もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2015年11月26日(木) 南端の九州2 大隅半島周遊

朝、起きてもまだ腹一杯(汗)


昨夜は途中でリタイアした老ちゃんとコチヤはともかく(過去日記参照)
更に朝飯を食いに行ったミッキーは化け物か!?




ま〜戻ってきてかなりキツそうでしたがね(苦笑)




チェックアウトを済ませて2日めもスタート!




・・・・・・・・昨夜は風呂にも入らずに寝てしまったので、
何故かスイスでキャンプをした時の朝と同じ臭いが体からします。


=肉と煙の臭いです(汗)



予定を急遽変更して、宿から最も近い温泉へと向かい
サッパリしてから観光をする事にしましょう(苦笑)
老ちゃんが調べてきてくれた『串良さくら温泉』へ!
属地区清掃センターに隣接している日帰り入浴施設で、ごみ処理場の熱を
利用した鹿児島初のエコ温泉!・・・との事です。

地下1500mから汲み上げた水温42℃の温泉水を加熱しているので、
ちゃんとした温泉です!
弱アルカリ性泉なのでヌルヌル感があり肌がつるつるし美肌効果抜群
だそうです(笑)


風呂に入りサッパリしてから気を取り直して観光再開!って言うより
観光開始!ですね(汗)

まずやって来たのは『笠之原海軍航空基地地下道入口』
昨日行った内之浦要塞(過去日記参照)と同じく、この辺りには
昔から軍事施設が多く造られました。
この地も、旧笠之原飛行場として大正11年8月から24年間にわたり、
旧陸海軍の飛行場基地として使用されていました。
太平洋戦争末期の昭和19年1月15日には海軍航空基地が設置され、
翌昭和20年1月には第203航空隊零式戦闘機72機が配備され・・・
神風特攻隊として南海の戦場に飛び立って逝きました。

滑走路へと通じるとともに、通信指令室もありました。
今はコンクリで塞がれていて地下へは降りられなくなっていますが、
畑の真ん中に現在でも、地下道入口が残っています。


お次は『鹿屋城址』を見学です。
鹿屋城。
別名(亀鶴城)は鹿屋市市街地北田町の城山公園にある城跡です。
ここはかつて鹿屋氏や伊集院忠棟、島津相模守久信らの居城でした。
鎌倉時代に築かれたと云われており、火山灰台地を巧みに利用した中世
終末期の典型的山城だったそうです。
資料によると城郭は本丸(貯水池)、二の丸(公園)、中城(公園)、
支城に松尾城(幼稚園・老人福祉センター)、大名城、今城、鳥添城など
に分かれ周囲およそ2kmの防衛網を築いた防御力の高い城であった事が
伺えます。( )は現在の状態です。
大手口は南面にあり更にその両脇を水濠で囲んでいたそうです!


・・・・・・・・・・・・往年はな(汗)
現在は山城であった城山も宅地開発が進み、遺構は空堀を残すのみ(涙)
あ〜一応、山頂の城跡展望台からは市街地を一望出来ました!


おまりの開発されっぷりに凹みながら・・・・・飯だ!(ヲ)

何でも鹿児島はカンパチが有名らしい♪
丁度コチヤが調べてきていたので『古江港』にて
「かのやカンパチ漬け丼」を食します!!!

「鹿屋市漁業直営 みなと食堂」にて俺らはカンパチ漬け丼を
老ちゃんはカンパチ炙り丼を注文♪


脂がのっていて美味い!!!!!!!!
老ちゃんが残した炙りも俺とミッキーで残さず貪ったが(マテ)
こちらもこちらで美味い!!!!

・・・・・・・・・幸せだ〜(笑)




さて、かなり腹一杯で動くのが辛いですが、残り僅かなので一気に見て
回りましょう!!

お次は今日のメイン
『鹿屋航空基地史料館』です。
現在、鹿屋市には海上自衛隊の基地があり、ここは海上自衛隊の
航空史料館です。
旧海軍鹿屋航空基地時代から現代の海上自衛隊に至るまでの写真や文献、
実機(復元)等の展示。
戦争・特攻の実態、現代海上自衛隊の装備の変遷・活動等が学べます。

ま〜まず、資料館の周辺に展示されている機体群にテンションが
突き抜けます!!!!

