ATFの戦争映画観戦記



【File084】漆黒の大陸・・・多勢に無勢【後編】

2003年04月20日(日)

忙しさに感けて更新を怠っておりましたが、やっとこさ、お久しぶりの観戦記であります。気がつけば四月も半ばを過ぎ、桜の盛りも過ぎてしまいましたが・・・。イラクでは、なんとか無政府状態も沈静し、攻撃主体の海兵隊の撤退が始まりました。替わりに陸軍部隊が送り込まれ、地元イラク警察とともに治安維持任務に就くそうです。そして旧政府の高官たちも序々に消息が明らかになりつつありますが、未だフセイン大統領とその家族や側近の消息は不明・・・なんだか二次戦時のナチス第三帝国の終焉を思わせるような展開ですが、果たして新たな歴史の�狷罩�が刻まれるのでしょうか・・・。さて、ご存知の様に20世紀戦争映画史上の�狷罩�のひとつであった「CROSS OF IRON」のマイヤー少尉を演じた俳優Igor Galo氏の正体を明らかに出来、肩の荷を下ろしホッとしていたATFの耳元に囁く言葉・・・何か忘れてないか?・・・えッ!?・・・げェ!!そうだ「多勢に無勢」だよ〜ッ。「カスター」絡みで長引かせて連載数を稼いで、シメシメ(オイオイ)と思っていたら、イラク戦争が始まって、マイヤー少尉の一件があってと放ったらかしになったまんまだったよぉ・・・いえ、決して忘れていた訳でわねぇんで、お奉行様ぁ・・・そんな訳でさっそく行ってみましょう・・・時代は19世紀末、場所は当時まだ�牋店�大陸�瓩噺討个譴討い織▲侫螢�・・・今回も何時にも増して少ない史料と大いなる想像によって書き込んでおりますので、誤記ご容赦下さい・・・それでは開演《開演ブザー》です。いつものように携帯電話の電源はお切り下さい。【恒例/この記述には資料的価値はありません】

