狛の日記...狛。

 

 

音。 - 2005年03月02日(水)


天才作曲家に、私のディーバだ、って言わしめるその才能は凄いと思う。

天才とか、そういう褒め言葉は良く耳にするし、確かに凄いんだけど。
ディーバというのは格別だ。

天才、といわれる者が持もつ才能には確かに驚愕する。
だけどそれは、やっぱり人の才能の域を越えない。
どれほどの称賛を浴びたところで、いつかは誰かに記録を塗り替えられ、
過去の記録として薄らいでいくものだ。

だけど、芸術、特に美に関してはとても主観的で。
どれほどの逸材が現れようとも、記録が替わるものではなくて。
自分が本当に感動できる何かを持つ相手でなければ、
心を揺すぶられることはないだろう。

戦う前から、相手を眼にした瞬間に、己の負けを認めざるを得ない。
己の全てを捧げたいとさえ想わせる、そんな相手に対しては、
天才や秀才という言葉よりもむしろ、ディーバという言葉が相応しい。

本能的な感性を揺さぶるもの。
それはもう、人の閾値ではないように思う。

そう考えてみれば、
数多の人に持て囃されることが当たり前の人が選ぶディーバは、
芸術の女神なのだと思った。


だけど、誰にとってもディーバがいるわけじゃなくて。
それは何故だろうと考えて、
そうしてふと思ったのは、

自分と同じ「人」だからなのかもしれないということ。

多分、この世界の誰しもが、
神々しい技術や才能だけを求めているわけじゃなくて。
もっと感情的で、もっと人間的な、そんな人に憧れることが多いから、
ディーバって言うほど神々しい人が浮かばないのかもしれない、ということ。

決して自分は、芸術家達に神々しいほどの技術を求めているわけじゃない。
そういう人にだけ、惹かれるわけじゃない。

もっと自分が通じ合える、そんな人に憧れることだってある。

強く心に抱くメッセージを、言葉よりも饒舌に音に乗せることのできる、そんな人に憧れる。
そのために、技術や才能や、そういうものも必要だとは思うけど、
それだけではない何かがあるような気がした。



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