もへんじょ=だろの不定期更新日記
更新状況が反映されないときはブラウザの「更新」をクリック!

2018年05月09日(水) 3年連続須賀川(笑)

今回の獲物はシャクナゲ

ツツジ&山ツツジ→ボタン→シャクナゲ
3年粘ったが、もう今年で須賀川も限界だね〜
須賀川周辺見尽くしたよ(苦笑)

なので今回は須賀川でシャクナゲを見てから南下して
栃木へ行って凌ぎます(笑)


伊勢原駅前で0時半頃に老ちゃんを拾って出発!

圏央道経由で福島を目指します。


途中、さしたるトラブルも無く明け方には 最寄りの鏡石PAに
到着して仮眠・・・


天気は残念ながら小雨
ま〜今回は山登り無いから平気です(笑)


寝起き、少しマッタリしてから出発
やって来ました須賀川市の『日本しゃくなげ・つつじ苑』


検索サイトで調べるとすぐに出てくるのに
観光HPには載ってい&HP情報が一昨年で止まったまま(汗)

取り敢えずダメもとで行ってみました!(笑)

・・・・・・無い
取り敢えずでナビに入れた住所は空き地(涙)
マジか〜


住所の近辺をウロウロして諦めかけたのですが
HPに載っていた情報に古民家を改装したって書いてあったので
古民家を探して再トライ!


・・・・・・あった!
何もないと思った空き地の奥

古民家の奥に赤や黄色、白にピンク、薄い紫などなど
色とりどりのシャクナゲが♪


因みにシャクナゲ
学術的には

・・・・・・・・・・・・・・ツツジの親戚ですね
見た目も超似てます(笑)


辺りには係員は居らず
・・・・って言うか、人が居ない(汗)
満開のシャクナゲが咲いているのに見る人間が居ないのも
勿体ないな〜
ま〜こっちは贅沢に独り占めできたのでラッキーでした(笑)

さ〜
福島終了〜〜(笑)
早々に撤収!


栃木県に入って色々探します。
福島南部で探すのは流石に限界(汗)


栃木県にてまずは有名な温泉でさっぱりします♪
『板室温泉』の「」

板室温泉は、那須温泉郷の西方那珂川沿いにある温泉で那須塩原市に
ある有名な温泉です。
平安期後冷泉天皇の時代である西暦1509年(康平2年)3月、
下野国那須郡の領主である那須宗重が鹿狩りのため那須の奥山に
踏み入って発見したというのが記録上の起源だと言われています。

以降「下野の薬湯」と称され、近世では那須七湯に数えられる
湯治場として知られるようになったそうです。
泉質は無色透明のアルカリ性単純泉で、湯温は37度〜45度。
板室温泉特有の入浴方法として綱の湯が有名です。

綱の湯は、持ち手となる綱を温泉小屋の梁に結わえて湯浴上に
垂らし、湯治客はこれを握って腰以上の深度のある湯浴に浸かって
湯治を行う。
これが関節痛に効くとされ、初めは杖を必要とした湯治客も
湯治の後には杖が不要となるほどに回復したと云い、これより
板室温泉は「杖いらずの湯」とも呼ばれるようになったそうです。
湯治の後、杖が不要となるまでに回復した湯治客は、板室に鎮座する
板室温泉神社を参拝し、不要となった杖を置いていくのが慣習だ
そうです。

そんな名湯!
まさかの貸切!!
露天風呂にはシャクナゲが咲いていて素晴らしいの一言!!(笑)


思う存分マッタリと露天風呂と綱湯を楽しみ(笑)
風呂から上がり、牛乳で〆♪

温泉宿の中でJRのポスターを発見
そのポスターの寺が見事だったので、今度行きたいな〜って
言ってたら・・・・・・・栃木県じゃん!
しかもこれから茨木に抜ける途中にある!
最高★

行けという事ですね♪

板室温泉から30kmちょい
丁度、今日の最終目的地茨城県常陸大宮市までが80km弱
その真ん中くらいと言う好立地♪

やって来ました『雲厳寺』
雲巌寺は、栃木県大田原市雲岩寺にある臨済宗妙心寺派の寺院。
山号は東山。
本尊は釈迦牟尼仏。
開山は高峰顕日、開基は叟元和尚。
平安時代後期の大治年間(1126年〜1131年間)に禅宗寺院と
しての開山。
当時は、筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺とともに、
日本の禅宗四大道場と呼ばれました。
・・・しかし寺は何時しか荒廃(汗)
それを復興させたのは高峰顕日(仏国国師)で、弘安6年
(1283年)、時の執権・北条時宗を大檀那とし、高梨勝願法印の
寄進のもと、臨済宗寺院として改めて開山したと云われています。

