もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2016年02月26日(金) 神戸西側〜日帰りですけど何か?〜

今日は日帰りイベント!
行き先は・・・・・・・神戸!!



の、西側
ぶっちゃけ姫路の手前の加古川まで行って来ました♪
日帰り最長西進記録更新です(笑)

メンバーは俺、ゲレゲレ、ミッキーの運転手3人の楽勝パターンです!


実は俺、4日くらいずっと体調不良でした(汗)
熱は下がったのですが、咳だけがずっと続いて怠い状態です。



・・・・なので遊びます!(マテ)
調子に乗って体調不良なんぞに陥ったダラけた体に活を入れます!!




1時頃、ゲレゲレ車で2人が我が家に到着。
今回はそのままゲレゲレ車で行く事にします。

俺のマスク姿を見て「マジで!?」「インフルじゃないだろうな?」と
大騒ぎ&ドン引きする2人を黙らせて軽快に出発(ヲ)

そのままゲレゲレの運転で進みます。
東名に乗る前に給油を済ませたので、後は関西地方までは
無給油で行けますね!



途中の三重の御在所SAでゲレゲレと運転を交代して
俺の運転で更に西へと進みます!
助手席のミッキーと暫し話していたのですが、気が付いたら寝落ちして
いたので孤独に関西地方へと突入です(涙)

早朝、最初の目的地がある神戸市の西にある小野市に到着です。
最寄りの三木SAにて停車して俺も仮眠を取ります・・・


ま〜仮眠のつもりが誰も起きずにグッスリ寝てしまい、起きたのが
8時半だったのでビックリでしたが(苦笑)

ま〜それでも最初の目的地『金鑵城址』には9:30前に到着。
金鑵城は、築城年代や築城にについては定かでないそうですが、播磨
守護赤松氏の家臣中村氏が城主であったと云われています。
天文8年、当時の赤松家当主晴政が家臣の別府氏に褒美で与えた
土地が原因で中村氏と別府氏で争いが始まり、天文年間に中村氏は
別府氏によって滅ぼされてしまいます。

城址は土塁、堀切がそれなりに良く残っています。
他にも物見櫓、柵、門などが復元されており、中世から戦国時代にかけて
築かれた豪族の城郭が再現されています。

・・・朝っぱらから城内を「ほら!ほら!!」とドヤ顔でスキップ
しながらご機嫌なゲレゲレが全てを台無しにしてくれましたがね(汗)



本日一番離れていた場所、終了〜
後は殆ど神戸市の西側を見て周る予定です。

折角神戸より西に来たので、南下して神戸市に入る前に少し寄り道して
『加古川』に立ち寄り、ご当地グルメの「かつめし」を食う事に♪

前回訪れた時と同じ(過去日記参照)「本家かつめし亭」に突撃!!

ボリューミーなカツがドン!とご飯に乗り、濃厚なデミグラスソースと
付け合わせのサッパリシャキシャキ茹でキャベツが最高!!
勿論全員が豚なので大盛りを頼んで速攻で完食です(笑)


腹も満たされた事なので、後はマッタリと観光を続けます。


次にやって来たのは『太山寺』
兵庫県神戸市西区にある天台宗の寺院で、「播州太山寺縁起」によれば、
元正天皇の勅願寺として716年に発願者である藤原鎌足の孫の藤原宇合
が堂塔伽藍を建立したとされる兵庫県でも有数の古刹!
開山(初代住職)は藤原鎌足の長男・定恵とされ、創建時の建物は
1285年(弘安8年)の火災で焼失しており、現存する建物は
それ以降に再建されたものだそうです。

南北朝時代の南朝方勢力として支院41ヶ坊に僧兵を有していた往時の
繁栄をしのばせる大規模な本堂は国宝。
国の重要文化財は仁王門、阿弥陀如来坐像をはじめ19件もあります。
また安土桃山時代の枯山水名園、安養院庭園は国の名勝に指定されていて
更に所在地周辺55.9haは「太山寺風致地区」として自然景観が
保護されている為、境内の内外には原生林が残る深森で、「ひょうごの森
百選」にも選ばれている見所満載の寺でした!!


お次は海側まで移動して、明石海峡大橋を見上げる位置にかつて築かれた
『舞子台場跡』を見学です。
幕末の文久3年(1863年)、将軍徳川家茂による大坂湾の海防状況
視察の際に、砲台拡充の幕命を受けた明石城主松平慶憲により築造された
砲台で、大阪湾へ侵入して来た敵艦を淡路島の砲台と挟み撃ちにする
目的で作られました。

・・・・・・・が、1度も使用される事は無し!(笑)

今では明石海峡大橋を真下から見上げる事の出来る港の公園として
整備されていて、現在は台場の一部と石垣の一部が地表に露出している
だけです。
一応、雰囲気作りで砲台風のオブジェが幾つか鎮座していました(笑)


さて、そろそろ日も暮れ始めて来たので急ぎましょう!
お次は『能福寺』へとやって来ました。
延暦24年(805年)に最澄が開創。
最澄作の薬師如来を堂に安置し、能福護国密寺と名付け日本国最初の
教化霊場となったそうです。
治承4年(1180年)の福原京遷都に伴い平清盛が出家した寺がこの寺
だそうです。
江戸時代初期より明治維新まで、京都青蓮院門跡の院家職を勤め、京都
以西では西日本唯一の格式を有していると言われているそうです・・・

境内には巨大な兵庫大仏が眼下で蠢く悪しき「野毛山の爆弾ゲレゲレ」
や「神大寺の狂犬ミッキー」に睨みを利かせていました。


彼らに仏罰が下る前に急ぎ撤収!(ヲ)

最後に訪れたのは『兵庫城址』
神戸港。海の目の前にある城址です。

天正6年、荒木村重が突如織田信長を裏切った謀反で活躍した
池田恒興(信輝)・輝政父子が褒美に神戸の地を貰った時に
今まであった城には入らずに、当時から良港として栄えていた
神戸港の近くに城を築きました。

それ以降、毛利攻めの前線基地として使われたり、豊臣時代、徳川時代
と直轄領として重要視され続け、更には明治時代には初代兵庫県庁が
この場所に作られたほど超重要ポイントでした!

・・・・ま〜城の遺構は何も無い石碑のみですがね(苦笑)

港の拡張で削られ、商業施設や住宅地の開発で削られて・・・・(涙)


ただ、2015年の発掘調査で、新たに信長の時代の天守台の遺構が
発見されたと新聞に書いてあったので、それを思い出して
「あ〜この辺りの下にはまだちゃんと遺構が残っている可能性があるんだ」
と自分で自分を慰めてました(苦笑)



さて、今日の目的地はこれで終了〜
後は帰るだけです!

途中のSAで土産を買った以外はノンストップで帰ります。
帰り道は思っていたほどの渋滞も無く、順調に秦野中井ICで
降りてから何時もの本屋に立ち寄った後、ラーメン屋で晩飯を食って
解散しました。


加古川まで行って3人で予算が1人頭¥1万
2人だと岐阜までの予算で1人頭¥1万(過去日記参照)
良いデータが取れました(笑)

ま〜流石にこれ以上西への日帰りは厳しいと思うので
そう考えるといい経験になったかな?(笑)

どちらにせよ、もっと人数が集まると楽しいので
次回はもっと大人数が集まる事を期待します!!

それでは今回もお疲れ様でした〜♪



・・・・え?体調??
そう言えば、兵庫に着いた時には治っていたな(笑)
やっぱり体調不良の時は旅に出るに限りますね〜♪(マテ)


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