【�爛此璽襦次�Zulu�瓩辰堂拭�・・・世界一の近代軍隊を破った漆黒の戦士たち】
現在では世界に君臨する大国と言えば�爛▲瓮螢�合衆国��ですが、15〜16世紀の�狢膵匈せ�代��に世界を二分したのはスペインとポルトガルでした。そしてそのスペインが誇る無敵艦隊を、海賊ドレイク船長以下の艦隊を以って撃滅(1588年)したのがイギリス・・・大英帝国なのは皆さんご存知の通り・・・その後世界各地に覇権を広め、19世紀ビクトリア女王の治世下では�狄¬叡麓腟繊當觜饉腟銑�のピークを迎え、以降20世紀初頭まで�狷�の沈むことなき帝国��とか�犲靴弔粒い鮖拉曚垢訥觜餃�などと呼ばれる事になります。この�狄¬叡麓腟繊當觜饉腟銑�について書き始めたら、それこそHPが出来てしまうので、ココでは省略・・・ほッ(手抜きじゃないぞ!)・・・さて英国が世界各地に植民地を広げ、支配していく過程で、数多くの戦いを繰り返す訳なんですが、決して全戦全勝かつ楽勝な戦いばかりではありませんでした・・・各地で反英国の旗を掲げた独立の戦いが繰り広げられる事になります。今回のお題である�爛此璽襦疾鐐茘�もそんな戦いのひとつ。しかし�爛此璽襦辞瓩辰童世Ω斥�・・・馴染みの無い事この上ない・・・あぁ女子高生が履いているヤツね!・・・それは�爛襦璽梱瓩世蹈叩舛�・・・んですが、ネットで調べても詳しく解んないんですよね・・・海外のサイトには詳しいサイト結構あるんですけど、日本語のサイトとなるとねぇ・・・ネットの海の中から何とか探し出した資料によると・・・大体以下の通りであります。
�爛此璽襦鴫�国史��
南アフリカのインド洋沿岸ナタール地域住むズールー族が19世紀初頭にシャカ王(ディングスワヨ:在位期間1816〜1828)により統一されて建国した誇り高き戦士たちの王国。シャカ王はアフリカで初めて実戦的な軍事改革を行った・・・それまでの部族間の戦争っていうと、よく以前ドキュメンタリー番組(「すばらしき世界旅行」とか「知られざる世界」とか)で紹介されていたように�犁稽蘚�な戦争�瓩�主だった。所謂、集団で戦いの踊りをやって相手を威嚇するってヤツ。それがエスカレートして入り乱れての乱戦になって殺した敵の戦士を喰っちゃったり・・・敵のパワーを得る為・・・人喰い人種なんて言葉が生まれる訳ですが・・・殺傷力の大きい幅広の矛先の槍や全身を覆う大きな盾を装備した軍団は「猛牛の角」と呼ばれる陣形(中央部隊が敵主力を引き付けている間に、両翼部隊が迂回して包囲、更に予備部隊を一気に投入し、敵を殲滅する)を多用し、周辺部族を次々に支配下に入れて行きます。1818年には内乱で一時分裂しますが再統一され、1838年には英国によりケープ植民地から追われたボーア人(ブール人とも言う:オランダ系南アフリカ移民)と交戦、オレンジ自由国の成立(1854年)は許しますが、ナタール海岸線沿いに勢力圏は死守します。その後、部族の全権をセテワヨが掌握、英国の植民地政策に抵抗して1879年、1883年、1887年の三度に渡って戦います。緒戦においては各地で英国軍を破りますが、近代兵装(後装式ライフル銃やロケット弾といった最新式(19世紀後半当時)の火器)を装備した英国本国からの増援を受け物量的に優勢な英国軍により、最終的に破れ去ります。現在もなお南アフリカ共和国の一部で独立闘争を続けている・・・らしいですけど。でも圧倒的に兵力の勝る近代的軍隊を、弓や槍を主に装備した軍隊で破った事は、1929年にリビアを侵略したムッソリーニのイタリア軍をオマール・ムクタール率いるイスラム教徒が撃破した・・・「砂漠のライオン1981」・・・とともに戦史上に残る出来事として評価されています。海外専門サイト

【ズールー戦争を観よう!】
さて世界に君臨した大英帝国の軍隊を弓と槍と楯で破った戦いを描いた作品としては、現在2種のソフトが発売されておるのですが、実は以前、恥ずかしながら私ATFは、この2種の作品を同じ作品だと思っておったんであります。それは両方の脚本を担当していたのがサイ・エンフィールドなる人物(1963年版「ズール戦争」の製作・監督/代表作「SF巨大生物の島(JULES VERNE'S MYSTERIOUS SLAND1961)」)だった為なんですが・・・お恥ずかしい限りであります・・・

【ズール戦争(ZULU1963)】
反英国の旗の下に蜂起したズールー軍と、小さな砦を守備する英国軍の攻防戦の実話を基に描かれた長編作品。たった100名程度の英国ウェールズ部隊が4000名のズールー部隊に対し死力を尽して応戦する様は「アラモ」にも似た悲壮感を漂わせ、将に�狢神�に無勢��な作品です。史実は後述の「ズールー戦争 野望の大陸」で描かれたイサンドルワナの戦いの後の話なのですが・・・。出演者は戦争映画界でも名だたるメンバー・・・指揮官チャード工兵中尉(スタンリー・ベイカー/プロデューサーでもあり�犁鎧劉瓩両旅罎鮖�つ/怒りの海1953・赤いベレー1953・韓国の丘1956・ナバロンの要塞1961)悩める宣教師ウィット(ジャック・ホーキンス/戦争と冒険1972・勇将ジェラールの冒険1969・ワーテルロー1969・アラビアのロレンス1962・戦場にかける橋1957・怒りの海1953・マルタ島攻防戦1593・マレーゲリラ戦1952)とその娘マルガレタ(ウーラ・ヤコブソン/テレマークの要塞1965)そして怪力先任軍曹ボーン(ナイジェル・グリーン/大侵略1968・トブルク戦線1966・殴り込み戦闘機隊1956)レイノルズ軍医(パトリック・マギー/バリー・リンドン1975・戦争と冒険1972)そして何よりこの作品では1956年「韓国の丘」でデビューしたマイケル・ケインが、名門出身でちょっと高飛車なブロムヘッド中尉役を好演し注目を集めました。また映画音楽界の重鎮ジョン・バリー(007シリーズや「マーフィーの戦い1971」「ハノーバー・ストリート1979」「ヒトラー最後の日1981」「ダンス・ウィズ・ウルブズ1990」等)によるテーマ曲も胸を高ぶらせる名曲です・・・。随分以前、お馴染みテレビ○京で放映されたそうですが、ビデオは発売されていなかった様で、レンタル店でも見た事ありませんでした・・・しかし嬉しい事に昨年末にDVDスペシャルエディション(史料解説&メイキング)版が発売されました!

