ちむたんのつぶやき
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2002年11月23日(土) どうだろう

前から時々思うことなのですが。

有名な作家や画家など、いわゆる芸術家というくくりに属する人の私的な、公開するつもりで記していない手紙や日記が、作品の著された背景の分析に使われたりして公開されることがありますよね。たいてい本人の死後ですが。

そういった類のものを読むと実に格調高く、語彙の豊かさや素晴らしい表現力、根底に流れる深い思索などに圧倒されてしまうのですが、今後こういうものって刊行できるのでしょうか。
何故そんな懸念を持ったのかというと…
今どきの人(私も含む)の書く文章って、涙マークとか顔文字とか(笑)とか頻発してますね。人によっては文字の色を変えて書いたり、イラストを入れたりと相当グラフィカルになっていて、それら抜きでは表現として完結し得ない場合が多いと思うのです。そういう手紙や日記を単純に活字に起こしたのでは、伝わらないニュアンスが多いのではないかと。

これから世に出る書簡集や日記は、私がいまイメージするものとは全く異なるものになっていくという可能性はもちろんあります。もう既に私のイメージは古いかもしれません。
パソコンで書く人も多いですから、そのデータをそのまま使えばカンタンですね。

ひょっとしたら、今後書簡集や日記が世に出されるような人は、今でも言葉そのものだけで勝負してるかもしれない。

…それこそ掘り下げが甘いような気がしてきました、私…。
でも、古くてもいいから文章だけで勝負したいと、本屋にたくさん並んでいる「美しい日本語」ジャンルの本に頭の片隅でかすかな反撥を覚えながら思います。


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