もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2015年12月03日(木) 懐かしの岐阜城

12月1発目のイベントは日帰り旅イベント!






参加者が全然集まらず、俺とミッキーの2人(汗)




まさかの2回目の2人旅です(過去日記参照)




行き先は距離と高速代ガス代の頭割りを考えて岐阜へ
超久しぶりに岐阜城へと行ってみる事に♪
前回岐阜城に行ったのは大学時代2004年の5月以来!!
あの時は岐阜城の金華山をロープウェイ代をケチって徒歩で徹夜明けに
朝から燦々と太陽降り注ぐ中で登山した悪夢(過去日記参照)を
払拭する旅でもあります(苦笑)



俺のほうが仕事が終わるのが遅い&西行きのイベントなので、ミッキー
には仕事後に電車で伊勢原に来て貰う段取りだったのですが・・・・

ミッキーと全然連絡が繋がらない(汗)



連絡が着いたのが0時過ぎ



このバカタレ寝ていやがった(滝汗)



急遽東名を使ってかっ飛ばして、ミッキー宅まで拾いに行って
超無駄足踏んでからの出発です(涙)

しかも何だか雨まで降ってきました(泣)


足柄SAで遅い遅い晩飯を食ってから、ま〜それでも最初の目的地には
8時前に着く計算だったので、ずっと俺の運転で交代無しでお互い
寝ずにずっと語り明かしました。

すげー昔のセガのゲームネタから暗黒太極拳の話。
ロシアのダッチワイフ寒中水泳の話。
などなど知性の光る会話を繰り広げつつも岐阜を目指します・・・

途中でナビがバカやったせいで名古屋第二環状線を通る遠回りを
しましたが、それでも目的地手前の最寄りSAである養老SAへは
7時には到着しました。
天候はまだ雨ですが、きっと起きたら晴れているさ!と傘も持ってきて
いないおバカさんたちはご機嫌で仮眠を取ります♪


10時前に起床
運転をミッキーに交代して僅かの高速道路と下道10kmちょいで
最初の目的地である『西高木家陣屋跡』へと到着!

天正10年代(1582〜1592)から、関一政が多羅城主3万石と
して領していたが、慶長5年(1600)の関ヶ原合戦後、 伊勢亀山へ
移封となり、替わりに高木貞利が関ヶ原の戦功により2300石でこの
地に入り陣屋を構えました。
その後高木家は3つに分かれ、それぞれ西高木家。東高木家。北高木家
と称して幕末に至るまで大名格で寓せられ、代々川奉行を命ぜられ
美濃や尾張、伊勢の河川工事で活躍し続けてきました。

そんな西高木家の陣屋跡が結構確りと残っていると情報をキャッチした
ので見に来たのですが・・・


陣屋って言うより石垣のレベルを見ると城だね(苦笑)

坂に沿ってガッツリと石垣郡が整備され、それを補うように土塁が!
更に立派な表門まで現存していて予想以上の見応えに朝からテンション
上がります!!(笑)


・・・・・ま〜予想通りに雨も上がってるしね(ヲ)



続いてやって来たのが、非常に有名な城なのに、何気に私も来たのは
初めてです。



『墨俣一夜城』




周辺が工事中で中々見えているのに城にたどり着けずにイライラ
しましたが、何とか無事に接近出来て、もう工事車両が路駐しているし
俺らもOKだよね?と城の目の前に路駐して見学開始!(マテ)




秀吉の出世城として有名な墨俣一夜城。
織田信長が斎藤家と美濃の覇権を賭けて争っていた時代。
この墨俣の地に橋頭堡を築ければ一気に戦局が織田方に傾くのが分かり
きっていたのですが、流石に斎藤方の抵抗も激しく何度も攻め込むも
橋頭堡を築く事には失敗し続けていた織田軍。
そこで名乗りを上げたのが若き日の秀吉!
顔見知りだったと言われている木曽の川並衆の頭目だった蜂須賀小六の
協力の下、上流から材料を流して夜中の内に一気に橋頭堡(城)を
築いた事で出世街道を爆進し出したと言われています。



鉄筋コンクリート制の天守閣が建っています。





これを戦国時代に一夜で築いたって言うなら天下も余裕で統一出来る
でしょうね〜



・・・・蜂須賀一派って大手ゼネコンですか?(嘲笑)







何でこんな天守閣建てちゃったかな〜
まさに暴走した地方自治体の業ですな(汗)

更に恐怖なのは、この天守閣。


入るのに料金が掛かるって事!!!(滝汗)


勿論入らずに撤収(笑)



次の目的地に行く途中、立ち寄ったコンビニで立ち読みしたり
地元の野菜を買ったり、ソフトクリームを買って食べたり、仮眠を
とったりと好き放題して思わぬ時間を消費しつつも(マテ)




さて!
やって来ましたよ今日のメインイベント♪
韮崎クエスト(過去日記参照)やジュンさんの家に遊びに行くついでに
した川越観光(過去日記参照)以外では大学時代に初めてやった夜出の
日帰りイベントで訪れた場所にして、その時振りの訪れにワクワクして
います!
『岐阜城』です♪
2004年の5月以来の登城です!!

