もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2016年02月19日(金) 噴煙の九州2〜桜島〜


特に今日は急ぐ予定も無いマッタリ確定なプランだったので
時間いっぱいまで寝てました(笑)
で、10時のチェックアウトギリギリにホテルを出発です!


まずは鹿児島市内を北上して行き、世界遺産に登録された
『関吉の疎水跡』を見学です。

鹿児島県鹿児島市下田町にある用水路で、1852年(嘉永6年)に
築かれ、薩摩藩第28代当主島津斉彬によって行われた集成館事業の
動力源として利用されていました。
現在は宅地開発や震災などで水路は途中で途切れてしまっていますが、
石の壁に沿って作られた当時の水路や、木材で作られた堰を嵌め込む
為の切り込みや支柱を立てた人工的な穴を見る事が出来ました。


お次は市街地に戻って来て、錦江湾を挟み桜島を見渡せる
祇園之洲と言う場所に幕末に築かれた『祇園之洲砲台跡』へ!
台場は、1853年(嘉永6年)年10月に完成し、1863年
(文久3年)の薩英戦争の際には、7月2日午後2時過ぎ、東側から
迫ってきたイギリス艦隊のアームストロング砲の側射を受け、錦江湾内
に幾つも作られていた諸台場のうち最も損害の大きかった砲台だったそう
です。「薩藩海軍史」によると、この時祇園之洲台場には6門の砲が
配備されていたそうです。

公園として整備されていて園内には平成5年8月6日の水害で流出を
免れた五大石橋のうち、残った玉江橋と高麗橋を、隣接する石橋記念公園
には西田橋を移築・復元整備しています。
砲台の遺構は台場の石垣が少し残っていました。

この台場公園。
近隣に駐車場は無いし、道が狭いのに車はガンガン通るので路駐も
出来ず、結局公園から少し離れた山の上の別の公園の駐車場に停めて
の見学になりました(汗)
で、その公園が実は『東福寺城址』でした(笑)

錦江湾を見下ろす小山に築かれた城で、鹿児島の郡司であった矢上氏の
一族であった長谷場氏がいた山城だと云われています。
康永2(1343)年頃、守護の島津家第五代島津貞久は長谷場氏の
東福寺城を攻め落とし、以後この城を拠点として薩摩、大隅の支配を
進めていったそうです。
遺構は曲輪、土塁、切岸、空堀が公園として整備された園内に点在して
いました。



砲台を見学後、さっきからずっとすぐそこに見えている『鹿児島港』
へと移動してフェリーに乗ります♪
折角なので乗っちゃいます!
船を使って桜島に渡ります!!

と、言ってもメッチャ近くなのであっと言う間に着いてしまうのですが、
それでも車から降りてダッシュで船の中を探索し、食堂で美味いと有名な
うどんを食ったり、展望デッキから目の前に迫り来る桜島の迫力に
感動したりしてと全力で満喫しました(笑)


15分で『桜島港』へと到着です!
しかしこのフェリーは優秀ですね!!
24時間運航しているし、運賃も大人片道¥160
車は軽自動車なら1台¥880ですからね!!

さて、まず桜島にて早々にフェリー乗り場の隣りにある
『桜島マグマ温泉』で温泉を満喫いたしましょう♪

流石は火山桜島
噴火した直後だけあって良い湯でした(ヲ)
地下1000mから湧き出るナトリウム塩化物泉

露天では無かったですが、ガラス越しに広がる錦江湾の風景を
眺めながらマッタリ浸かって来ました・・・



さて、実は私、母からミッションを受けておりまして
「前回桜島で買ったキンコキンコって名前の化粧品が良かったから
買って来て!」との事

大きな国民宿舎が併設された温泉だったので売店も大きく
ここなら売っているだろうと思って売店へ


売り場を探しても無くて、店員さんに聞いたら
「キンコキンコですか?あれは殆ど通販で売られているのであまり
扱っている店舗は無いと思いますよ」・・・・って母ーーー!!!

アンタは何処の売店で買ったんだ!?
電話したら新たなヒントが貰えました

「何か岩がゴロゴロしてた近所の小さな売店」


え?ヒント終わり!?
岩って、島中が火山直下の桜島舐めるなよ?
島中至る所で岩なんぞゴロゴロしてるわ!!!(汗)


・・・ま〜何とかダメもとで入った道の駅で買えたから良かったけどさ〜
・・・・・・母よ、もう少しまともなヒントを下さい(涙)


ま〜気合入れて気を取り直して桜島観光を続けます!
桜島の南岳の麓、有村地区の大正溶岩原に作られた『有村溶岩展望所』
にて一面に広がる溶岩原と、その上に根を張るクロマツのダイナミックで
不思議な風景を見学!
全長約1kmの遊歩道。流石に全部は歩きませんでしたが(汗)
桜島や錦江湾、うっすらとですが開聞岳まで望む事が出来ました♪


さて、桜島を抜けて大隅半島に出る前に、桜島でもっとも有名な
スポットの『黒神埋没鳥居』へ、もちろん立ち寄りました!

