もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2013年12月04日(水) 広島北部の旅〜後編〜

早朝

6時
メッチャ寒いけど、頑張って起床!







霧だーーーーーーーーーーー!!!!

ついでに雲だーーーーーーーーーーーーーー!!!!(ヲ)




どっちも濃くて、境目が無いから視界一面真っ白だーーーーー(涙)






もう、あたり一面真っ白
世界が白に食われた感じで、これはこれで凄かったな(汗)
音が霧で遮られてて自分の心音と呼吸音しか聞こえない状態・・・


とりあえず、あまりのスゴさに展望台で呆然・・・・
街どころか全てが霧(雲)に侵食されて沈んだ世界を見下ろします。



15分ほど震えながらもその場に留まり、世界を満喫。
一旦車に戻り、車内を片付けつつ仮眠したりして時間が経つのを
待ちます。



6:30
7:00
と日が昇っているはずなのに、辺りは白に塗りつぶされたままで、本当に
この霧の先では生活が始まっているのか不安になるレベルです(汗)



そして我々以外に何人も居た雲海ウォッチャーたちが皆帰った
9:30




とうとう雲が晴れて青空が覗きます!!
なのに霧だけは残ったので・・・・・・・雲海だーーーーー!!!!
見れたーーーーーーーーーーー!!!!

本当に、霧が眼下に溜まっていて、その所々から他の山の頂付近だけが
顔を出していて、その様がまさに雲の海に浮かぶ島の様でした!

凄い!
早朝の全てを塗り潰す白の世界も凄かったけど、こっちの方が青空との
対比でより霧だけの濃さが際立って凄かった!!!
来て良かった!そして見れて良かった(笑)

ま〜二日目は最初から既に、2時間以上も予定時間を
オーバーしていますがね(苦笑)



そして、これだけ霧が凄いなら山から下りても運転気を付けなくちゃね
と思って下山したら、下山中は本気で前が見えない位に濃霧だったのに、
街中は普通
普通に曇り空でした(笑)
この雲の上に雲海が広がっているんですね〜不思議な感じです♪



せっかく雲海を見るのに粘って時間を使ったので、諸々の店が開店して
いたので、昨日の辛麺焼き以外にも『三次』名物を食べて行く事に!


大きめのスーパーに入り、色々と店内を物色・・・・


あった、あったよキワモノ(マテ)
「ワニの刺身」と「がんす」
ワニの刺身と言っても、爬虫類のワニでは無くサメだけどね!

・・・・って、それでも充分珍しいか!(笑)

イートコーナーで実食です!

見た目はビントロの刺身に似ていますが、味、食感・・・・・
何とも言えない微妙さ!(マテ)
不味くないだけにコメントに困るぜ☆

がんすは、かまぼこ原料のすり身に野菜や一味唐辛子などを混ぜ、
長方形に成形し、パン粉を付けて揚げた物で、若干脂っこかったけど
野菜の甘さと一味の辛さ、かまぼこっぽい味が後を引く味と食感でした!


三次を出発して、今日は只管南下して行きます。
まずは昨日、手に入れた近辺のエリア情報紙で見つけた『上下宿』
へと立ち寄ります!
昔からこの地は山陰と山陽を結ぶ交通の要所として発展し、政治、
経済の中心として、そして山陰の大森銀山から瀬戸内海へ銀を運んだ道
(石州街道または銀山街道と呼ばれた)その銀の集積中継地として
栄えた宿場町としての歴史を持ちます。
現在も白壁、うだつ、うろこ壁の街並みが残り当時の面影が随所に
残っています。

街並みをブラリと見学してからお次は『矢野温泉』で
12月の山頂で野営した体を癒します(苦笑)

矢野温泉は約800年前の鎌倉時代に、諸国巡錫の豊成法師によって
発見された歴史の古い温泉で「あやめ」と言う施設で日帰り入浴を
楽しみます♪
この施設、今尚大衆演芸に力を入れている所で、館内には演劇場が
設置されており、当日も演劇や芝居、歌謡ショーなどのイベントが
盛り沢山でした。
・・・・見学は入浴料とは別料金ですがね(涙)


勿論、我々は入浴のみです!


泉質は放射性ラジウム泉、無色透明、無味無臭。

良い天気の青空の下で、やけにキンキラな露天風呂を堪能しました(笑)




風呂から上がり、更に南下を続けてまして『相方城址』へ到着です。
地元豪族の宮氏や、相方城より南の地域を本拠地としていた有地氏に
よって築かれ整備された山城で、有地氏が毛利氏の傘下に入ると毛利氏
によって出雲国に移され、その後は毛利氏の直轄城となりました。
毛利領の東方備えを目的とした近世城郭として整備が進み、山頂付近に
空堀や曲輪群などの城郭が築かれ、打込接の総石垣が築かれた部分も
ありました。
また瓦葺の櫓や城門も建造されており、中世城郭から近世城郭への
過渡期の山城とも言われています。
関ヶ原の戦い以後に廃城となりました。
かなり険しい山の上にあったお陰で、大規模な破却を受けていない為、
石垣や曲輪群が比較的当時のまま保たれています!