【ズールー戦争/野望の大陸(ZULU DAWN1979)】
1879年1月12日に行われたセテワヨ率いるズールー王国軍と英国現地軍とがナタール地方イサンドルワナで初めて激突した大規模戦闘をモデルにして描かれた作品です。このイサンドルワナの戦いでは、英国軍司令部がズールー王国軍の戦力及び位置情報の判断を誤り、1700名の英国現地軍先遣隊が、槍と盾そして僅か旧式銃を装備したに過ぎないズールーの大軍に包囲ズールー軍の猛攻��ズールー軍の猛攻��され、1300名もの戦死者を出して壊滅する様が時系列的に描かれています。英軍部隊は1700名もの兵力で、映画では大砲まで装備しており、全然�狢神�に無勢��って感じではないのですが、油断しきった英軍の野営陣地の彼方から大地を埋め尽くす様にズールーの戦士たちが迫って来る様は、あたかも観る者が自ら英軍の戦列にいて小銃の照準を覗いている様な錯覚に陥り「ブラックホーク・ダウン2001」のそれにも似た恐怖感が味わえます!いざ防御線を突破されてしまったら、英軍の装備した最新の大砲や銃が役に立たず、モノを言うのがズールーの戦士の手にした蛮刀や槍だって事ですね・・・全く鬱な映画ですッ!劇中で射撃開始地点の目印を設置しようとして戦死する兵士や規則に拘って弾薬の配給を怠り弾薬不足に陥る様子や、戦いに批判的ながらも優秀な現地人志願兵を率い奮戦、遂には戦死するダーンフォード大佐(バート・ランカスター)、英国軍に偽情報を伝える為わざと捕らえられるズールーの戦士たち、地元の名士で射撃の名手ながら最後は軍旗を奪われまいとして壮烈な戦死を遂げるベルカー中尉(サイモン・ウォード/戦争と冒険1972・アドルフヒトラー最後の10日間1973・スカイエース1976)のエピソードなど見せ場は豊富です。その他、暢気に前線で食事なんぞ摂って、味方に大損害を出しながらも左程堪えてない総指揮官シェルムスフォード卿を演じるピーター・オトゥールやジョン・ミルズ、デンホルム・エリオット、ボブ・ホスキンスなど英国映画界を代表する名だたる俳優が顔を揃えております。監督はダグラス・ヒコックス(スカイ・ライダーズ1976)こちらの音楽は同じく映画音楽界の重鎮エルマー・バーンスタイン!こちらの作品は国内版DVDは発売されておりません。ビデオは発売されているのですが廉価版ではないので、大きなレンタルビデオ店でしか観れないかも・・・。実際のイサンドルワナの戦場