非常に有名な城ですが、一応簡単な説明を・・・
岐阜城は築城当時は稲葉山城と呼ばれ、建仁元年に二階堂行政によって
金華山の山頂に築かれたとされています。
その後、室町時代に美濃の守護土岐氏の筆頭家臣斎藤氏が
居城しました。
天文8〜10年、山城山崎の油売りから身を起こした蝮こと斎藤道三が
主家である土岐頼芸を追放して、美濃一国を手に入れました。
弘治2年、道三は子の義龍と争い討ち死。
その義龍も5年後の急死。
道三の孫である龍興が城主となるものの、永禄10年に織田信長に
よって滅ぼされて終了〜!
その後、信長は居城であった尾張小牧山から移り、この辺りの地名を
中国の故事から天下を獲る為の地として岐阜と改称しました。

以降、安土城が築かれるまでは織田氏の居城として
また築かれてからも最重要拠点の一つとして重要視され続けた城です。

嘗ては往復¥800くらいをケチって徹夜明けで好天の下、徒歩での
登山を選択して大惨事になったので(過去日記参照)、今回は
そのリベンジという事で勿論ロープウェイを選択♪

・・・・地味に値上がりしていて往復で¥1000チョイしましたが、
¥1000で過去の悪夢に蹴りをつけられるなら安いものだ!(マテ)

ロープウェイに乗り、嘗てヒーヒー言いながら登った道を見下ろし
ながら悠々快適にあっと言う間に山頂へ到着(笑)


・・・そう言えば、この山道って後で調べたら地元の消防隊が体力強化
で走るコースだって言うじゃん!!
どう考えても徹夜明けで登るコースじゃなかったよ(滝汗)



ロープウェイの駅からは歩いてすぐに山頂に復元された三層の天守と
復元された門や模擬隅櫓へと到着!
他にも天守台には遺構として現存している石垣や道々では土塁、曲輪、
井戸跡なども見れました。


何だかんだで特に飯は考えていなかったので、山頂の飯屋で
ご当地グルメの「どて丼」を食っておきました♪
味噌炒めのモツが乗った丼です!
運ばれて来たら大量の辛子が付いていて、流石に辛子多過ぎだろ(汗)と
戦慄していたのですが、モツも味噌もマイルドな味なので全然辛子の
辛さを感じず、結局付いてきた辛子を全部使って更に七味唐辛子を大量に
追加して食ってました(笑)

食後、勿論下りもロープウェイで一気に下山です!

さて、本当は今日は犬山方面へも行く予定だったのですが
急いで行っても間に合うか微妙だし、どうせ冬は行き先が少なくなる
ので次回に残せばいいや♪と軽〜く打ち切りが決まり、その分ゆっくりと
岐阜城の周辺を見て回る事にしました!
なので下山後、金華山麓に築かれていたとされる信長の平時の館
『信長住居跡』を見学して来ました。

信長の居館は、現在冠木門と虎口の土塁が復元されています。
山麓の一段高くなった千畳敷には、かつてポルトガルの宣教師
ルイス・フロイスが紹介した楼閣(信長の住居)が 建てられていたと
考えられています。
現存している石垣も丁度発掘調査中で、石垣の部分と石垣の下の基礎の
部分を両方見学出来てラッキーでした♪


さて、お次は本日最後のポイント『加納城址』を見学です!

岐阜の駅を挟んで北に岐阜城
そして南にあるので加納城です。

流石に駅近くなので駐車場が無く、何処に車を停めるか悩んでいたら
丁度加納城の隣りのテニスコート?の駐車場で車を停められる場所を
聞こうと係員のお爺ちゃんに聞いてみると

「態々遠方から岐阜にお金を落としに来てくれて有難う御座います!
加納城の見学?そんなマイナーな城にまで来てくれて有難う御座います!
是非ここに車を停めちゃって下さい!!」と、まさかのスゲー歓迎を
されてしまいました(苦笑)

お言葉に甘えて車をそこに停めさせて貰い城の見学をさせて貰いました。

信長の没後も美濃の拠点として重宝されてきた岐阜城ですが、関ヶ原の
戦い後に天下を取った徳川家康によって岐阜城は廃城になりました。

平時に山城は使い難い!って事ですね(汗)
岐阜城近くの平野であった加納に新たに城を築かせ、上野小幡城主で
あった奥平信昌を10万石でこの地に封じました。

以降江戸時代を通して美濃の中心として栄えていきます。
なので城の規模も中々に凄く、遺構も近世城郭の石垣がバッチリと
かなりの規模で残っていて見応え充分で素晴らしかったです!!!



さてさて
これにて今日の予定は終了〜〜

高速に乗るまでの市街地で若干渋滞に嵌ったものの、高速に乗って
しまえば後は渋滞も無く順調に神奈川を目指します♪


秦野中井ICで降り、秦野のマニアックな本屋に立ち寄って買い物を
した後で我が家までの間のファミレスで飯を食ってから伊勢原駅で
ミッキーを降ろして解散でした。


2回目の2人旅!(過去日記参照)
楽しかったし余裕でしたが・・・・・・岐阜までの近距離で(ヲ)
予算が1人辺り¥1万弱か〜(涙)

やはりもう1人は頭数が欲しいよな(汗)


次回の2人旅では何とかもっと予算を抑える方向で頑張りたいと
思います(汗)
それでは今回もお疲れ様でした!


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