もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2016年11月24日(木) 3度目の沖縄本島♪(前)

超久しぶりに沖縄へ行って参ります!!!


・・・前回(2回目)行ったのは、第5期の2009年の11月
だったので(過去日記参照)
・・・・・・・7年振りですか!!(汗)


メンツは俺、老ちゃん、ミッキー、コチヤとこれもまた久しぶりに
3人越えで4人集まりました♪



何時もの様に、前夜から出発!
1時に家を出て茅ケ崎でコチヤを、神大寺のコンビニでミッキーを
横浜駅の東口で老ちゃんを=何時もの場所で拾って全員集合(笑)

何やら東京や神奈川は今夜から雪で、しかも結構積もるかも?何て
天気補予報で言っていたので、昨日から皆大騒ぎしていましたね〜

・・・・皆、頑張ってね☆
俺ら、雪とか超、関係無い沖縄に行ってるけど(邪笑)




明け方『羽田空港』に到着。
流石に寒いです(汗)

車内で1時間半ほど仮眠を取ってから空港内へ

座席などは全て指定済みだったの、後は搭乗手続きを待つだけだった
のですが、時間が有ったので前回の種子島&屋久島のイベント
(過去日記参照)の時、コチヤに
「先輩の利用頻度だったら絶対に貯めた方が良いです!勿体無い!!」
と強く勧められていたマイルのカードを作る事にしました。

で、申込用紙と仮カードを発行して貰い、今回のポイントから
貯まります♪

そんなこんなで搭乗手続きを済ませて、羽田空港を定刻通り
6:20に出発!


フライト中、何時もの様に爆睡です(笑)
『那覇空港』へは定刻は9:05着予定だったのですが、向かい風が
強かったらしく20分遅れて到着。

・・・20分も遅れる程そんなに揺れたかな?
全く上空の記憶が無い(汗)



飛行機から降り、レンタカー・・・の前に、空港から出てすぐ
ゆいレール『那覇空港駅』へと移動して見学です♪(ヲ)
沖縄県那覇市字鏡水にある、沖縄都市モノレール線の駅で駅番号は1。
東経127度39分8秒にあり、JR以外の第三セクターの駅を含めると
日本最西端の駅です(笑)


駅の改札の前で記念碑を撮影!

いや〜しかし、暑いと思ったらやっぱり沖縄県人は半袖だね!
しかもそこそこ短パン&サンダルの人も居ました(笑)


駅を見学後は迎えに来たバスに乗り込んでレンタカー屋へ移動。

流石は沖縄・・・混雑しているカウンターで並んで待つ羽目になり
やっとこさレンタカーを借りられて出発です(汗)

まずやって来たのは『浦添城址』
今回は今まで沖縄で見て来た城は有名処ばかりだったので
(過去日記参照)、今回はマニアックだけど見応えのありそうな物を
見繕ってチョイスしてあります!!
浦添グスク(城)は首里城以前の中山王城として築城されました。
発掘調査から十四世紀頃の浦添グスクは、高麗系瓦ぶきの正殿を中心に、
堀や石積み城壁で囲まれた巨大なグスクで、周辺には王陵、寺院、
大きな池、有力者の屋敷、集落などがあったと考えられています。
後の王都首里の原形がここで出来あがっていたようです。

王都が首里に移された後、浦添グスクは荒廃しますが、1524年頃から
1609年の薩摩藩の侵攻までは浦添家の居館となりました。

太平洋戦争時の沖縄戦では、日米両軍の激しい戦闘により、戦前まで
残っていた城壁も大部分が破壊されました(涙)
ですが、これまでの発掘調査によって、石積み城壁に基礎や、敷石遺構、
建物跡などが良好に残っている事が確認されています。

現在では復元なのかな?
かなり立派な石垣の城壁などが建ち並び、異国感のある不思議で
素晴らしい風景と出会えて午前中から大満足です♪


続いては『知念城址』
知念城は代々の知念按司の居城であったと思われますが、築城時期に
ついては不明です。
構造としては古城(こーぐすく)と呼ばれる野面積みの郭と、
新城(みーぐすく)と呼ばれる切石積みの郭が東西に連なり、連郭式の
構造となっていますが、両者はかなり築城時期が異なるそうです。

古城は12世紀末から13世紀頃の天孫氏時代に築城されたと云われ、
新城は15世紀後半に第二尚氏・3代目尚真王の異母兄弟にあたる
内間大親(うちまうふや)が築いたと云われています。

海を見下ろせる場所に築かれた石垣や城門などが広範囲に
現存しており、海の目の前の高台にあって良く台風などで今まで
壊れなかったと当時の建造物のレベルの高さに改めて驚きました。

