もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2014年10月07日(火) 北陸記13

本当に久しぶりに北陸へ!


行き先は若狭
前回の北陸記12でも若狭に行きましたが(過去日記参照)その時に
回りきらなかった場所に行って来ました♪





・・・・・・・・3日前から体調最悪で、ここずっと喉が痛くて、
鼻水が止まらなくて、前日の仕事中に恐らく熱があって




でも行く!(マテ)


だって遊ばないと体調治らないもん!!(激しくマテ!)




メンツは俺、ミッキー、キタイの3人。



キタイを拾ってから、0時にミッキー車で我が家まで来て貰い
何時も通りに我が家を出発!


前日までの台風の影響がやや不安でしたが、そんなもの関東を通過した
時点で関係無ぇ〜!とばかりに突撃です!!


ま〜その影響で新東名が通行止めで、その分東名が混雑。
特に沼津から清水までが大渋滞だったり、掛川の辺で一瞬で
大粒の雨が土砂降ってきて、ワイパー最速でも全く前が見えなくなって
リアルに死にかけたりと色々・・・・色々ありつつも何とか突破(汗)



流石に疲れて、何時もだったら止まらない浜名湖SAに立ち寄って
休憩をとりました。


1時間だけ仮眠をとるつもりが、起きたら・・・・・2時間も経過して
いて吃驚だ(汗)

愛知の赤塚PAにてミッキーと運転を交代して貰い俺は寝に入ります!





朝の8:30には福井県の最初の目的地である『国吉城』に到着です♪



・・・・高速が空いていたり、大雨が降って失速しなかったり、
浜名湖で2時間も仮眠をとらずに順調に進んでいたら


・・・・何時に着いていたんだろう?(苦笑)






国吉城
若狭国守護武田氏の重臣粟屋勝久により越前との境目の城として
築かれた山城です。




山城です(笑)


今日も元気に朝から登るぞーーー!

・・・・めっちゃ体調不良ですがね(マテ)


そもそも国吉城がある美浜町は、若狭の東端部に位置し、越前との
国境に接しており、越前から若狭を経て丹後に至る唯一の街道
「丹後街道」が通っていました。
越前から若狭の間には、御岳山〜天王山と連なる山が聳えており、それを
越える唯一の峠が椿峠でした。
国吉城は、丹後街道と椿峠を眼下に見下ろす通称「城山」に築かれた
若狭国の東を守る天然の要害でした!
国吉城が要害として名声を高めたのは、永禄6年(1563)国吉城に
押し寄せた越前朝倉氏の軍勢を数年にわたり撃退し続け、壮絶な籠城戦
を展開した「国吉籠城戦」と呼ばれる戦いでした。
城主粟屋勝久の勇名とともに近隣に広がりました!
元亀元年(1570)、越前朝倉氏攻めのために木下藤吉郎や
徳川家康らを伴って国吉城に入城した織田信長は、勝久の武勲を大いに
賞賛したと云われています。
その後、勝久は織田方の武将(若狭衆)として各地を転戦しましたが
秀吉の時代に国替えにあい、その後は歴史に埋もれ消えていきます(汗)


山に登城する前に、江戸時代に山城が廃城になりその代わりに
麓に作られ、この地の統治の中心となった『佐柿陣屋』の跡地を見学
しておきます!
敷地の大部分が歴史資料館になっていますが、石垣の一部が敷地の
隅に現存しています。


石垣を見学後、獣封じの金網が施されている山道より
鍵を開けて金網の中へGO!!
・・・ちゃんと金網の鍵を閉め直してから登城開始です(笑)




すっげー良い天気過ぎて、まさに台風一過!





朝なのに暑い!
汗だく!!
すげーフラフラする(汗)


なのに道はすっげー急な登り道が九十九折になって続いていきます(涙)



ま〜その頑張りも報われて、登りきった山頂部の本丸では
木々の間からですが若狭湾を一望できたり、逆サイドからは麓の
山々に囲まれた集落が一望できたりと絶景でした♪

本丸もそうですが、そこに至る道でも 曲輪、土塁、櫓台、虎口、石垣、
空堀、堀切と遺構が多々残っており中々に見応えのある城址でした!







