ちむたんのつぶやき
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(今日の日記はかなり長く、散漫かつ独りよがりかつ痛いものになりますので予め全力でお詫びしておきます。文体も“ですます”ではなく偉そうに書いてます)
私がファンになった頃のヤクルトは、連勝でもするとこちらがびっくりするくらい、とにかく弱かった。 3連戦だったら1勝できれば御の字。ピッチャーはパカスカ打たれ、バッターは三振の山。でも選手たちはどういうわけかとんでもなく魅力的で、万年Bクラスと酷評されても、仲良く楽しそうにグラウンドで躍動していた。 弱かったけど、でも大好きだった。
それが1990年、野村監督の就任から変わった。古田敦也という稀有な能力を持つ捕手に象徴される堅実な野球を繰り広げるようになり、1992年には14年ぶりのリーグ優勝、翌年には日本シリーズ制覇を実現する。そこから、巷で言われる「黄金時代」がスタートしたわけだ。 古田が入団した1990年から2005年までの15年間にリーグ優勝5回、日本シリーズ優勝4回。見事なものだ。 私個人が入れ込んで観戦していた時期は、1993年の優勝で終わっている。その年の冬に母の脳腫瘍が再発して実家で介護を始め、野球どころではなくなってしまったからだ。
その後介護が終わっても、私は神宮に足を向けることはなかった。熱心にプロ野球中継を観ることもなくなった。私ががんばって応援しなくても、ヤクルトはじゅうぶん強かったからだ。 だから私は、黄金時代のヤクルトを全く知らない。
今年久し振りに一生懸命観戦するようになって、ベテランと称される選手でさえ顔と名前が一致しないことに驚いたくらいだった。 なので、今季の成績が今ひとつ伸びず、優勝に絡むこともできなかったことに対し「ヤクルト本来の粘りの野球ができていない」「ヤクルトはもともと守備のチームのはずなのに、エラーが多くては勝てない」などとネットで書かれているのを見ると、ものすごい違和感に襲われる。まるでタイムスリップでもしてしまったかのような。 だって、私の知っているヤクルトは。 投手は能力は高いけどわりとガタガタで、守備は常に危なっかしく、打撃は当たるも八卦当たらぬも八卦というノリで、たまにホームランを連発してお祭り試合になっても、ここぞというところでは凡打がお約束、そんなチームだったから。 おかげで今年の、勝つときは花火を上げまくって大勝するけど、先に点を取られると手も足も出なくなるヤクルトを見ていると、何かとても懐かしいような気分になっていたから。ああ、変わってないなあ、なんて。
そう、私が観ていた当時と大きく変わっていることがある。 CS放送と、インターネットの存在だ。 当時、ヤクルトの試合をテレビで観られるのは巨人戦の時だけだった。あとはAMラジオにかじりついて聴き、スポーツニュースを追い掛け回してほんのわずかの映像を見るしかなかった。 それが今では、プロ野球の全部の試合が毎日どこかのチャンネルで放送されている。初期投資と多少の追加費用を払えば、ヤクルトの全試合を全て試合開始から終了まで観ることができるようになっている。 素晴らしい時代だ。 インターネットがあるから、テレビ観戦できないときでもほぼリアルタイムで途中経過が詳しくわかる。神宮球場のテレホンサービスにかけて速報を聞いていた頃がまるで夢のようだ。 ブログや掲示板で、いろんな人のいろんな感想が聞ける。情報もどんどん入る。選手の写真もたくさん見られる。 素晴らしい時代だ。
いまインターネットでヤクルトについてさまざまな意見や感想を述べている人々は、多くは黄金時代のヤクルトをよく知っている。覚えている。 だから今季の「勝率5割付近をうろうろしている、ふがいない」ヤクルトには大変手厳しい。 1試合ごとに「MVP」「あっぱれ」「戦犯」「不合格」など、ありとあらゆる呼び方で選手の働きを評価する。 昨日褒めそやした選手が今日まずいプレーをすれば、とたんに叩く。その逆ももちろんある。その変わり身の速さは目を見張るほどだ。 ベテランだろうと若手だろうとお構いなし。首脳陣の采配も例外ではない。ヤクルトファンにとっては神にも等しい存在であるはずの古田プレイングマネージャーに対してすら相当容赦なしだ。 こんなのはなかった、昔は。 あの頃なら試合後に飲み屋で交わされていただけだったろう赤の他人の言葉を、家にいながらにして聞かされてしまうなんて。
