朝
頑張って起床!
朝飯を食ってから、勿論朝風呂へ!
今日も晴天 青い空青い海を見ながら朝からリッチな気分で露天風呂を満喫(笑)
チェックアウトを済ませて10時頃に出発
先の地震で道路が一部通行止めになっていて迂回路がどうこう 宿の人に説明されましたが、結局普通に通行出来て無問題!
・・・あれだけ細かく説明されたのは何だったんだ?(苦笑)
福井の市街地を抜けて山側へ やって来たのは『恐竜博物館』 正式には福井県立恐竜博物館 福井県勝山市村岡町の長尾山総合公園内にある、恐竜を主たる テーマとした自然史博物館です。 カナダのロイヤル・ティレル古生物学博物館、 中国の自貢恐竜博物館と並び、世界三大恐竜博物館と称され、 日本における恐竜博物館の代表格です。
博物館に程近い勝山市北谷町の手取層群北谷層からは、恐竜のほか、 ワニ、カメ、魚類、淡水生貝類、陸生植物などの化石が産出していて この化石発掘現場は、2014年7月から野外恐竜博物館の一部 として、見学することが出来ます。 2009年10月に、勝山市全域が恐竜渓谷ふくい勝山ジオパークと して日本ジオパークに認定され、2017年2月には、勝山で 発見された5種の新種の恐竜の化石標本とその発掘現場が 「学術上重要な標本とその産地として貴重である」と認められ、 「勝山恐竜化石群及び産地」として国の天然記念物に指定された そうです。
流石に肝いり企画だけあって施設は立派 展示も恐竜の化石やリアルな1/1スケールの恐竜のロボット 骨格標本、恐竜だけではなく、その時代の動植物や鉱石など 詳しく、分かり易くダイナミックに展示されていて 大人もガッツリ楽しめる施設です!
・・・ただね〜 平日のAMに行ったのに大量のガキ =奇声と泣き声で五月蠅い!!(怒) 博物館と言うよりはテーマパークとして割り切って行かないと イライラする 展示が素晴らしいだけに残念だ(汗)
お次は『岡太神社』 正式には大瀧神社・岡太神社 福井県越前市大滝町にある神社で、上宮には大瀧・岡太両神社の 本殿が並んで建つが、下宮の本殿・拝殿は両神社の共有となっている 事から、2つの神社の名前が併記されるそうです。 今から1500年ほど前、継体天皇が越前にて男大迹皇子と呼ばれて いた頃、この村里の岡太川の上流に美しい姫が現れて 「この地は清らかな水に恵まれているからこの水で紙漉きをして 生計を立てよ」と、紙漉きの技を里人に教えたといいます。 この教えを受けた人々は、この姫を「川上御前」とあがめ奉り 岡太神社を建ててお祀りしました。 社殿は天保14年(1843年)に建立されたもので、国の重要 文化財の指定を受けた建築です。
時刻は13:30 腹的に良い時間です(笑) 昼飯は『越前』の名物「ボルガライス」を 「越前めん処・江戸屋」にて食べましょう♪
ボルガライスとは・・・
ライス・たまご・トンカツ・ お店のこだわりソース(カレーは除く)が重なり合った 絶品グルメ!!
・・・ま〜このラインナップで不味い訳が無いよな(笑)
福井県越前市の武生地区には、このボルガライスが30年以上前から 地元の人に食べられていました。 しかし、一番気になる名前の由来や発祥のお店については、幾つもの 説があり、未だに謎に包まれているそうです。 【名前の由来その1 ロシア料理説】 ロシアにたまごを使った「ボルガ」という料理があり、 同じたまごを使った料理ということで「ボルガライス」とした。
【名前の由来その2 イタリア地方説】 イタリアのボルガーナという地方で食べられていた料理 に似ているということがから地方名をとり「ボルガライス」とした。
【名前の由来その3 ボルガ川連想説】 ボルガライスのオムライスの部分がロシアのボルガ川で そこをわたるイカダがトンカツという見た目から連想して 「ボルガライス」とした。
その他にもボストンライス説、ロシアの車「ボルガ」説、 ボルガ店名説など様々な説が飛び交っている現状です(苦笑)
ま〜由来が何にせよ美味いので良し!(ヲ)
特盛をガッツリ貪って来ました!!