続いて訪れたのは『糸数城址』
糸数城跡は、現在の糸数村落南側の断崖上に築かれた古城で、築城年代は
不明ですが、玉城按司が次男を大城按司に、三男を糸数按司に任したと
いう伝説があり、おそらく「三山分立時代」の初期14世紀前年の
築城であろうと思われています。

城壁は野面積みと切石積みと両方用いられ、切石積みの部分が最も高く
約6メートルで、この上に立つと太平洋と東シナ海が眼下に望めます!
構造的には比較的単純な城で、西側は断崖を利用し、東北東に城門を
ひらいています。
城内の随所には遺物包含層がみられ、そこからは土器に混じって
中国製品の陶磁器類が発見されたそうです。

ここは最初、見た時は石碑と石垣の一部しか見えずに
正直大した事無いかな〜と思いましたが、少し奥に入り木々を
抜けると・・・・


巨大な石垣が左右に長々と広がり、城門も立派で感動しました!!
どうしてこの規模、レベルの城がガイドブックに載っていないのか
本当に編集の知性を疑いますね!



さて、今回の旅で唯一の予約制だった『ガンガラーの谷』
へと時間が近づいてきたので急ぎ向かいましょう♪

ここは完全予約制で、予約した出発時間に合わせて集合しなくては
いけないので、今日の行程は全てこの見学に合わせて組む羽目に
なりました(汗)

13:40の回で予約をしたのですが、意外と予定より早く着いて
しまい、駐車場周辺の花や木などをウロウロ見学して時間を
潰しました(笑)

ガンガラーの谷は、数十万年前までは鍾乳洞だった場所が崩れてできた、
豊かな自然が残る亜熱帯の森で、約1万8000年前に生きていた
日本人の始祖とも云われている古代人「港川人」の居住区としての可能性
も高く、今も発掘調査が行われています。
谷の広さは約14500坪、見学コースの歩行距離は約1km。

入り口の洞窟を利用したカフェで集合を待ち、時刻通りに見学開始!
サービスのさんぴん茶が入った水筒を頂いて出発です♪

木々の濃い森の中の道をガイドさんの案内とともに進んで行きます。
両サイドが聳え立った崖に挟まれていて、昔はこの崖と崖の上に
岩盤が乗っていて洞窟でした〜と言われても、規模がデカくて
上手く想像出来ないですね(汗)

そのまま進んで行くと「イナグ洞」「イキガ洞」と呼ばれる
洞窟が出て来ます。

命の誕生を願う洞窟と云われていて、イナグ洞内には乳の形をした
岩があり、イキガ洞内には天井から男性器の形をした岩が生えており
子宝や安産を象徴しているそうです。
イナグ洞はかなり狭く、急で危険で入れないのですが、係りの人が
命綱を付けて降りて行って撮って来てくれた写真を見せて貰いました!
危険手当貰った??(汗)
イキガ洞はランプを借りて奥まで入って行って見て来ました。
洞窟内で川が流れているので水の音が凄かったです!

岩が滑り落ちて来て、違う岩に引っかかって崩落が止まっているだけの
危険な場所が普通に巡回コースの道だったりでビックリだ(笑)

更に奥へと進んで行き出会うのは森の賢者と呼ばれる
「大主(ウフシュ)ガジュマル」
圧倒的な風格をたたえた緑の長老で、ガンガラーの谷の番人だそうです。
何百生きてきた今もゆっくりと成長を続けており、この前で順番に
皆で記念撮影をしました♪
谷のスタッフが手作りしたツリーテラスに登って、樹上から見る森は
圧巻!!海の碧さと空の蒼さも素晴らしく、まさに南国の光景!!

人骨が発掘された石棺や日本最古では?と言われる貝で作った釣り針や
石器などの発掘現場なども間近で見れて良かったです!


ガンガラーの谷を出口から出ると入り口の向かい側にあった
複合施設「おきなわワールド」の中に出ます。

取りあえず、昼飯にブルーシールのアイスを食いました(マテ)
俺とミッキーはアイス
唯一コチヤだけがご当地グルメの「タコライス」を食ってましたね(笑)

食後、この施設内にある『玉泉洞』へ潜ります。
玉泉洞は、ホモサピエンスがアフリカで誕生するはるか昔、30万年
の時間が創り上げた鍾乳洞です。
1967年3月、沖縄がアメリカ統治にあった頃、愛媛大学学術探検部の
調査隊山内浩教授によって玉泉洞の最初の探検・調査が行われ、
その全貌が明らかにされました。
鍾乳石の数は100万本以上で国内最多、全長は5000mで
国内最大級といわれる天然記念物の洞窟です。
現在890mを公開、残りのエリアは研究用として保存されています。

