あたしの日記
Век живи, век учись.

毎日が闘い。生きてる限り、勉強。
そんなロシアのことわざ。

イクにイケない、あたしにぴったり(笑)

こんなことをしてみました。

2003年10月15日(水) あげまん

ヤンキー母校に帰るというドラマを見ている

あたしは昔から優等生で勉強もとてもよかった
(なのに雪谷高校かよという突っ込みはナシね)
道をはずれるということができなかった

それはたとえば両親が不仲でいつも喧嘩ばかりしていても
そのことに対しては口をつぐみ外にはもらさないようにしていたし
心の中の葛藤とか不満を自分の手でなんとかしなきゃならないと
ずっと思っていたから

宿命とか業なんてことも真剣に考えたし悩んだ
どうして貧乏な家に生まれる人間と生まれついて裕福な人間が
いるのだろうとか健康不健康のことも考えた

自分ではどうしようもない現実があるなんてことは
可能性がいっぱいあったそのころには気づくこともなかった
一生懸命やっていれば道は必ず拓けるものだと考えていた

優等生のふりをしていたから
尾崎豊の歌を最初に聞いたときは衝撃だった
あたしも同じことをしたかったんだ

ずっとずっとがんばってきた
人にうらやましがられる会社にも入れた
抜擢されていい仕事もできた
でも体を壊してひまな部署に移動になった

健康を失ったときに初めて
自分の力だけではどうしようもない現実にぶち当たったような気がした
それでも、重病じゃないだけいい
普通の人と同じ生活ができないだけ
入院生活をするよりましじゃないか
そう思って頑張ったんだ

でも高校を中退してへんぴな旅館で仲居をしているという友人の
風のうわさを聞いてうらやましいと思ったり
ハワイに行ってガイドしてお金がなくなったら日本に帰国するという
友人夫婦のおもしろおかしい話を聞いて
やっぱりうらやましかった

でもうらやましいという気持ちの反面
地に足をつけた生き方をしなきゃならない
そうせねばならない
世間に笑われるようであってはならない
なぜかというとあたしは看板を背負って生きているのだから

そう自分に言い聞かせて生きてきたんだけど
まあ、その看板ってのも自分で勝手に決めた看板だったんだけどね

そんな看板は必要なかった
そんな看板など最初から存在しなかった

やっと最近気がついたような気がする
最初からそうやって思うまま生きていけばよかったのだ


あたしにできたことはせいぜい授業をさぼって池袋の雑司が谷公園で
うだうだと冴えない絵を書くことくらいだった
ほんとは長いスカートはいてかかとをつぶしてズルズルと歩いて
見たかったり原宿でたけのこ族みたいなことしてみたかったり
誰かのアパートで共同生活を営んでみたり
そんなことがしてみたかっただけなんだ

ヤンキー母校に帰る、みたいなワルいのはいなかった
集まってくだまいてくらいの感じ?

そんなもんなんだけどね
ガラス割ったりなんかもなかったなあ
家庭内暴力みたいなのもなかったような
そんな時代だったのかそんな高校だったのか

なにを書きたいのかわからなくなってきたけど
いろいろあるんだな

8年大学行って卒業できなくて除籍になったやつが社長で来年市議会議員
大学3ヶ月でやめちゃって放浪してたやつが2つの会社の社長
大学3年で公認会計士に合格したやつが会計事務所やめて2部上場の社長


そんな現実にやっぱりショック受けているのかな
かなりショックかも・・・
ていうかみんな過去に多少関係あったおとこだぜ

その他の彼氏だってどうなっているか
もしかしたらほかにも社長がいるかも
あたしってもしかしたらあげまんってやつですか?(←バカ)










 <<  INDEX  >>


あたし [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加
エンピツ