せきねしんいちの観劇&稽古日記
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待ち合わせ。モの字くんと渋谷にて。gaku-GAY-kaiの出演について。 ムラポンのウィッグや衣装を担当してくれていた彼。劇団の養成所にいたこともあるということで、ひとしきり芝居の話。「贋作・犬神家の一族」の竹子役をお願いすることにした。
二兎社「書く女」公開ゲネプロ@世田谷パブリックシアター。森川くんと。 樋口一葉を作家として女性として描いた力作。 一葉はたぶん一番好きな作家だと思う。「にごりえ」「十三夜」「わかれみち」「大つごもり」「たけくらべ」。どれを読んでも、頭の中がすっきり整理されるようなすがすがしさをかんじる。 一葉といえば、困窮のなか作品を書き上げ、あともう少しで幸せになれたのに、そのトバ口に立ったところで亡くなってしまう、なんて気の毒な作家なんだという印象があった。 井上ひさしさんの「頭痛肩こり樋口一葉」は、一葉についてのとてもすぐれた、そしておもしろい評伝劇だけれど、ここで描かれる一葉も、自分はもう死んだものと思っている、やっぱり不幸せな一葉だ。 今回の「書く女」の一葉は、しあわせだ。それが何よりびっくりして、何より感動したところ。 明治の文壇の作家達、というか、若い男の子達と交流する一葉。家族になじられながらの作家生活、でも、やっぱり暖かく見守られている。 このしあわせな一葉の姿を見ることができて、僕はほんとにうれしかった。一葉の日記にも、「頭痛肩こり・・」の中でもただ事実としてしか語られない、若い文学者たちとの交流がこんなに目の当たり見られるなんて・・・・。 半水桃水への思いは、とても有名で、あらかたのことは「それは知ってる」ということだけれど、彼が書いていた「胡砂吹く風」という小説、当時の朝鮮を舞台にした日本と朝鮮の共生を描いたものだと知ったのがとても新鮮だった。 同様に、一葉が生きた明治のこの時代が、日清戦争を背景にしたものだということにも、初めてきづかされた。 年表の文字の羅列ではない、その時代を生きている人間の姿を通して、はじめてわかったのだと思う。時代を切り取り、時代を描くというのはこういうことなのだ。 「書く女」には、多くの明治の女達が登場する。田辺花圃をはじめとする彼女たちは、作家として自立しようと、もしくは一人の人間として自立しようとするのだけれど、果たせない。今も昔も人生をおしつけられ、おさえつけられている「日本の女」のありようなのかもしれない。 「書く女」としての一葉の作品に、どれだけ、彼女の生活が反映しているかがとても興味深かった。ああ、なるほどと思うことが多かった。劇中でも語られるけれど、作品とは結句、作家の人生そのものなのだということがよくわかる。 僕は、この舞台から、書くということについての勇気をもらった。ただただ不幸なだけじゃなかった一葉さんに出会えたことがほんとにうれしい。 出演者はみなさん、切ってはめたような好演。一葉役の寺島しのぶの一人になった途端に自由自在になる存在の大きさに圧倒された。机に向かい書き続ける姿の、なんと力強く、勇気づけられることか。映画「恋に落ちたシェイクスピア」のインクで汚れた指のシェイクスピアに並ぶ、書くための元気と勇気をくれる姿になった。
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