・・・・・・山から降りてきたら体調復活していたZe☆




さて、次は今回のメインである遊覧船にのって「蘇洞門」と呼ばれる
絶景ポイントを見に行きます♪







若狭フィッシャーマンズ・ワーフと言う道の駅兼船場にて
船の時間を確認して・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




「本日は波が高い為、蘇洞門クルーズは中止です」
「代わりに湾内のクルージングをやってます」









は?
何なの?馬鹿なの??
蘇洞門クルーズで蘇洞門に行かないとか有り得ないよね?
チャーシュー麺頼んでチャーシュー入ってなかったらキレるでしょ?
それと同じなんだけど!!(怒)


うぜーーー
これだけ、ここだけ残るの?
リベンジ決めるにしても、この辺りはもう行く所無いよ(汗)


本当にどうしたものやら(滝汗)




とり合えず2階の食堂で自棄食いです(ヲ)




この時期限定で更に数量限定のカワハギ丼を貪ります!!

滅多に食わないのでカワハギ美味かった
肝とポン酢のタレも美味かった

食ってたら米の下から悪魔の植物(紫蘇)が出て来て吐きそうになったが
風邪で鼻が馬鹿になっていて臭いが感じにくくなっていたから
醤油追加してカワハギの味噌汁で一気に流し込んだ(汗)






もうね〜
蘇洞門に行かない時点で営業しているだけ無駄だから社員全員とも
家に帰ったら?
湾内クルージングなんて誰がのるんだよ?って思って飯を食いながら
2階から船場を見ていたら、結局誰も搭乗者が集まらずに
船は出航すらしませんでした(苦笑)






何だかテンションだだ下がりでウダウダしながら食後を過ごし、
近所にあった『みかた温泉』にて一っ風呂浴びて気分を切り替えたいと
思います!!!


「きららの湯」と言う日帰り入浴施設にて
昼間からマッタリと貸切状態の露天風呂でダラダラと色々話をして
きました♪



主な議題は


今日、これからどうする?

です(マテ)




いや〜
今日は元々行き先も少なかったし、船で1時間くらいは時間を
潰せるはずだったのに、それすら無くなってしまったからね〜(涙)



結局、大していい案も出ずに撤収!




福井県を出てお隣の滋賀県へ

前回若狭に遊びに来た時と同じルートです(過去日記参照)
その前回のイベントで観光案内で見つけておいた『興聖寺』と言う
寺を参拝しました。

滋賀県高島市朽木岩瀬にある曹洞宗の寺院。山号は高巌山。
鎌倉時代初期の禅僧で日本における曹洞宗の開祖である道元が
朽木村の領主佐々木信綱に、承久の乱で戦死した一族の供養を頼まれて
越前下向のおりこの地の地形の様子が宇治興聖寺に似ているのに驚き、
建立する寺の名を同じにしたと云われています。

室町幕府12代将軍足利義晴が、細川晴元・三好元長の追撃から
逃れるため3年間滞在した場所でもあり、その時に義晴の無聊を慰める
ために朽木氏一族を始め、京極高秀や浅井亮政、朝倉孝景、細川高国が
贈ったと云われる庭園が今も残っており、面積は狭いものの武家書院の
蓬莱池泉式庭園で、池には鶴亀の島を配し、楠の化石の石橋を渡し、
安曇川の清流と比良山系を借景とした静かな佇まいは今尚健在でした。



さて
本当に今日の行き先は終了〜


・・・・・・・・・・どうしよう?
まだ時刻は14時だよ(汗)



取り敢えず、近所に何か風車が建っていた場所があったよね?と
『しんあさひ風車村』と言う道の駅へ立ち寄ってみました!


もう100%ノリです!!




琵琶湖に面した公園にコスモスが咲き誇り、思っていたよりも大きく
立派な風車が3つも建っていて中々異国っぽくて良かったです(笑)








16時前ですが・・・・・・・・・・・





撤収ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!









帰り道の東名が違和感満載!
何時もは行きも帰りも日が落ちてから真っ暗な中を走っているので
日が残っている内に東名を走っているのがスゲー違和感(汗)

途中で少し早かったですが、SAで晩飯を食ったら後は真直ぐに
帰ります(涙)


21時には我が家で解散。




本当に蘇洞門はどうしようかね〜
取り敢えず「鯖おでん」とか言うご当地グルメは食えそうだったけど
おでんと蘇洞門のみって不可能でしょ(苦笑)

いっそ蘇洞門をクルージング後は京都方面へと進んでしまって、舞鶴の
海上自衛隊関係の何かを探してみるのもありかな〜?
って言うか、それしか無いかな〜(汗)


ま〜何にせよ、旅行に行ったら予想通りに体調不良が治ったので
良しとしますかね☆


それでは(一応)今回もお疲れ様でした!


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