*** Diary ***




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2005年11月07日(月) << 
本田美奈子さんが、急性骨髄性白血病のため、亡くなられましたね。
ビックリしたのと、正直ショックでした。ファンだったとかそう言うわけではないのですが、病気が病気なだけに残念です。
昨晩、兄から聞いた母が「病気に負けちゃったんだね」とぽつりとこぼした言葉が、胸に響きました。


白血病と聞くと、他のがんに比べあまり身近にある病気ではないんじゃないかなぁ、と思うんですが、私にとってはあまり他人事ではなかったりします。いえ、別に私が白血病というわけではなく。
10年くらい前だと思います。私の身近な人も白血病にかかりました。うちの母です。母は、急性ではなく慢性だったのですが、白血病にはかわりありませんね。
この頃、まだ学生で、お子様だった私は、いまいちことの重大さをわかっていませんでしたが、父や兄はきっと凄く落ち込んでいたと思います。実際、この時、父の髪はどっと白くなってしまいましたから。
町の小さな病院で看護婦をしていた母は、調子が悪いといって先生に検査して貰ったそうです。結果、白血球が異常に多いため、先生の知り合いが院長をしている国立病院(今は独立医療法人ですが)を紹介して貰い、そこで詳しく検査したところ、白血病だと診断されたそうです。このころは、まだあまり本人に告知したりしなかったように思うのですが、国立病院の先生は「あなたは看護婦だから、黙っていてもわかってしまうでしょうから」と、母に直に告知したそうです。
それから直ぐに入院しました。
母は、とても運がよかったと思います。発見が早期だったこともひとつですが、何よりドナーが直ぐに見つかったことです。
戦後直後の生まれの母は、7人兄弟の6番目でした。既にひとりは亡くなっていたのですが、まだ他に5人兄弟が残っていました。まず、兄弟たちと骨髄の型なのかよくわからないんですが、兎に角移植が出来るかを検査したそうです。で、その中にひとりだけいたんです、移植が出来る人が。本当ならドナーを捜して待たなければならなかったんですが、母は直ぐ身近にいたんです。
入院してからわりと早い時期に、移植手術をしました。先生からは、当時50前後だった母に「高年齢での手術の前例があまりないので、成功するかはわかりませんよ」と言われていたそうです。でも、無事成功しました。
手術してから1年ぐらいして、母に骨髄を提供してくれた伯父は亡くなりました。心臓の発作だったらしく、布団の中でひとりで亡くなっていたそうです。残った兄弟たちは「あんたの中に、おるんじゃね」と言っていたそうです。母もそう思ったようです。
あれから10年。母は今も元気です。後遺症や薬の副作用で、体の中ぼろぼろと言えばぼろぼろなんですが、でも毎日自転車で買い物に出かけ、ご飯を作り洗濯をしています。何より、母は毎日笑っています。文句言ったり、怒ったりするけど、でも、笑っています、私の側で、隣で笑っています。本当に、嬉しいです。このようなニュースを見ると、実感します。お母さん、生きてるんだなぁって。生きてるって素晴らしいことなんだなぁって。
母は「もう、いつ死んでもいいよ」何て言ってますが、まだまだ健在ですよ。未だに病院にひと月に一回は行かないといけないし、涙が出ないし、腰を圧迫骨折してるし、白内障の手術も帯状疱疹にもなりましたけどね・・・元気です。きっと、亡くなった伯父が「お前、大丈夫か。まだまだしっかりやれよ」と見守ってくれているんだと思います。
伯父には本当に感謝しています。遺骨は、伯父がいた大阪ではなく、実家の方の墓に入っています。だから、お盆なんかには、祖父祖母と一緒に、伯父さんにも挨拶しています。伯父さんは亡くなってしまいましたが、伯父さんの命の欠片が、今も母の中で生きています。母も伯父さんも伯母さんも、きっとそう思っていることでしょう。
昔は看護婦だった母が、病気や健康面では兄弟や両親の面倒を見ていたんですが、最近は母が一番重い病気をしたものですから、他の兄弟から心配され面倒を見てもらっています。「なんだか、可笑しいね」と母も笑っていましたが、「いいんじゃない、それも」と私も笑っておきました。
今日も今日とて、病院通いとお買い物。無理をしていることも知っていますが、それでもテレビを見たり馬鹿な話をして大笑いしています。
母に関わったいろんな人に、感謝感謝です。そして、母にも感謝です。


「ありがとう」




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