珊瑚を主成分とした琉球石灰岩でできた玉泉洞は、他の鍾乳洞に比べ
鍾乳石の成長が早く、3年に1mmというスピードで成長しています。
鍾乳石の成長が早い理由は、沖縄の気候が影響しています。
熱帯・亜熱帯地方の気候は多量の雨水をもたらします。
また土中の微生物は暖かい地域の方が活発に活動するので、より多くの
二酸化炭素を排出します。
雨水はその二酸化炭素を取り込んで弱酸性となり、石灰岩を溶かし
込んでいきます。最後に雨水は洞窟の空間へと染み出し、水と石灰岩の
成分が分離して鍾乳石が形づくられていきます。

思っていたよりも過剰なライトアップも無く、鍾乳洞特有の湿度で
眼鏡が曇りながら見学して来ました(苦笑)


鍾乳洞から出ると、また出口は別の場所
で、戻るには延々と土産物屋や飯屋の中や前を通らないと行けない
構造にイライラ(怒)

ま〜空腹に負けて途中の飯屋でソーキそばや沖縄そば、南大東島の名物で
ある甘しょっぱいタレに漬け込んだ大東寿司などを遅い昼飯を
食いました(苦笑)



本来だとこれで今日の観光は終わりの予定でしたが、まだ結構時間に
余裕があり、天気も良く日が残っていたので『首里城』も今日の内に
見学しちゃいます♪
俺と老ちゃんは来た事がありますが、ミッキーとコチヤは来た事が無い
と言うので行っておきますかね〜

かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあった
グスクの城趾です。
琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城で日本100名城の1つ!
首里城は、戦争で焼失する以前は1700年代に建てられた正殿などが
あり、国宝に指定されていましたが、1945年の沖縄戦でアメリカ軍の
攻撃によりグスクの建造物はすべて焼失(涙)
1992年に正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元されました。

緩やかな坂道を登っていくと、まず最初に見えてくる守礼門。
2000円札で有名になりましたが、皆が思っているよりも規模が小さく
初見では絶対に気付かずに素通りします!
案の定、ニヤニヤして見ていたら俺の隣りを歩いてきて気付いたコチヤは
ともかくミッキーは気付かずに通過して、教えてからダッシュで戻って
写真を撮っていました(笑)

守礼門を過ぎると、歓会門が見えてきます。
琉球王朝時代、首里城には中国皇帝の使い「冊封使」が招かれていま
したが、この門には一行を歓迎するという意味を込めてこの名前が
つけられました。
ほかの建造物同様、沖縄戦で焼失しましたが1974年にこれも復元
されました。
門を潜ると鮮やかな朱色が美しい首里城正殿が出て来ます。
門をくぐると「御庭(うなー)」と呼ばれる中庭広場の
空間が広がっています。
ここは年間を通じて様々な儀式が行われた場所だと云われています。

有料ですが、折角なので正殿の中に入り中も見学して来ました。

・・・ま〜この正殿の中で価値の有るものって実は唯一現存している
1階のガラス床から見下ろせる石の遺構だけなんですけどね(苦笑)

正殿から出ると流石に日が陰って来ていて薄暗くなっています。

首里城全体がライトアップされていて、短い滞在時間でしたが
昼と夜の2つの顔が見れてとてもラッキーなタイミングで来ましたね♪


さてさて、流石に今日の観光は終了です。
本日の宿の有る『那覇』へと移動します。
宿泊先の「ダイワロイネットホテル那覇おもろまち」は
ゆいレールおもろまち駅の目の前!
すげー高級なホテルで場違い感が凄いです(汗)

チェックインを済ませて各自割り当ての部屋へ移動して荷物をパージ!

カードキーでオートロックなのまでは理解出来ました。
ホテルの入り口の自動ドアとエレベーターもカードキーでオートロック
なのには驚いた田舎者でした(苦笑)

疲れたので部屋で早めに寝ると言う老ちゃんを置いて3人で飲みに
出かけます♪

町中をウロウロ探し回った結果「しゃらく」と言う串焼き?の
店に決定!

「マダホンジョウシジャナイカラサ〜」と今夜も気合十分のミッキーの
呪文で飲み会開始です!!


泡盛を飲みつつゴーヤチャンプルー食って、揚げ物食って、
串焼き食って、泡盛飲んで、角煮食って、泡盛飲んで、
刺身食って、キムチチャーハン食って、泡盛飲んで・・・

「マダホンジョウシジャナイカラサ〜」絶好調だな☆

飯食った後、街中をうろつきながらTSUTAYAに立ち寄ったり
してから最後にコンビニで買い出しをして0時頃にホテルに戻って
来ました。


何やら明日も天気は良いらしいので2日目も楽しみです!
それでは初日、お疲れさまでした〜



続く


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