22sentimental

2005年01月23日(日)
金曜日の夜、病院を訪れる ひさしぶりの消毒のにおいでアタシはもう何年も病院にきていないことに 気がついた。いいことだ、健康な証拠だ。この臭いがなつかしいと思うのは幸せなことだ
じいさんがもう死にそうだと聞いたのは 木曜日の夜。もうあと2・3日の命だそうだ。もう意識はないとゆう
両親そろって次男だったり次女だったりで、じいさんばあさんが 日常に居たことがない。だから本家にも年に数える程しか行かない
だから、じいさんと関わったことはあんまりない じいさんは目が見えないからアタシが来てもわからない
そんなじいさんがもうすぐ死んでしまうとゆう。もう寝たきりになってからは 顔も見ていないのかもしれない
そうして状態の悪くなったじいさんをみんなが忙しいので アタシが夜、看ることになった 病室をのぞくとおばちゃんは疲れきっていて、丸イスで変に丸まって寝てた
どうぞ布団で寝てください、と促して帰す
ひさしぶりに見たじいさんの顔は、じいさんの顔じゃなかった じいさんじゃなかった。また、違う老人がそこにいるようなそんな異様さがあった 髪が少し伸びて、無精ひげがちょろっとはえて、歯もなく、気持ちわるいほど 頬がこけて、小さい体だった。人相は読み取れなかった
酸素呼吸器を付けられて、呼吸をしている。 あぁ、人が生きてることを「息をしている」って、まさにその通りだ 死んでしまって「息がない」ってそうだ
人は呼吸をしないことが死んでしまうってことなんだ
いまじいさんは 脳と肺だけが機能している。あとは、手も足も内臓も関係ない
最後に残るは肺だ。口を開け、時に肩をつかって息をする (脳がまだわずかに働くからそういう顔や肩の筋肉が動くんだろうな)
そのじいさんとふたりきり、アタシは丸二時間過ごす。 アタシは本を読む。じいさんは息をする。 こうして一緒に時間を過ごすのは初めてかもしれない。やっと孫らしいことしてやれるよ
アタシが看てるとき急変したらどうしようかと思ったけれど じいさんをじっと見てると、
なんだか明日にでも死んでしまいそうだけど、このままずっと一年ぐらい生きていきそうだとも思った 息をしていくだけなら、酸素呼吸器だけで生きていけそうな そんな気になった。たとえ本人の意識がなくとも、脳が動く限り。
ときに開けてた口を閉じてしまう、鼻だけで息をしようとする。苦しそうだ 「じいちゃん口を開けて息をしなさい」と 耳も聞こえなくなったじいさんに言う。手がふとんの下で動いたのが分かる
でもあたしは顔にも手にも触れることはできなかった
面会時間の最後までただ何もでずに、じいさんを一人病室に残し帰った
じいさんが息をひきとったのは次の日の夕方だった
呼吸する体力がじいさんになくなったのだ。心臓を動かす力がなくなった 知らせを聞いて夜、尋ねてみたらじいさんが布団で寝ていた
キレイに髪を整えて、髭を剃って、病院で見た苦しそうな表情はしていない おだやかにそこにいた。死んでる人を見るのは3回目 やっぱり「あ、死んでる」って思うのと「もう動かないことが不思議だ」って思う
死ぬって、不思議なことだ。目の前の死体は存在が異様だ
でも、目の前にして怖くなかったのはやっぱりあたしの血の4分の1が じいさんと繋がってるからだろうかと思う。
通夜では初めて親類として最前列で見届けた。
箱に入ってるじいさん。おとといまで、アタシの前で息をして動いていたとは 思えぬほど、微動だにせずそこに収まる。 その顔をあたしは何度も見る。わすれないように、記憶は曖昧になるものだから
じいさん、あんた最期みんなに集まってもらって みんながずっと傍であんたをひとりにさせまいと夜の間居てくれているよ 幸せなことだよ
だから、ちゃんと天国にいきなよ

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