| 2017年07月20日(木) |
京都トロッコ&夏花見♪ |
京都へ! 我々としては非常に珍しく、前期は京都来訪0でした! (過去日記参照)なので2年振りの京都になります!!
・・・そして、最近は東北と北陸ばかりだったので4月の岡山以来 (過去日記参照)の西行きのイベントでもあります!
今回は洛中・・・・ではなく、メインは 保津峡のトロッコに乗るのと亀岡の桔梗&白川の柳!!
メンツは俺、キタイ またも有休届を上司の机に叩きつけて来たもりへー(笑) そして最近、トロッコと言うと来る気がするジュンさんの4人(笑)
0時に伊勢原駅集合だったのですが、俺は俺で昨日まで7連勤の上 最終日は鬼の1人閉め体制だったりで伊勢原に着けたのが 0:40(汗)
更にジュンさんは仕事の早上がりに失敗して0時過ぎに川越を 出発状態(滝汗)
取り合えず、伊勢原で待っていてくれたもりへ―とキタイを拾って、 ジュンさんから到着の連絡が来るまで近所のバーミヤンで晩飯を 食ってました(笑)
2時頃、ジュンさんが我が家に着いたと連絡があったので 速攻で俺の駐車場にジュンさんの車を停めても貰い、俺の車にて 京都目指して出発です!!
秦野中井IC通過が2時半前か〜(汗)
久し振りに通ったものの、相変わらずの長さに不満しか出て来ない 静岡エリアを抜けて、愛知の岡崎辺りで眠気で俺ダウン(涙)
少し仮眠を取ってから再出発しようと思っていたのですが そのままジュンさんが運転を引き継いでくれると言うので 運転手交代でそのまま進みます!!
朝の7時半には京都の亀岡市に到着していました♪ 7月は祇園祭の最中なので、最初はトロッコの当日券が買えるか不安 だったので朝一で当日券を買ってから当日の動きを考える予定だったの ですが、意外と空いていて楽勝で買えました♪ 折角なので亀岡〜嵯峨野の始発に乗りたいと思います!
最初は空いていた駅前も、トロッコの発車時間が近づくと 団体観光客を乗せたバスが何台も駅前にやって来て、あっと言う間に 大混雑に(汗) 辺りに響く大声大騒ぎのシナ語がマジで不愉快だわ!!!(怒)
ま〜気を取り直して、やって来たトロッコに乗り込んで 夏の京都観光のスタートです♪
亀山から嵯峨野を『保津峡』の渓谷を通って運行しているトロッコ なので勿論車窓からは初夏の日差しに照らされた渓谷の木々や水辺の 風景を堪能する事が出来ました♪ 丹波高地を発した桂川は、亀岡盆地から京都盆地に出るまでの 11.5kmにわたって愛宕山南麓の狭隘な山間部を蛇行して流れている エリアで、この山間部の渓谷が保津峡と呼ばれています。
嵯峨野駅に到着 ・・・・・・・・・・・・・・・暑い 気温は午前中なのに31度ってヲイ!!!(滝汗)
日差しに負けずに観光です! まずはもりへ―のリクエストで『渡月橋』を見に行きました。 駅から徒歩で15分くらいかな?
嵐山の大堰川に架かる橋で、嵐山の代表的な風景のひとつ! 古くは平安時代に空海の弟子、道昌が大堰川を修築したおりに架橋 されたものといわれており、橋の名は亀山天皇が名づけたと 伝えられる京都を代表する風景の一つです♪
渡月橋を見てから、そのまま川沿いから周り込んで 『嵯峨野竹林の道』へと移動♪ 竹林の道は、大河内山荘から野宮神社の間を約200mにわたって 続く風情のある小道です。 周辺には嵐山や世界遺産の天龍寺などがあります。 竹林の道も京都の代表的な観光名所の一つ!
涼しげな竹林を歩いて行きます・・・・・が、暑い(汗) 涼しげなのは見た目だけで、竹林で覆われているので風が 奥まで入って来ずに暑いです(涙)
そんなこんなで竹林の途中で『野宮神社』も参拝 天皇の代理として伊勢神宮に仕える斎王が伊勢に赴く前に身を 清める場所であり、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた清浄の地を選んで 建てられた神社。 その様子は源氏物語「賢木の巻」にも描かれている事から源氏物語 所縁の場所としても有名です。 野宮じゅうたん苔と呼ばれる小さいながらも、美しく苔に覆われた 見事な庭園を流れてくる汗をシカトしつつ眺めます(苦笑)
で、ゆっくりし過ぎて帰りのトロッコに乗り遅れる悲劇(マテ) 1分差で目の前でトロッコは行きました(汗)
ま〜次を1時間も持つ気は無かったので、隣りのJRの駅から 亀岡駅までサクッと移動! 往復分¥1000くらい無駄にしたが・・・・ ま〜楽しいのでOKです!(マテ)
亀岡に戻って来て、トロッコの駐車場まで戻ってから 亀岡観光です! まずは『谷性寺』 谷性寺は光秀が信仰した寺で、光秀公首塚があります。 境内に供養の桔梗咲いています。 因みに桔梗は明智光秀の家紋。
寺の門前に『亀岡ききょうの里』があり、今は丁度「桔梗祭り」の 最中だそうです! 「ききょうの里」には、約5万株の桔梗が育てられていて、紫や白色 の桔梗をはじめ、珍しいピンクの桔梗や沢ききょう、八重咲きの桔梗 も観賞することが出来ます。
亀岡から京都の洛中へと今度は車で移動 何故だか無性にカツカレーが食いたかったので、途中のココイチで 昼食です(笑) カレーを食って大満足で後半戦へGO!
