さ〜今月も遠くへ行くぜ!
コロナ?知らん!!
行き先は色々迷った末に山口へ
面子は俺とミッキーの何時ものコンビ(笑)
山口の萩をメインに産業遺産などを見て回る予定です!
GOTOが使えるタイミングだったのですが、GOTO対応の プランを使うと昼過ぎに現地着の翌日昼の便で羽田に戻って来る プランしか見つからず、そんなの行く意味ないじゃん!と GOTOを使わない方向に決めてプランを練り直して 極限まで安く仕上げました(苦笑)
何時も通り、仕事後1時頃に家を出て ミッキーの家近所でミッキーを拾ってから 3時過ぎに『羽田空港』へ到着。
今回は羽田空港を7:20発の便だったので 少し車内で仮眠を・・・・・
6時半過ぎに起きて空港内へ
・・・・・・・・・自粛?って何??って感じで観光客で 空港は賑わっています(嘲笑)
搭乗手続きを済ませて 定刻通りに羽田空港を出発!
大して揺れる事も無く 『山口宇部空港』へ9:05到着。
空港から電話してレンタカー屋に迎えに来て貰い レンタカー屋へ移動
手続きをして出発!
まずは萩を目指して北上する途中で 前回、山口に来た時(過去日記参照)に見そびれたものを 見てから行きましょう!
まずやって来たのは『宗隣寺』 1200余年前に来日した唐僧為光(いこう)和尚により 創建された寺で、室町初期様式の須弥山禅寺庭園があります。 山口県最古の庭園で「龍心庭」と名付けられた国指定名勝です。
寺を見学したいのに、呼んでも係の人が全然出て来てくれずに 不安になりましたが20回くらい呼び鈴を連打したらやっと 出て来てくれました(汗)
庭園は小さいながらも美しくポカポカ陽気な今日 日の光が庭に差し込んで・・・・・寝不足の身としては 気を抜くと意識が飛びそうになります(汗)
睡魔との戦いに辛うじて勝ち、続いて『岡崎八幡宮』へ 市街地にある小さな神社です。
実は
全国でも4社しかない清酒醸造許可を持つ神社で、古くから 鎮守の神として崇敬されてきたレアな神社!!
因みに社前のクスノキの巨木に寄生するシーボルト・コギセルと いう巻貝は、潮の干満につれて幹を上下すると言われ、海上安全の お守りとして珍重されました。 樹齢はおよそ700〜800年と推定されます。
そろそろ腹が減ったのですが、全く飯屋が出て来ず 探している間に着いてしまった『常栄寺雪舟庭』 この庭園は、大内氏29代政弘が室町時代中頃に画聖雪舟に 命じて、築庭したものといわれています。
雪舟庭は禅味あふれる日本庭園の代表作として、国の史跡及び 名勝に指定されています。
庭園と裏山が一体となっていて、紅葉が美しく暫し空腹を忘れ ガッツリと見て回っていました♪
さ〜市街地へ ・・・・・来たのに何で飯屋が出て来ない!!! やって来たのは『三田尻御舟倉跡』 三田尻の御舟倉は、萩藩の水軍の根拠地でした。 藩主の御座船や軍船が常置され、船の建造や修理も行われました。 また周辺には関係者の住宅があり、それにちなんだ地名が残っています。 現在では通堀、これに通じる船入水路の一部を残すのみです。 また、下関の功山寺で決起した高杉晋作は、決死隊を率い、ここ 三田尻(現在の防府市)の海軍局を襲い軍艦を奪取しました。
そんな昔から栄えていた三田尻にある 『三田尻御茶屋』へ 御茶屋とは、参勤交替や領内巡視の時の旅館として、また他藩の 特使等をもてなす時などに使用していた藩の公館です。 萩藩7代藩主で、防府の発展に尽力した毛利重就が隠居後に 住んだ邸宅でもあります。 昭和14年(1939年)防府市に寄贈され、重就の法名に ちなんで「英雲荘」と命名されました。 現在、保存修理工事が進められています。
非常に美しくも広大な日本家屋で、2階まであり見て回るのも 襖の取っ手に全て違う彫刻がされていたり細かい所にも確りと 拘りを感じる造りで予想以上に楽しかったです!
さ〜 空腹が限界だ〜〜〜(涙) コンビニしか出て来ない
が、コンビニに入るのは負けた気がする(滝汗)
そんなこんなで苦悩しながら走る事30分 13:30過ぎにようやく「峠」と言う定食屋を発見!! 速攻で入ります!!