US‐1A(海上自衛隊)(就役中)
P‐2J(海上自衛隊)(退役)
P2V‐7(海上自衛隊)(退役)
KM‐2(海上自衛隊)(退役)
S2F‐1(海上自衛隊)(退役)
T−34 メンター(海上自衛隊)(退役)
R4D‐6(海上自衛隊)(退役)
SNJ【T−6】(海上自衛隊)(退役)
OH−6(海上自衛隊)(改良機のOH−6DAは現役)
V−107(海上自衛隊)(退役)
HSS−1A(海上自衛隊)(退役)
BELL−47(海上自衛隊)(退役)
と言った海自の往年の名機がズラリと並んでいます!!!
そして更に!!!!
超貴重な二式大型飛行艇(旧日本海軍)(退役)までも現存機が
展示されています!!!!!
世界大戦時最大規模の飛行艇です!
もう飛行艇って響きだけでヨダレが・・・(ヲ)

更に魚雷なども展示されていて外だけで30分以上居たよ(苦笑)


館内でも旧海軍から海上自衛隊までの教育や戦時中の資料や実際の
銃器や軍刀、制服、命令書や仕様書など
そして復元された零式艦上戦闘機が展示されていて非常に楽しいです!



・・・途中まではね〜



2階の途中から特攻隊の資料館になって


見てて辛いね〜
鹿屋航空基地から908名
串良航空基地から363名が飛び立って再び帰る事が出来なかった
そうです・・・
そんな彼らの集められるだけの各員の写真や手紙、遺品などが展示
されています。

300人分以上はあったと思う隊員の写真ですが・・・
全員17歳とか20歳とか
歳行ってても26歳とかだぜ

しかも出撃前のスナップ写真みたいなものまで展示されていたのですが
笑顔で皆で肩組んでる写真なんて部活中の学生そのものです
数時間後に確実に死ぬんだぜ
それが分かっていてどんな笑顔なんだろうね

あと恋人に渡せなかった人形とか・・・


あぁーーー・・・見ていて辛い(涙)





最後にかなりヘビーな歴史の重さに足元がフラフラになりつつも
そろそろ夕方になってきたので最終目的地へと急ぎます。

『志布志市松山城』
空港までの帰り道上にあったので急遽追加したポイントですがね(笑)
松山城は、諸説有り築城年代は定かではないが、文治4年平重頼によって築かれたとも伝わっている。
文治4年(1188年)に築かれたと推測されている城で、戦国時代は、
地元豪族の平山氏が城主であったが、肝付氏の侵攻によって落城。
天正5年、今度は肝付氏が島津氏によって攻められ志布志城と共に落城
志布志城と共に島津氏の支配下となり、市来氏が地頭となったと云われて
います。
遺構は殆ど無く辛うじて曲輪、空堀が残る程度(汗)

ま〜ここには城の遺構よりもメインで見に来たものがあったのです!!
「神州不滅の石碑」です。
太平洋戦争末期。米軍のオリンピック作戦に備えて鹿児島の大隅半島には
諸々の要塞や防衛施設が建造されました。
その時配備されたのが第86師団
当時の師団長は芳仲和太郎・陸軍中将

その86師団が降伏を受託する時に最後に残した石碑だと言われています。


さっきの資料館の後だから結構色々と考えつつ石碑を眺めて来ました。




さて、後は空港に戻るだけですが折角なので隣の道の駅へと足を伸ばして
ブラブラして行きましょう♪

何でも有名なホテルで修行したパテシエがやっているケーキ屋があったり
クロワッサンの店があったりと、最後に軽く買い食いするにはモッテコイ
な道の駅でした(笑)

19時半までのレンタカーの返却予定でしたが、早めに返して空港で
マッタリしていようと17時にはレンタカーを返して「鹿児島空港」に
戻って来ました。

後は20:25のフライトだったので、それまで土産を買ったり
売店で薩摩揚げを買って食べたり(ヲ)
本を読んだりゲームをしたり・・・後は空港で鹿児島の離島の
パンフレットを集めて皆で作戦会議をしたりしていました(笑)


定刻通りに20:25に九州を発!
「羽田空港」22:00に着です。

特に大きな揺れや遅れもなく無事に羽田に到着・・・・



あぁ〜帰ってきてしまった(涙)


何時も通りに凹み、そのままのテンションで空港で電車で帰る老ちゃんと
別れて3人でエイトパーキングの車に乗って川崎へと戻り、預けておいた
車に乗り換えてミッキー宅へ。

ミッキーと別れて、そのまま今後はコチヤを茅ヶ崎駅前で降ろしてから
俺も流石に空腹感は0だったので真っ直ぐに帰りました(笑)


いや〜
とうとう最南端まで制覇しちゃったよ♪

次は唯一残った4隅の最北端か!?
それとも残り2つの100名城?
後微妙なところを入れても5つを切った一ノ宮??

何にせよ足を止める事無く頑張っていこうと思います!
まずは今回も参加者各位、お疲れ様でした〜♪


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