2002年06月25日(火)
私をつくったもの
昨日は予備校の日(就職のための。心配性なんでね・・)で、作文テストがありました。題は「時」。 「時というのは過去から現在へ、そして未来へと一方的に流れるものだと思われがちだが実はそうではなく、過去へと向かう流れもあるのではないか」みたいなわかったようなわからないようなことを書いたんだけれど(だって600字だよ?そんな大したことは書けん)、これは中学の時の国語の教科書にでてきた「私をつくったもの」のパクリです。今でも鮮明に覚えている、ラストの文章。
「時は流れる。それもあらゆる方向に。そう、祖父が私をつくったのだ」 かっこいー!いつか使おうと思ってました。まさか6年後に予備校の試験で使うことになるとは思わなかったけど。
私は作文や論文を書く時、完全にオリジナルなものなんて書けません。今まで読んだことのある小説などのパクリばっかりです。そして印象に残っている小説というのは学校の教科書に出てきたものが多いんだなこれが。国語の教科書って面白くない?文部省に毒されているのでしょうか、私は。そういや私、学校に反発を感じたことなんて一回もないや。あはは。 ・・・脱線しましたが、完全に独創的な考えなんて、持つことができるのか?というお話です。だって今まで読んだ本や、出会った人や、そういうものによって今の自分の考えというのが構築されてきたわけでしょう?今の私をつくったものは、そういうものだと思うわけです。だから私はパクリ万歳なのです。勿論それで金を取ってる人なら駄目なんだろうけど(小説家とかね)、就職試験の作文くらいパクリが許されてもいいんじゃないのかなあ。
自分らしさとは、他人と全く違うということを指すものではないと思うのです。人と一緒だっていいじゃん。
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