| 2018年02月06日(火) |
マッタリ横須賀巡り♪ |
さて2月に入りました! さっそく今月のイベントです♪
今日は日帰りで・・・・・・・・横須賀!
去年も冬に横須賀散策してますが(過去日記参照) 気にしない、気にしない(笑)
ま〜去年行った城ヶ島公園が帰ってから調べたら実は砲台跡だった 事が分かり、更に更にで遺構も残っていると! 序に三浦半島に点在する砲台などの史跡って見て回った事が 無いな〜って事で、今年も横須賀を中心に三浦半島をウロウロ して来ました!
メンツは俺とミッキー!! 参加者まで去年と一緒です(笑)
去年同様に10時予定で京急三崎駅に集合・・・ だったのですが、お互い遅れて10:20に合流(苦笑)
天気は晴天! やや風は強いですが、気温も高く観光日和です♪
まずは地味にムカつく有料の橋を渡って城ケ島へ! 最初に『城ケ島砲台跡』・・・ま〜城ヶ島公園ですね に到着し、有料のPに車を停めます。
実は去年知ったのですが、一番最初にここのPに車を停めて その時に貰える駐車券を使うと他の島内の駐車場が無料で 使えるようになるんですよ! さて前回とは違い(過去日記参照)今回は要塞のみが目的です! 明治に入り、大日本帝国海軍は1894年に臨時東京湾守備隊司令部 (東京湾要塞司令部の前身)を設置し、三崎に監視哨を置きました。 この地は東京湾要塞の一部として、島東部の台地上に設置された 沿岸砲台。 艦砲を転用した砲塔砲台で、1945年の終戦まで存在したそうです。 中央の花壇が砲座の跡だと言われています。 たしかに砲台が乗りそうな適度な大きさの円形のレンガが 組まれています。
管理事務所に行き他の史跡が残っていないか尋ねると、管理事務所から 回り込んだ先に残って入いると教えてもらったので行って見ます!
少し山道っぽい道を下って行くと東砲台地下施設の主出入り口が見えて 来ました! 現在は入り口は塞がれているものの、見学会などの時のみ開けられる そうです。
入口付近の模様 最初はヤンキーの落書きかと思ったのですが、実は明治時代に描かれた 迷彩柄との事!!! ヤンキーの落書きなぞとんでもない現在も確りと残っている 貴重なものでした(汗)
さて、砲台見学後は島の奥まで車で移動して 『城ケ島温泉』へ 勿論駐車場代は¥0♪ 前回と同じく「城ヶ島京急ホテル」にて日帰り入浴です♪ 城ヶ島温泉と呼ばれるこの温泉 リラックス効果があると言われている人工ラジウム鉱泉 海の見える露天風呂を海と青空一望しながらマッタリと入浴です!
風呂上りは駐車場の近くにあった「まるか」と言う店で 『三崎』名物のマグロを食いましょう♪
俺はマグロ丼 ミッキーはマグロの天丼を注文!
売店のテンションの高いオバチャンと喋りながら マグロを貪ります!!!
で、珍しく俺が味噌汁を零してしまいました(汗) ま〜殆ど飲んだ後だったので4分の1程度のロスで済みましたが・・・
オバチャン「何?零しちゃったの?? あらあら!じゃあもう1杯あげるわ!!」
マジで!? 4分の3飲んで更にもう1杯? 良いの??(笑)
隣りで飲み干したお椀を持って、俺とは違った意味で「マジで!?」 って顔しているミッキーがいました(笑)
食後、島を出て三浦半島を徐々に北上していきます。 まずやって来たのは有名な観音崎に建つ『観音埼灯台』 日本最古の洋式灯台として神奈川県横須賀市、三浦半島東端の観音崎に 立っている灯台です。 白色八角形の中型灯台で、日本の灯台50選の1つ!