【カーツーム・・・マフディー・ムハマンドVSチャイニーズ・ゴードン】
さて19世紀末のアフリカを舞台にした�狢神�に無勢��な作品としてもうひとつご紹介しましょう・・・今や全米ライフル協会の会長として政府にすら大きな影響力を持ち、アメリカ国内で銃の乱射事件が起こる度に現地に乗り込んで行って�狃討僚蟷���の正当性を声高に説き、本年度アカデミードキュメンタリー長編賞を受賞したマイケル・ムーア監督の「ボウリング・フォー・コロンバイン」の中でも老いてもなお衰えていないお姿を�倏�して�瓩い�御大チャールトン・ヘストンが、自らの才能に自信満々で自尊心の強い悲劇の将軍チャールズ・G・ゴードンを熱演した「カーツーム(KHARTOUM1966)」であります。このカーツーム(別名ハルツーム)の戦いは、前述の�爛此璽襦疾鐐茘�に比べ、ネット上でも比較的豊富な史料を見つける事が出来ました・・・
19世紀末の中東情勢
19世紀末になると、もはや植民地の富によって国家が繁栄する、と言った時代ではなくなっていました・・・植民地に派遣する軍隊の経費は、本国経済に大きく影響していたからです・・・英国にとっては、インド以外の植民地はもはや重要ではなく、またカナダやオーストラリア、ニュージーランド、南アメリカも独自の自治を推し進めていました。そんな中で中東地域、特にエジプトはインドへの重要な経路であり、支配するオスマン・トルコ帝国とも良好な関係を維持していました。当時のエジプトはオスマン・トルコ帝国に任命される太守が治める土候国家群で、英国は政治や軍事面のアドバイザー的性格の強い副太守や総督を派遣しておりました。しかし1888年にエジプトで反英暴動が起こった事をきっかけに英軍が軍事介入し、以降英国によるエジプト支配が進んで行きます。また内陸部にあるスーダンの首都カーツームには、エジプトから総督が派遣されナイル川の交易に関して関税を課し、また塩税を徴収していました。
マハディー登場
1880年イスラム教サマニヤー派の神学者ムハマンド・アハマド(1844〜1885)は民衆の支持を集め、自ら�爛泪魯妊�ー��を称し・・・�爛泪魯妊�ー��とは�狎気靴�道に導く者��と言い、マホメットの正当な後継者を意味する�爛�リフ��よりも高い位を意味していた・・・反オスマン・トルコ及び反エジプトによるスーダンの分離独立と聖戦(ジハード)を唱え、彼の信奉者(アンサルと呼ばれた)たちが各地で過激なテロ行為を起こしました。これに対しスーダン総督は彼の捕縛を試みますが、巧みに逃走され、その間にも信奉者は増加しマハディー派は大集団と化して行きます・・・。1882年7000名のスーダン総督軍が編成されマハディー派討伐戦を実施しましたが、マハディー派の反撃に遭い壊滅・・・更に8000名の援軍も撃破され、カーツームなど主要都市が孤立する派目に陥いります・・・この時マハディー派の勢力は約30000名!英国は、これら孤立した各都市から自国民と軍を撤退させる計画を立て、その指揮官としてゴードン退役将軍が任命されました。
チャイニーズ・ゴードン登場
チャールズ・ジョージ・ゴードンは1833年生まれ。1852年英国軍工兵隊に入隊。クリミア戦争(1855〜1856)に従軍後、中国で起こった清朝政府に対する叛乱・・・洪秀全に率いられた�狢席薪傾颪陵隲�(1851〜1864)において、洋式に訓練された中国人部隊�狆鐓〃貝�を率い、太平天国軍を撃破、以後�爛船礇ぅ法璽此Ε粥璽疋鶚�と呼ばれる様になります。1877年スーダン総督に任命され、以後スーダンの社会改革を推進しますが、1880年に健康上の理由により総督職から退きました。1884年、撤退作戦を成功させる為、再びゴードンが選ばれスーダン総督に任命され、カーツームに着任します。しかし当時のカーツームの状況は、英国政府が考えていたよりも遥かに悪化しており、撤退作戦は援軍無しでは不可能な状態に陥っていました。ゴードンは度々英国政府に援軍派遣を要請しますが、状況を楽観視していた当時のグラッドストーン内閣は、経費の掛る援軍派遣には消極的でした。
