それが問題だ。
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| 2006年05月08日(月) |
インターネットのせいだ! |
ダ・ヴィンチのHPで連載コラムを書いている カンニングタケヤマさんと、ツチヤレオさんのコラムがものすごく好きです。 なんだか毎回言っている気がしますが、毎回言います(笑) タケヤマさんはサンボにつながるようなものを感じますよ。 言葉に飾り気がない分スパーンと心に響きます。 一方、レオさんは頭良いなぁ、と思います。 とりあえず、ビックのポイントカード(BPC)を大切にしようと決めました。 ちょっと最近殺意を覚えてたんですけどね、BPCに。 でも、レオさんが友人とまで言うならば友好的にいくことにしますよ。
今日は、久しぶりに料理タイムでした。 切って炒めて煮て放置しかしてませんが、久しぶりに作ると いつも弁当ばかりだったので新鮮で美味しく感じましたよ。 自分の上手くもない手料理で感動できるくらい飢えてるんだなぁ、と思うと 妙にしょっぱい気分になりました。 おかげで塩分過多になりそうです。
でも、考えてみると外食だってシェフが(と呼べる人がいるような店に入ってませんが) 弁当だって、おっちゃんやおばちゃんが作ってくれているわけであって、 一応、手料理の部類に入るわけですよ。 弁当だって自分が作るよりも美味しいし、シェフとか料理人が作ってくれる料理だって明らかに自分が作るよりも美味しいわけです。
でも、なぜかそれは手料理の部類に入らないわけです!
・・・なぜだろう。
やっぱり自分が知っている人かどうか、というのが重要なんでしょうか。 もしくは、その人にどれだけ好意を持っているかどうか? お母さんが作ったごはんとか、お父さんが作ったやけに細かいスクランブルエッグとか、 友達が作ってくれたお菓子とか。 そういうのが美味しいと思えるのは、その人に対してなんらかの愛情が自分にあるからなんでしょうね。
でも、そう考えると、自分で作った手料理に感動した私は、
自分に対して愛情が自分にある=ナルシスト
街道一直線のような気がします。 自分で自分を抱きしめる日が来そうな予感・・・怖い(笑)
リョ乾と不二乾の話・・・ 収拾がつかなくなってきておっとっと・・・ですよ。 自分の中の妄想は果てしないんですけど、 やっぱり書くのは難しいですね。 受け乾はウソ乾な自分がイタイ。 受け乾を書いていると「あーありえねぇー」と思ってしまう(笑) だけども好きだー!!
5月といえば、ランキング戦で乾が越前にやられてしまい、 マネージャーを兼務しながら実はパワーアンクルで鍛えており、 しかも、海堂の練習メニューの何倍かは忘れてしまいましたが、 考えられないほどの練習メニューこなしている頃ですね! 不二は練習はする子だけど、手塚や乾や海堂ほど練習はしない子だと思うので、 そんな乾を見ながら幸せな気分に浸っているといいよ。
(・・・乾ってばかわいいー)
と思いながら自分は紫外線の多い日差しを避けて木の下でさわやかに 乾の練習する姿を見ていればいい。 もちろん、乾には内緒で。
でも、時々見つかることがあってそんなとき不二はとてつもなく幸せな気分になるといい。
「なんだ、来てたのか」 「うん。通りかかったら乾が練習してたから見てた」 「声かけてくれればよかったのに」
このときが不二はきっと一番幸せだよ。 きっと乾は見られていたことが恥ずかしくてすこしはにかむよ。 いいなぁ、青春ですよ、青春。
中学の時ってこんなに好きな人のことばかり考えてただろうか、と思ったけれど、 思い返してみると、まさしくそうだったな、と納得した。 テストでよい点を取れよりも、好きな人の隣の席になりたいと思ったし、 先生に褒められるよりも、少しでもその人と話してたかったきがするよ。 そして、そんな自分が大好き!みたいなね。 従兄弟の中学生も今そうだもんなぁ。
やっぱりそう言う時代なのか。
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