せきねしんいちの観劇&稽古日記
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練馬から西武線に乗って座ったら、襟元に虫がとまった気配。びっくりして右手で払いのけようとしたら、少し浮いた襟首から背中に入ってしまった。さらにびっくり! かさかさ動くかんじは、ハエなんかのやわらかい虫じゃなくて、蜂や甲虫系の固い虫の感触。僕もびっくりしたけど、向うもびっくりしたようで、一生懸命出口を探して動いている、その足取りがかんじられる。わあ……。 「ごめん、出ておいで」と襟首を広げたら、すとんと下に落ちてしまって、こんどは右の脇あたりでもぞもぞしている。信じられない! やつは苦し紛れに、噛みついたようで、そいつの足跡をたどって、ちくちくした痛みがある。どうしよう…… やつをつぶしてしまわないように(つぶしそうになってやつがおそろしい反撃に出ないように)、右手を宙に浮かしてキープしている姿はとっても間抜けだったと思う。車内で上半身裸になるのは、さすがにためらわれたので、池袋まで行ってトイレでシャツを脱ごうと考える。でも、がまんできない。痛みとかゆみとかさかさ歩く「音」とそいつの感触! 上に着たシャツを脱いで、中のTシャツのすそを外に出してゆすった。お願い、これでどこかに行ってちょうだい! どんな虫が出てくるかと思ったのだけれど、何もいない。とんでったの? それともまだいるの、どこかに? このあたりでちょっとパニックになる。ちょうど着いた椎名町の駅に、おぼれる人が岸にたどりつくときのような気分で降りて、大急ぎでトイレへ。シャツを抜いで、Tシャツを脱いで、今度こそ何が出てくるかと思ったら…… 何も出てきませんでした。やっぱりさっきの車内でやつは逃れたもよう。そのかわり、背中には足跡をたどるように直径3センチほどの真っ赤な腫れが、首筋から脇にかけて計6個。 蜂が刺したら、もっと痛いはずだし、でも、あの感触は、羽のあるそこそこ大きな虫だった。だったら、一体なんだったんだろう? その後の帰り道でも、妙に背中がもぞもぞして気持ち悪い。微妙な痛みが残っているだけなのだけれど、そこからやつの感触までも再イメージしてしまう。もう、いないってわかってるのに。 バスの中で、ふと、やつがセミだったらどうだったろうと考える。背中に入ってしまったセミ。絶対にありえないんだけど、ちょっと許せる気がしてきた。蜂はいやだけど、セミなら許せる、これは差別か? でも、セミだったら「よく鳴かないで我慢したね!」と言ってあげたいような気分にもなってくる。差別じゃなくてひいきか? そのうち、セミだったよかったのに、いや、きっとセミだったんだと思うようになったころ、背中のいやな感触もうすらいできた。 いつも読んでいるアナウンサーの今泉清保さんのブログで、ホタルについて書かれていて、その中で「じゃんけんで負けて蛍に生まれたの」という俳句が紹介されていたのを夜、読んだ。 気になってよそのサイトで調べてみたら、特攻隊の若者が、じゃんけんで負けて、志願兵として一歩前に出て、死んでいったという話をふまえて詠まれた池田澄子さんの句なんだとわかった(まちがった情報だったらごめん)。 今の小学生は、この句を国語の教科書で習ってるんだそうだけど、恥ずかしながら、僕は、初めて知った。そして、とっても心を動かされた。背景以前に、イメージのひろがり方に感動した。こんな句を授業で知る子どもたちがちょっとうらやましかった。芭蕉や一茶もいいけれどね。 最近、テレビの「世界で一番習いたい授業」という番組を見て30年近く前に僕らの世代が習った知識と今の常識は大きくかけ離れているんだということを知って愕然とした。 人類の祖先、文明の始まり、それに「鎌倉幕府の始まり」などなど、今では僕らがならった知識は「あのときはそうだったけど今は違う」ということになってしまってる。 今の子どもたちはどんな教科書で学んでるんだろう? もう一度、知った気でいるいろいろを、それから、僕らが子どものときにはなかったいろいろを、勉強してみたいと思った。富士見丘小学校の子どもたちの教科書もいつか見せてもらいたいなと思った。
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