食後は再び海側へ移動して『右近家』を見学。 北前船主の館「右近家」は、江戸後期〜明治中期にかけて、 日本海・瀬戸内海・上方の諸地域間の物資の流通や文化の交流に 重要な役割を果たした北前船をテーマとした資料館です。
旧河野村の旧船主右近権左衛門家の12代当主の本宅等の建物の 公開と同家の廻船経営に関わる資料が展示されています。 明治期に建てられた本宅や蔵、昭和初期に建てられた西洋館など 重厚で立派な建物が密集している面白い資料館でした。
目の前が日本海なので、特に高台の上に建つ西洋館のバルコニー から見下ろす景色は絶景!! 丁度、日が海に反射して眩しいくらいに煌めいていて 海風も気持ち良くて・・・・・・寝そうになった(汗)
物流手段が車ではなく船だった江戸中期から明治前期、 この辺りは、敦賀湾の入口の側面に位置しており、敦賀と日本海を 行き交う海上交通上の要衝の役割を果たしてきました。 資料館を出て、周辺の『河野北前船主通り』と呼ばれる その当時、買積み廻船として大きな財を築いた右近家、 中村家の屋敷を中心とした200mほどの通りは 古く大きな蔵持の門構えの家々が今なお密集して軒を連ねる 北前船が栄えた当時の賑わいや歴史を垣間みる事が出来る エリアとして散策路として楽しめました♪
帰り道、もう少し時間がありそうだったので 少し足を延ばして『今庄宿』へ行って見ました。 今庄は日野川上流、山間の盆地で、東・南・西の三方を山々に 遮られ、北方だけが開けた県内屈指の豪雪地帯です(汗) 国道365号線(別名北国街道又は東近江路)は 天正6年(1578年)、北の庄城主柴田勝家が信長の居城である 安土城参勤のため、栃の木峠を通る道の道幅を広げ改修したものです。
北陸と京都を結ぶ道は、古代には万葉の道で「山中峠越え」で あったが、平安初期には「木ノ芽峠越え」(西近江路)が開削され、 そして戦国時代には前述の北国街道が整備されました。 以降、京都より北陸に向かうには、木ノ芽峠越えの西近江路か、 栃の木峠越えの北国街道を通るのですが、これらの道は今庄で 合流し、今庄は北陸への玄関口にある宿場として多いに発展しました。
今庄宿が形成され始めたのは、中世に入ってからで、江戸時代に なると北国街道は幹線道路として往来が頻繁となり、今庄は宿場 として完全な形を整えるようになりました。 江戸時代前期の天和3年(1683年)で240軒、幕末の天保年間(1830〜1844)の記録では戸数290軒、人口1300余人で、 旅篭屋55軒、茶屋15軒、酒屋15軒などで、他に問屋3軒や 伝馬所、高札場などがあった非常に大きな宿場町だったそうです。
現在も街道の両脇には古い家々が建ち並び 当時の面影を残しています・・・
何だかんだで今庄宿が良い寄り道になり 時刻は16時
マッタリ帰るとしましょう♪
最寄りのICから高速に乗って、今回は各自定期的に 色々な場所で土産を買っていたのでSAには寄らずに 一気に帰ります!!
途中、浜松SAで小休止をとった以外はノンストップで 進みます。 道中、大きな渋滞も無く順調!
久しぶりの秦野中井ICで高速を降りて 伊勢原駅で解散したのが22時頃だったので良い時間でした♪
福井に1泊の旅も無事に終了! さ〜 泊まった事の無い県企画も残り僅か(汗) 後何処まで持つか!?
取り敢えずは今回も無事に楽しく行って帰って来られたので 良かったです(笑) 次回も楽しく行きましょう☆ お疲れ様でした〜!
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