報を頼りにその薬草医の許を目指す が… 出演者は全員が演技は素人だそうで、特に主人公の1人はそ れまで映画を見たこともないという農夫だそうだ。また、他 もミュージシャンやDJが演じていて、主人公のもう1人を 演じているウールトン・ハリスンはレゲイ界では著名な人ら しい。 ということで、映画の中は、会話もほとんどリズムに乗って いて、その意味ではレゲイ=ラスタファリアンの文化を良く 伝えているもののようだ。 とは言っても所詮は素人の演技だし、監督もドラマの演出に は馴れていないようで、映画の全体はもたもたしていて素人 映画の域は出ていない。でもまあ雰囲気は、多分現地の感覚 そのままなのだろうし、そういうことで楽しめればそれで良 いのだろう。 観る側の気分にも因るかも知れないが、少なくとも都会生活 に追われる人間には、一種の癒しの効果も生じるのではない かという感じもした。まあそんな大らかな気持ちで観られれ ばいい映画だろう。 ただ、僕が観た試写会では画面全体が妙に赤っぽくて、実は 巻頭で乗用車のエンジンルームを嘗めて撮ったシーンが、内 臓のようにも観えて狙った効果かとも思ったのだが、上映が ヴィデオだったこともあり、この色調で正しいのかどうか、 ちょっと気になったものだ。
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