・・・・危なかった 14時閉店だった(汗)
丼ものにうどんをセットで付けて ガッツリと一気に貪り食ってやっと人心地つきました(涙)
ここらは心に余裕を持って穏やかに観光が出来ます♪(マテ)
心健やかに挑む後半戦(ヲ) 最初の目的地は『大板山たたら製鉄遺跡』 砂鉄を原料に、木炭を燃焼させて鉄を作っていた江戸時代の 製鉄所の跡です。 日本の伝統的な製鉄方法は、鉄の原料である砂鉄と燃料の木炭を 炉に入れ鞴(ふいご)を用いて行います。 この時に使う炉を「たたら」と言います。 宝暦期(1751〜1764年)の8年間、 文化・文政期(1812〜1822年)、 幕末期(1855〜1867年)の3回操業していました。
原料の砂鉄は島根県から北前船を利用して奈古港に荷揚げされ、 荷駄で運ばれていました。 ここで作られた鉄は、幕末に萩藩が建造したことで有名な 軍艦「丙辰丸」にも使用されています。
主要施設(元小屋・高殿・砂鉄掛取場・鉄池・鍛冶屋等)の 遺構がよく保存されており、建物跡などの遺構が露出した形で 整備されています。
受付でタブレットを貸して貰えて、それを使って遺構内を見渡すと VRで画面上に当時の建物が建った状態で表示されて見る事が出来たり 結構確りと観光出来る態勢になっていて高評価! ・・・・ま〜かなり山奥にあるけどね(汗) 丁度、今スタンプラリーをやっているそうで、全部回るかは 不明ですが折角なのでここのスタンプ代わりのカードを貰いました。
・・・絶対にここが一番周るのが難易度高い場所だから 他は如何とでもなりそうだし(邪笑)
萩の市外へと進み、海沿いにて 『恵美須ヶ鼻造船所跡』を見学です。 嘉永6年(1853年)、幕府は各藩の軍備・海防力の強化を 目的に大船建造を解禁し、のちに萩藩に対しても大船の建造を 要請しました。 安政3年(1856年)、萩藩は洋式造船技術と運転技術習得の為、 幕府が西洋式帆船の君沢型(スクーナー船)を製造した 伊豆戸田村に船大工棟梁の尾崎小右衛門を派遣します。 尾崎は戸田村でスクーナー船建造にあたった高崎伝蔵らとともに 萩に帰り、近海を視察、萩市小畑浦の恵美須ヶ鼻に軍艦製造所を 建設することを決定しました。 同年12月には萩藩最初の洋式軍艦「丙辰丸」が、また万延元年 (1860年)には2隻目の洋式軍艦「庚申丸」が進水します。
現在も当時の規模の大きな防波堤が残っています。
速攻でスタンプラリー2か所目達成です(笑)
続いては『萩反射炉』へ 反射炉は、鉄製大砲の鋳造に必要な金属溶解炉で、萩藩の 軍事力強化の一環として導入が試みられました。 萩藩は安政2年(1855年)、反射炉の操業に成功していた 佐賀藩に藩士を派遣し、鉄製大砲の鋳造法伝授を申し入れますが、 拒絶され、反射炉のスケッチのみを許されます。 現在残っている遺構は煙突にあたる部分で、高さ10.5mの 安山岩積み(上方一部レンガ積み)です。 オランダの原書によると、反射炉の高さは16mですから、 約7割程度の規模のものになります。
また、萩藩の記録で確認できるのは、安政3年(1856年)の 一時期に試験的に操業されたということだけであることから、 萩反射炉はこのスケッチをもとに設計・築造された試作炉であると 考えられています。
反射炉の遺構は、萩のほか伊豆の韮山と鹿児島の旧集成館に あるだけで、国の産業技術史上たいへん貴重な遺跡です。
因みにスタンプラリー3か所目達成です(笑)
天気が良い日だったので、まだ日は残っていましたが 流石に17時近かったので本日の宿へと向かいます。 宿は『萩』市内に取りました。
「民宿 阿武川」
駐車場に車を停めてチェックイン
御時世ですから体温チェックがあります。
女将のおばあちゃんにまず俺から体温計で計られます。
「30・・・・・6度2分。大丈夫ね!2階の部屋へどうぞ〜」
次にミッキー
「30・・・・・・・・・3」
ゑ!?(汗)
「4,・・・・・・・・・」
あの
うちの連れ大丈夫っすか? 体温34℃って意識障害出るレベルですけど(汗)
って、俺は意識障害ある奴を連れて今日一日 観光していたのか!?(ヲ)
「・・・・・9ね」
「大丈夫ね!」
ゑ!?!?!?!?
「2階へどうぞ〜」
待って待って待って!! え? カキカキと恐らく保健所へ後日提出するであろう書類に 33度だか34度って体温を記入しているおばあちゃん(汗)
提出先でも問題にならない?大丈夫かね??(滝汗)
必死に笑いを堪えながら部屋に通されて 荷物を片付けて・・・・・・・取り敢えず爆笑☆
因みに受付時に、GOTOとは別に萩市でやっている観光促進の 商品券を貰えたのでラッキーでした☆
部屋でゴロゴロしてから食堂で晩飯です。 ま〜予算を押えたのでメニューは米、味噌汁、フライ、 煮物とTHE普通の家の晩飯って感じです(笑)
部屋に戻って、買った地酒を飲みながら ユーチューブで「懐かしのアニメOPメドレー」とか 見出しちゃったので・・・・・気が付いたら23時過ぎてて 折角、温泉を取り寄せている宿だったのに入浴時間が終わってて 入れず(涙) 更にテンション上がってるのに酒が切れて、なのに外出出来る時間も 22時までだったので宿から出れずに・・・(涙)
ま〜風呂に入るのを忘れて飲み足りない!って思えるほど 盛り上がったので良しとしますかね(苦笑)
明日は萩の市内観光がメインですのでマッタリ旅です。 天気は今日と同じくらいに良さそうなので良い観光日和に なりそうですね☆
・・・・低体温症で意識障害のあるミッキーに止めを刺すような 天気と気温じゃなくて良かった♪(マテ)
続く
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