お次も京都を代表する風景の一つ『白川一本橋』 白川は、川底の砂が白いためその名で呼ばれます。 そんな白川に架かる石造りの小さな橋。 最初の架設年は不明で橋本経亮の橘窓自語(1786年)に、 一本橋としてあるのが文献上の初出です。 比叡山の荒行、千日回峰行を終えた行者が京都の町に入洛する際、 最初に渡る橋とされています。 なので行者橋ともいわれています。
白川でもこの辺りは川の両岸に柳並木が続く美しい風景で有名です!
川面に移る柳の葉が風に揺れて涼しげです♪
・・・・・・・・・・見た目はな!! 暑い!!!
風が吹いても暖かい空気がジットリ動くだけで涼しさは皆無(汗)
ここでも汗だくになりながら見学を済ませて次へと移動です・・・
やって来たのは『壬生寺』 京都市中京区壬生にある律宗大本山の寺院。 本尊は地蔵菩薩、開基は園城寺の僧快賢です。 中世に寺を再興した融通念仏の円覚上人が創始したとされる 「大念仏狂言」を伝える寺として有名ですが・・・ 新選組所縁の寺としての方が有名ですね(笑) 寺の裏手の屯所跡である邸宅は現存で、寺の見学後に立ち寄って 見て来ました。 案内の爺さんが城好きで、何気なく「100名城全部行きました」と 言ったらドエライ勢いで食い付いて来て話が盛り上がって しまいました(笑)
今日最後のポイント『島原大門』へ急ぎます。 島原大門は、京都の花街である島原の東入口にあたる大門で、高麗門 形式である京都市の登録有形文化財。
島原は、寛永17年(1640年) または寛永18年(1641年) に六条三筋町から移転した日本初の幕府公認の遊女街。 当初は東側の大門のみであったが、享保17年(1732年)に西門が 設置されました。 大門は明和3年(1767年)に現在地に付け替えられ、慶応3年 (1867年)に現在の門が建てられました。
当時は周囲を塀と堀で囲み、大門を一か所に設ける当初の構成は、 江戸の吉原、大阪の新町と同様に、遊里を隔離し、遊女を疎外する 目的で作られている。 大門外には、近世、遊郭を訪れる客に、顔を隠すための編み笠を 貸した編み笠茶屋があったそうです。 また、大門口を入ったところには出口の茶屋なる客を待たせ、 揚屋の門口まで送っていく施設もあったそうです。
八つ時(午後二時頃)に大門を開くことを八門とも言ったそうです。
予想以上に大きくてちゃんと現存していて吃驚でした!
さて!辺りはまだまだ明るいですが時刻は17時過ぎなので 流石に帰路につきます(苦笑)
高速に乗るまでに1本道を間違えたせいで若干迷子になりかけましたが 無事に?高速に乗って、まず最初のSAである大津SAにて各自トイレ に行ったり土産を買ったり、飲み物を補充したりして小休止
そして、朝からずっと運転してくれてたジュンさんからハンドルを 引き継ぎます!
帰りの高速は特に渋滞も無く、順調に進みました。 順調過ぎて、新東名で気が付いたら何回か140kmとか出てて慌てて 減速したりとありましたが(汗)
途中、沼津SAで小休止ついでに給油を済ませてから秦野中井ICより 下道へ出たのが22:10 一応、時間的にはまだ余裕があったのですが、この先道が混雑して いたら危ないってのでもりへー&キタイの電車組を今日の精算後、 秦野駅で降ろしてから職場からの電話で頭を抱えて苦悩し出した ジュンさんを乗せて、何時もの本屋経由で帰宅しました(ヲ)
家の前で自分の車に乗り換えて帰るジュンさんを見送って本日の イベント終了〜
いや〜 久し振りの京都! しかも人数集まって4人!! 更に運転手2人体制!!! そんなに混雑もしておらず、花も見れてと良い事尽くしな イベントでした♪
・・・・・・・・・・・暑かったけどね(汗)
弾数の多い京都とは言え、流石にネタが尽きてきましたが それでも再度行きたい場所とかでまだまだ粘れるはず!(笑)
出来れば今期はもう1回は京都に行こうと思います!
その時も今日みたいに良いイベントになると良いなと思います♪ それでは今回もお疲れさまでした〜
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