無住妙徳禅師が住職となった天正6年(1578年)、雲巌寺は
臨済宗妙心寺派へ改宗。

天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐では、
烏山城の那須資晴が恭順せず、城攻めの際には付近の住民が
雲巌寺に逃げ込みました。
豊臣方は、北条氏を大檀那とするこの寺を軍事要塞と見なし、
火を放ちます(汗)
ま〜数年後には再建されていますが、何て勿体ない(涙)

歴史に翻弄されて来た雲厳寺
ひとたび入り口の石柱門をくぐると、厳かな雰囲気が漂ってきます。
石柱門の先には武茂川にかかる、朱塗りのそり橋「瓜鉄橋」。
東山五橋にも数えられているこの橋の名の「瓜鉄」とは
「子孫が長く続いて繁栄すること」を意味しています。
その橋を渡り、見上げるほどの石段を登りきると、秀吉による
小田原征伐の焼き討ちにも耐え残った山門があります。
石柱門のすぐ右手に樹齢550年の堂々たる風格のある、杉の大木が
あります。
長い石段の先に山門、釈迦堂、獅子王殿が正面に一直線に並ぶ、
典型的な伽藍配置の寺です。

松尾芭蕉の奥の細道所縁の寺院だけあり、境内の風景や
濃い木々に囲まれた迫力のある造りの寺院や瓜鉄橋など
流石はJRの観光ポスターに使われるだけの事はある
素晴らしい絵になっていましたね〜



さて、景色に感動した後は再度車を走らせて茨木方面へ
ま〜この区間は高速道路が全く無いエリアなので辛いね〜(涙)

途中のコンビニで休憩をはさみつつ茨城に入って『奥久慈』にて
道の駅で昼食を食べます。

ご当地グルメの「軍鶏カレー」と「けんちん漬けうどん」
老ちゃんはカレー
俺は自宅でカレーが続いていたので、流石に出先ではうどん(苦笑)

けんちん漬けうどんは
うどんを熱いけんちん汁に漬けて食べるスタイル
軍鶏カレーは軍鶏肉が入ったカレー

結局、老ちゃんの残したカレーも食べておきましたが(笑)

食後、道の駅の売店で土産を購入後、最後にやって来たのは
『常陸山方城』
山方城は、常陸大宮市山方地域市街地の北側に立地します。
寛永15年(1408年)、関東管領上杉憲定の子の義憲が佐竹氏を
継いだ時、後見として美濃国山方から常陸国に入った上杉一族の
山方能登守盛利が居城としたと伝えられています。
その後、佐竹氏15代義治の第5子の東政義の居城となりましたが、
ほどなくして東氏は小里に移ったとされます。

佐竹系の城館の特徴といえる、川を望む舌状台地上に位置し西側には
高館山、南側には皆沢川が流れる要害の地です。
現在、櫓が展望台として復元されている御城と呼ばれる台地東端が
主郭で、そこから西に向かって中ノ城、外城が形成されていました。
郭の間には空濠の跡もあり、畑や宅地になった現在でも遺構がよく
残っています。

ま〜それよりも立派過ぎる模造天守が素晴らしい
逸品でございます(笑)
思っていたよりもケバくなく、見ていてしっくりと来る模造天守
だったのは嬉しい誤算でしたね(苦笑)


さ〜今日の観光終わり〜〜
帰りましょう!
最寄りの、と言ってもそこそこ下道を走った上で
常磐道の那珂ICから高速に乗り、何時もの美野里PAでは無く
今日の本屋に買い物に行く都合上、次の千代田PAで老ちゃんを
降ろして解散!
時刻はまだ17時半頃だったので、親に迎えに来て貰い
PAを出て行く老ちゃんを見送ってPAで1時間半ほど
仮眠をとってから圏央道を使って帰りました。


いやいや
・・・・5月の須賀川はもう限界!
今回は上手く?須賀川から栃木へとシフト出来たので
来年の5月は栃木へと行き先を移して頑張りたいと思います!(笑)

3年も楽しませてくれた須賀川に感謝を込めて
今日もお疲れ様でした〜(笑)


 ←前の日  目次へ  次の日→


もへんじょ・だろ [HOMEPAGE]