せきねしんいちの観劇&稽古日記
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いい天気。夕方の6時を過ぎても、夕日がさんさんと射してとっても明るい。 昨日から読んでいるアンダーソンの「お茶と同情」。以前はそんなに気づかなかったいろいろが、今回はとてもおもしろく感じられる。 それでも、これは同性愛を描いた芝居ではなく、同性愛を「使って」、結局は異性愛を描いたものだ。リリアン・ヘルマンの「子供の時間」が、最後にちゃんと女性同士の恋愛に立ち入ったのとは全然違う。まあ、そこが物足りない。 舞台はニューイングランドの男子校の寄宿舎。男の教師(ゲイ疑惑あり)と全裸で泳いでいたトムが、彼自身もゲイだと噂になり(もちろん劇中に「ゲイ」という言葉は登場しない)葛藤する。それを見守るのは、とっても男性的な教師ビルの妻ローラ。トムは疑いを晴らそうと、誰とでも寝る女の子とデートしようとしたりするが失敗。ローラはそんなトムを痛ましく思いながら、彼のことが心配している。彼女の前夫は、戦地で「男らしさ」を証明するために危険な任務につき戦死した。それと同じような苦しみを味わっているトムをいつしか愛し始めている。そして、彼女はビルに言う。「あなたがトムに辛くあたるのは、彼の中にあなたが一番見たくないものを見ているから」。ビルは、おそらくゲイである自分を押し殺して、逆にゲイを憎む人間になってしまっているというわけ。 彼女の言葉を聞いたビルはローラに「出ていってほしい」と切り出し、二人は離婚するだろうことがほのめかされる。「子供の時間」だったら、ビルは自殺してるところだ。このへんが、この芝居の甘いところというか、踏み込みが足りないところかもしれない(まあ、同性愛を描いてるものではないことは承知の上だけれど)。 僕は、トムとローラのせつない恋はどうでもよくて、このビルのキャラクターが今は一番面白くかんじる。(トムを誘ったとされるハリスという教師は、間違いなくゲイなのだけれど、あまりに存在が希薄なので)。 ものすごく自分を抑圧しているゲイ、このキャラがずーんと発展すると「真夜中のパーティ」の登場人物になっていくのかもしれない。自分のセクシュアリティを前向きにとらえるゲイが芝居に登場するのは、やはり80年代まで待たないといけないということなんだ。
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