続いて『観音崎砲台跡』を見学。 そもそもこの観音崎は千葉県の富津岬のように、東京湾を塞ぐように 湾に向かって突き出す形になっています。 観音崎は帝都東京を守る東京湾要塞の一角として、日本軍により明治 時代から砲台が築かれ立ち入り禁止の要塞となっていました。 現在は観音崎公園として開放され、市民の憩いの場になっていますが、 公園内各所にて荒廃しているとは言え数多くの砲台跡を見る事が 出来ます。 28サンチ榴弾砲が設置されていた「観音崎第三砲台跡」 砲台跡の横には、弾薬庫だろうか、レンガ造りの施設があります。 フランス積みですね。
休憩所の様に一番綺麗に整備されている「観音崎北門第一砲台跡」 観音崎北門第一砲台跡から細い山道へ入っていき、東京湾海上 交通センターへ。 東京湾海上交通センター近くの南へ下るトンネルの手前にある 「観音崎北門第二砲台跡」
どの砲台も荒廃具合の差はあれどレンガ造りの確りとした遺構が 残っていて見応えのある良い場所でした♪
続いて車で移動して・・・近くに駐車場が無かったので 近辺のホテルにて缶ジュースを買ってシレッっと車を停めたまま 『三軒家砲台跡』へ(マテ) 地形的に観音埼灯台をとり囲むように、観音崎の台地に砲台の跡が 残っています。 ここのその1つです。 そもそも三浦半島の要塞の歴史はかなり古く、文政4年(1821年) 以後より浦賀奉行所によって管理され、その後は慶応4年 (1861年)から江川太郎左衛門が引継ぎ、明治以後は、 海軍省から陸軍省へと引継がれ、昭和20年(1945年)の 終戦まで軍により管理されました。
砲台や火薬庫の跡など、今でも石組やレンガ造りの跡が残っていて 好ポイントでしたね!
続いて横須賀の市街地へ移動して、大型スーパーで本等を購入して 駐車料金を¥0にしつつ徒歩圏内に「うみかぜ公園」内にある 『東京湾第三海堡大形兵舎』を見学です! 東京湾第三海堡とは、東京を防護するため東京湾口に設けられた砲台を 設置するための人工島です。
明治25年(1892年)の着工以来、当時の土木・建設技術を 結集して30年間に及ぶ難工事の末、大正10年(1921年)に、 竣工しました。 しかしながら、わずか2年後の関東大震災によって崩壊し、海中に 没してしまいました(涙) 関東大震災で大破した第三海堡は、その後も波浪により崩壊が進み、 半ば暗礁化(汗) 第三海堡は浦賀水道航路に接しているため、付近の水域では 海難事故が多発するようになり、 航路の安全を確保するため、第三海堡を撤去し水深23mを 確保する工事が始まりました。
撤去工事は平成12年(2000年)から平成19年(2007年)に 亘って実施されました。 その間、撤去構造物の内、大兵舎と呼ばれる構造物はうみかぜ公園 に移設され、探照灯、砲台砲側庫、地下通路、観測所と呼ばれる 4つの構造物が、追浜展示施設(民有地)に保存・展示されて いました。
しかし、撤去工事終了後の展示施設の維持が難しくなったという事で 移設場所がなければこの貴重な遺産が廃棄されるとの話が伝わり、 ぜひ追浜地区内に残したいとの声が起こりました。 しかし、いずれもかなりの重量物で陸上輸送が出来ず、海上輸送で クレーンのアームが届く範囲にしか移送できないなど、困難な条件が 様々ありました。 巨大なコンクリ製の為、大きさ重量などの都合で移設出来ないと された大形兵舎のみが公園内に残された理由です。
折角なので残りの移設された『東京湾第三海堡遺構群』も見たいと思い やや迷子になりましたが移設先の展示場へとやって来ました。 見学日が決まっていて、それ以外は入れませんが外からでも結構遺構が 確りと見る事が出来たのでダメモトでも来て見て良かったです♪
で、見学後16時 俺とミッキーがやっているソシャゲの更新時間です(ヲ)
1時間ほど黙々と・・・いや、大騒ぎしながら車内でゲームタイム(笑)
すっかり日も暮れて(苦笑) 晩飯を食って帰ります 『横須賀』と言ったら「横須賀海軍カレー」
商店街の中のコインPに車を停めてから調べておいた 海軍カレーのアンテナショップに向かったのですが、2階のレストランは 夕方で営業を終えていました(涙) どうするかと辺りを見渡していたら・・・・・ 「ココ壱番屋」を発見
・・・・・・・・・カレー屋だよな〜と 店内を見てみると
! あった!! 当店限定って書かれた「横須賀海軍カレー」
良かった〜 これで食える!!
勿論大盛を注文♪ 何だかミッキーが1つ小さいサイズを注文していますが きっとマダホンジョウシジャナイカラサ〜が発病したのかな??
カレーも食って満たされて・・・
さて、帰りますか〜 帰り道は混でるだろうな(涙)
ココイチが駅近だったので、駐車場で精算を済ませた後は 電車で帰るミッキーと別れて夜の134号線をダラダラ帰りました(笑)
思っていたよりも道が空いていてスムーズに帰れたので良かったです。
20時過ぎには帰宅
・・・ま〜珍しく朝から起きて動いていたので結構眠いです(笑)
意外と駅前と城ヶ島以外は中々立ち寄らない横須賀三浦半島を 満喫できた1日でした!
・・・・・・そう言えば、去年の冬にもミッキーと横須賀&三崎に 遊びに行ってたな(笑)
来年はどうしよう?
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