914年(大正3年)の桜島の大爆発により、完全な島だった桜島と
大隅半島が陸続きになりました!(汗)
その際埋もれてしまった鳥居です!!
高さ3mもあった腹五社神社(黒神神社)の鳥居が笠木(天辺のバー?)
だけ残して埋没し、人の背丈以下になっています(滝汗)
当時の噴火の凄まじさが今でも実感できます・・・



さて、桜島を後にして一路大隅半島へ♪
帰りの飛行機の時間までまだまだ時間が御座います(笑)

やって来たのは垂水市にある『林城址』
林城は、慶長14年に島津久信によって背後に詰めの城とも言える
城山を背負ったこの地に築かれました。
以降は島津の分家の1つ垂水島津氏の居城として明治に至りました。

現在城の敷地は小学校になっていますが、校門の所に当時の城門の
左右にあった長屋の片方が確りと現存していて見応えがありました!!

そのまま南下して行き、前回の九州行きで訪れた鹿屋市へと
再びやって来ました。(過去日記参照)
前回も見た『笠之原海軍航空基地地下道入口』を再び見学した後、前回は
スルーした『笠之原海軍航空基地掩体壕』も折角時間が有るので見に
来ました。

・・・・・見付からない(汗)



結局、1時間くらい携帯で地図を出して縮尺を上げて見ながら
探したも見つからず・・・
ネットで現地に行った人のレビューを見て文章から手掛かりを探しつつ
探すも見つからず・・・

ダメもとで入った洋菓子屋の店長がスゲー良い人で、聞いたら
「昔、その場所を観光客の人に聞かれて探したので途中までなら
道を知っていますよ」と忙し所厨房から出て来てくれて地図まで
手書きで書いてくれて超・感謝!

で、その途中まで行けば後は何とかなるだろうと思ったのですが
そこからも道は狭く、なのに分岐点はいっぱいで泣きそう(涙)

通り掛かった農家の人に聞いてみると更に現場の近くまでの道を
教えてくれました!!


・・・・もうこの辺りなのは間違いないのにどうしてもそれらしい物が
見当たらない(汗)
辺りは畑だらけで建造物があればすぐに分かりそうなのに!!

で、近くで工事をしていたのでそこの職人さんに場所を聞いてみたら


・・・・何故か移動を始める重機(汗)




工事現場が掩体壕でした(爆)

写真を撮っている時も、重機や職人が写真に入らない様に
気遣いをしてくれた優しき職人さんたちにマジ感謝☆


・・・人の優しが素晴らしい土地でした!(笑)



思わぬ時間を使ってしまいましたが、それでもまだ時間に余裕が
あったので、前回鹿屋に来た時に行ったら臨時休業中だった
「大谷洞」なる温泉へと再び足を運びました。

今日は臨時休業の看板が出てなかったので一安心♪

建物に入るも・・・・・人が居ない
・・・・・・・・・呼んでも誰も出て来ない

中に入って見ると





・・・・・・・・・・・・・・・・・廃墟(汗)




壁にかかったままのカレンダーを見ると8月で潰れてたっぽい(涙)




さて、見る物も見たし・・・・ま〜最後がまさかの廃墟探索になるとは
思っていなかったですがね(苦笑)

後は帰るだけです。

高速を使い、一気に空港近所まで戻ります。


19:30の便だったので、早めにレンタカーを返して空港まで
レンタカー屋に送って貰って、空港で土産を見たり本を読んだりして
マッタリと時間を潰してました(笑)

定刻通りに鹿児島空港を出発し、羽田空港へは21:05着

空港で老ちゃんと別れて、俺も一人だったので真っ直ぐに最短ルートで
帰宅しました。



いや〜
まさか九州を2人旅する事になるとは思わなかった(涙)
でも、ぶっちゃけ飛行機を使うと予想通りに予算的に3人も2人も
そんなに変わらなかったし、運転も意外に余裕で何とかなった!
それよりも借りたレンタカーにCDが着いておらず、iPod系を
2人とも持って無かったので、まさかのラジオ一択ってのが、かなり
きつかったです(涙)


・・・・今後もこのパターン有りだね!(ヲ)
イベントが流れるくらいなら、2人ででもガンガン行きたいと思います!

老ちゃん、お疲れ様でした!!


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