せきねしんいちの観劇&稽古日記
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すっかり涼しくなったので、衣替えをひさしぶりにちゃんとしてみる。 引っ越して荷物がすっきりと、どこに何があるかわかるようになったので、衣替えも軽い気持ちでできるような気持ち。 箪笥の中身を入れ替えたりしているうちに、引っ越しのときのままで開けてない段ボールが気になり、それも整理してしまう。 と、またしても古いノートを読み出してしまう。 今度は、僕が中学三年の時のノート。 初めて劇場に行って見た芝居、劇団四季の「コーラスライン」の初演の頃の日記、というか、「コーラスライン」に関係ある新聞の切り抜きやらチラシやらチケットやらが貼られた、スクラップブックのようなノート。 1989年のものなので、29年前(!)。セロテープのあとは茶色い四角のしみになってしまっている。 新聞の文字は昔はこんなに小さかったんだとおどろく。 今はベテランの市村正親さんの若かりし日の写真がたくさん。大好きであこがれていたなあとなつかしい。 日記は、舞台を見に行くまでのあれやこれやが細々と書いてあるのだけれど、肝心の舞台のようすは、暗転して最初のナンバーが始まったところで終わっている。 学校から大急ぎで帰ってきてから出かけている14歳の僕は、日生劇場に向かう前に、東京駅の大丸でやっていた「モディリアニ展」ものぞいている。ああ、そうだったなあと思い出す。 10月2日、6時30分開演のチケットは、2階のA列の28番。4000円。 前売りの初日に日生劇場に買いに行ったことも思いだした。 学校の帰りで学生服のままだったので、受付のおじさんに(チケット窓口じゃなくて、ロビーにテーブルが出ていた)「中学生?」と聞かれて「はい」と答えたら、「じゃあ、いい席をあげよう」と言って用意してくれたチケットだったことも。 学校を早く帰るときの先生とのやりとりのようすがおかしい。 一昨年のフライングステージ公演「ムーンリバー」で僕が演じた先生のモデルになっている彼女の言葉が、僕が舞台でしゃべったものととても似ていて笑ってしまう。まあ、彼女をモデルに、というかイメージして書いたのだけれど。 ちょっとここに書き出してみる。
1979年10月2日(火)
で、その日、ぼくは、図書室の放課後開放のための当番なので、 「今日の放課後の図書室休んでもいいですか?」 と吉野先生に言いに行った。 「ちょっと用があるんです。」 「ちょっとじゃ、だめよ。何なの?」 と先生は聞く。 「映画?」 「まあ、そんなもの。」 とぼく。 「何よ、はっきり言わなきゃだめよ。ちゃんと言いなさい。」 「えー、あの、舞台を見に行くんです。」 「まあ、生意気ね。何?」 「コーラスライン、劇団四季の。」 「まあ、ませてるのね。一人でいくの?」 「はい。」 「いくらなの?」 「4千円の席だけど。」 「まあ、負けそう。生意気ね。もう負けてるか。」 「じゃあ、いいですか、今日休んで?」 「はい。」 「さよーなら。」 と話がすんだので、もう急いで帰ってきた。
彼女は、僕が一番影響を受けた教師かもしれない。 今もおつきあいがある高校での中島さんとは違った面で、僕に詩や小説のおもしろさを教えてくれた人だ。 校内暴力でめちゃくちゃだった中学一年のクラス担任で、僕は登校拒否になり、彼女自身も登校拒否になり(!)、二学期半ばで担任を交替したんだった。 当時30歳になったと子どもたちにからかわれていたから、もう60歳になってるんだろうか。 その後、どうしてるんだろう。 なつかしい人のことを思い出した。 日記の日付がちょうど10月2日だったのも不思議なかんじ。 一緒に出てきたプログラムと一緒に、机の上の見えるところに置いておく。
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