そしてどうやら私は、ばかばかしいことにそれらの言葉にいちいち傷ついているのだった。それもかなり深く。 読まなければいいのだ。目にしなければ。 この感覚には非常に馴染みがある。
チャーちゃんが花組の二番手だった頃。 私がファンになったばかりの時は、まだ宝塚のオーソドックスな人事制度が生きており、二番手であるチャーちゃんは当然次のトップスターになると思われていた。 ところが2000年春に「新専科制度」というものが出来て、各組の二・三番手であった合計10名が慣れ親しんだ組から離され、新専科へ異動させられた。 そこからはサバイバルレース、かつてのポジションは関係なし。あらゆる組の公演に出演し、馴染みのないメンバーの中で舞台を務める。 トップスターになれるとは限らないし、なれるとしてももと所属していた組ではない場合もある。劇団がそう明言したわけではないが、実際にそういう制度だった。
トップになることだけが宝塚の生徒の花道ではもちろんない。トップになれるのはほんの一握りだ。 だが、いったん未来のトップとして目された生徒がそこから公然と外される仕打ちは前代未聞だった。ファンは非常に動揺した。私も大ショックを受けた。 音楽学校卒業後の組配属からずっと花組育ちのチャーちゃんが、愛着のある花組から出されてしまったのだから。
これを読んでくださっているチャーちゃんファンの方はたいていお分かりになると思うけれど、宝塚の話題専門の有名な掲示板があった(今でもあるだろうが)。 そこでは、ファンという名の評論家気取りの人々による熱論が日々戦わされていた。脚本、演出、音楽、衣装、歌、ダンス、演技、宝塚の舞台にまつわるありとあらゆるものが議論の対象だった。 そして格好のターゲットとなったのが、新専科に異動になった10人、特にもともと二番手だった生徒だった。 「××はトップスターになれるか」といった類のスレッドが作られ、悪意に満ちた言葉が次々と書き込まれた。中にはごくまれに理性的で読むに値する意見もあったが、ほとんどが感情的な、アンチファンの罵詈雑言尽くしだった。 私がファンだったので痛く感じたという点は差し引くにしても、チャーちゃんに対する書き込みは酷いものだった。チャーちゃんがいわゆる“三拍子揃った”タイプの安定感のあるスターではなかったのは確かだが、そんな判断のレベルははるかに通り過ぎ、ただ延々とチャーちゃんをこき下ろす言葉が来る日も来る日も続いていた。 全く理解の範囲を超えていた。どうしてそこまで悪く言われなければならないのか。チャーちゃんは毎日一生懸命舞台に立っているだけだ。私にとってはたまらなく魅力的な人を、なぜこんなにも貶すのか。それで面白いのか。
だがそこを、不愉快になると百も知りつつ、私はご丁寧にしょっちゅう見に行っていた。 いつか誰かがチャーちゃんを認め、誉めてくれるかもしれないと思っていたのだ。 誰かが誉めてくれたところで、何も分かってないと打ち消す人々が殺到してもっとひどいことになるだけだというのに。 私の大好きな人を、同じ宝塚のファンの、私の知らない人が悪く言う。画面を開くと、気取った言い回しで飾られたひどい言葉が目に飛び込んでくる。 今になってみれば心底おかしくて笑ってしまうけれど、当時は本当につらかった。
人になんと言われようと好きなんだから。 見なければいいだけのことなのに。こんな簡単なことはないのに。
それから5年以上が経って、私は懲りもせずまた同じ穴に落ちている。目の前には長いトンネルが続いている。
こんなことで落ち込むなんて、いい年をして本当にばかげている。 たかが野球だ。大勢になんの影響もない。私個人の人生にさえ影響はない。あってはならない。 勝手に好きになって入れ込んでいるだけだ。自分の思い込みに踊らされてどうする。他にいくらでもやることはあるだろう。
熱くなりすぎる自分が、日々がそこそこ平穏なのをいいことになんの学習もしない自分が、大嫌いだ。 この頭は、あまりにおめでたすぎるじゃないか。
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