思っていた以上に立派な石垣の素晴らしさと山から見下ろす町並み、
周辺の山々の紅葉とテンションが上がります!!

ただし本丸に相当する部分にテレビ送信塔が複数設置されていせいで、
写真を撮ろうとする時にスゲーー邪魔でした(怒)





お次は『神辺城址』を登城!
備後国守護朝山景連によって築かれ、以後守護所として代々続いたと
される城で、以後この城を尼子氏、大内氏、毛利氏と中国地方を代表
する大勢力が取り合った激戦区でもあります。
神辺城は神辺平野を見下ろす標高133mの黄葉山に築かれています。
現在山頂は吉野山公園として整備され、山頂に本丸跡が残り、北尾根と
西尾根に曲輪を連ねている作りになっています。
本丸の南東側斜面には石垣、西尾根の先端から南側側面には畝状
竪堀群が残っています。

徐々に南下を続けていった道程も既に海の側までやって来ました!
折角近所を通過するので『福山城』にも立ち寄ります。
江戸時代に築城された比較的新しい城で、代々徳川譜代の大名が
城主に据えられてきた、西国監視の意味を持つ城です。
残念ながら、天守閣などは太平洋戦争時に焼失してしまいましたが
天守閣、湯殿、鏡櫓、月見櫓が復元され、現存している伏見櫓、
筋鉄御門、鐘櫓、曲輪、櫓台、石垣、石塁、井戸などの遺構と合わせて
中々の迫力ある城址です♪
新幹線も停る福山駅の目の前にあり、新幹線から見える天守閣としても
有名です(笑)


福山が広島の東側なので、そこから少し東に進むと岡山県に入ります。
県境にて『笠岡城址』へと寄り道します。
天文22年、毛利氏が備中に侵入し勢力を拡大していた時代、笠岡の地は
村上水軍の統領村上武吉に与えられました。
永禄10年に村上氏が笠岡湾干拓地と笠岡港を見下ろす山の上に笠岡城
を築き、関ヶ原の後毛利輝元が長門萩に移るまで居城していました。
その後、笠岡は幕府直轄地として代官所が置かれ続けます。

城の遺構は・・・・・・・・・・・・
埋め立てのために削り取られて消滅(涙)

文字通りの城址が公園として整備されています。



ま〜見晴らしは良かったよ(涙)




後、展望台のテーブルの上に何故かエロ本が置いてありました(笑)
ご自由にどうぞ♪って事でしょうか?



そろそろ日も暮れてまいりましたが、折角なので『笠岡』にて
ご当地グルメを食べて帰ります!
「笠岡ラーメン」別名(鶏ラーメン)
老鶏の鶏ガラ醤油味のラーメンの上に一般的なチャーシュー(豚肉)
ではなく、かしわチャーシューと呼ばれる鶏肉を載せることが最大の
特徴です!!


・・・・ご当地グルメにありがちな、
調べた置いた店がその住所に見つからない。
HPでは営業しているはずの時間にやっていない。
臨時休業。

やる気がないなら暖簾を店ごと燃やせ!!!!(怒)


そんなこんなで街中を無駄にグルグル走らせれて、結局は最初の方に
見つけておいたショッピングモール内に入っていた「キッチン味々亭」
にてやっと笠岡ラーメンにありつけました(涙)

シンプルな鶏ガラ醤油のスープと珍しい、でもどこか懐かしいかしわの
チャーシュー。
値段の割にボリューミーで満足のいく逸品でした!





さて、時刻は18時過ぎ・・・
まだ広島と岡山の境にいます(汗)


さ〜て・・・・・・・・・急いで帰るよーーーーー!!!!


笠岡から高速の乗り口までは近かったので一気に帰路を急ぎます。
途中、定番の宝塚での渋滞も大したレベルではなく、予想以上に順調に
進みます♪

・・・・順調に進んだところで、現地を出たのが18時を過ぎている
時点で、もうね(苦笑)

ま〜頑張って東へ東へと進んでいきます!

22時
ミッキーたっての希望で御在所SAにてトンテキを食べます。
もう急いでるとか、明日の仕事とかどうでも良くなってきた(笑)



結局、我が家で解散したのは5日AM2時過ぎでした(涙)


ま〜楽しかったからイイけどね♪
今回は念願だった雲海も見れたし、ずっと行きたかった毛利の本拠地
吉田郡山城にも行けたので大満足のイベントでした!

・・・車中泊は移動中に良くあるけれど、完全に車中泊。しかも
車内で飲んでそのまま寝るって言うのは始めてだったので、非常に
面白い試みでした♪

ま〜あれだね?
遊ぼうと思えば遣りようによっては何でも出来ます☆って事で(笑)


それでは今回もお疲れ様でした〜!


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