カーツーム陥落
英国国民の中で高まるゴードン人気を無視出来ず、遂にウォルズレイ将軍率いる12000名の救援軍派遣が決定されます。しかしこの救援部隊は安全かつ早いナイル川遡行ではなく、徒歩による砂漠横断のルートを選び、途中マハディー派の攻撃に遭遇したりした為カーツーム到着は大幅に遅れ、マハディー派のカーツーム包囲から10ケ月経った、カーツーム陥落(1885年1月26日)の2日後の事でした。マハディー派はナイル川の水位が最も下がる時期を狙い、総攻撃を敢行・・・武器弾薬食料の尽きたカーツーム市街に一挙に雪崩れ込み・・・ゴードンは自ら剣を握り、総督府に突入してきたマハディー派兵士の前に立ちはだかりますが、次の瞬間一人のマハディー派兵士が突き出した槍に胸を貫かれ、その生涯を閉じました・・・このシーンは劇中で最もチャールトン・ヘストン迫真の場面です・・・マハディーの前に運ばれて来たゴードンの遺体は切り刻まれ、首を切断され、槍に突き刺されて晒されます・・・ゴードンの遺体がココまで辱められたのは、一説に彼が同性愛者であり、マハディーがそれを異常に嫌悪した為と言われています・・・救援部隊がカーツームに入城した時、市内には守備隊兵士の遺体が散乱していました。また救援部隊も安全では無く、マハディー派部隊の更なる攻撃が予測された為、部隊及び生き残った守備隊兵士は1885年末までにスーダンより撤退して行きます・・・という事で映画で描かれていたのはココまで!!劇中マハディーを演じたのは英国を代表する俳優で�爛淵ぅ鉢�の称号を持つサー・ローレンス・オリビエ。全くの悪人って風ではなく、思慮深い聖人風なマハディーを演じておりました。しかし救援要請の為、ナイル川を下っていったゴードンの副官スチュアート大佐(リチャード・ジョンソン/戦雲1959)の首を切り落として、お忍びで会見にやって来たゴードンに見せつけるシーンには、ちょっとゾ〜ッとさせられました・・・が。この作品における他の見せ場としては過去の観戦記でも書いた騎兵による戦闘シーンや、珍しい武器が登場する攻城戦のシーンなどですか・・・そうそう史実では、カーツーム陥落から半年を経ずしてマハディーは病死し、その後継者となったアブダラヒ・イブン・ムハマンドがマハディー回教国を建国、エチオピアやエジプトに侵攻し勢力を伸ばします。しかし1896年9月2日カーツーム前面のオムドゥルマンにおいて英国エジプト方面軍総司令官キッチナー将軍に率いられた26000名(最新式ライフル銃、機関銃、大砲装備)の討伐部隊を2倍(52000名)の兵力で迎え撃ったのですが、旧式な装備では英国軍に全く歯が立たず、戦闘開始半日を経ずして壊滅、22000名もの死傷者を出し敗退します。1899年11月抵抗を続けていたアブダラヒが戦死しマハディー回教国は遂に滅亡するのでした・・・諸行無常、盛者必衰の理を顕す・・・。

さて、今回の観戦記如何でしたでしょうか・・・映画を観ただけではよく解らない歴史の背景・・・余り歴史の教科書では教わらない部分を中心に書いて見たました。この辺の歴史を理解して観直せば、別の面からこれらの映画が楽しめると思うんですよ・・・ね!それでは・・・【続く】
【補足】20030423・・・「ズール戦争」の記述について一部修正

 転進【前ページ】  作戦履歴【TOPページ】  前進【次ページ】


観戦武官視察数【 】
【感想等お気軽に書き込み下さい】

My追加

皆さまにご投票いただいた結果は→【こちら】