今日も旅だ〜〜!!!
行き先は福井県若狭エリア!
・・・・・・・・・最近立て続けに北陸方面へ行ってるな(笑)
参加メンバーは俺、ミッキー、ゲレゲレ、キタイの4人です。 皆の仕事終わりにミッキーが皆を拾ってから我が家へ。
1:30頃に出発です。
15日はバイト居ないわ、連休最終日でレンタカー関連激混みだわ、 イベントデーと被るわで激疲れな俺ですが、俺以上にミッキーも ゲレゲレもヘバッていたので、助手席にキタイを乗せて俺が頑張って 運転です(涙)
ま〜走り出したら、後はキタイと萌える軍事単語で大いに盛り上がり ・・・盛り上がり過ぎて新東名に入り損ねて、久しぶりに東名を使って 西に向かう事にないりましたが(マテ)
途中、トラックが横転していて2車線しか無いのに 2車線も塞いでいて、路肩を通行させられるというハプニングが あり、結構ビビりましたが(汗)
あっと言う間に浜名湖SAに到着です!!
富士山が世界遺産になってから静岡県、山梨県がウザイくらいに 商売っ気を出していますが、ここも例に漏れずに至る所に富士山グッズ が溢れていてウザかったです(ヲ) ここで夜食を食って暫し休憩と給油をしてから復活したゲレゲレに 運転を交代して俺は寝ます・・・
朝7:00 最初の目的地である『小浜城』に到着です。 若狭唯一の近世城郭!
京極高次が関ヶ原の功績で若狭一国11万3500石を領する事と なったさいに、中世以来の若狭の支配の中心であった後瀬山城が 不便なため、北川、南川を天然の濠とし、小浜の海を背に難攻不落を 誇る水城として築城した城です。 城の敷地には酒井神社が建てられているほか、かなり状態のいい 曲輪、石垣、天守台が残されており、特に天守台に登ると南北には川、 西の方には海(小浜湾)が見え、それらに囲まれた水城だと言う事が よく分かります。
・・・・ただ水辺に近いからか
蚊が多かった(汗) 全員手とか足を喰われて超・痒かった!!(涙)
次の目的地は若狭国の一の宮 上社である『若狭彦神社』と500mほど離れた場所に位置する 下社『若狭姫神社』を参拝です。
上社は多田ヶ岳山麓に鎮座し、巨大な杉の木々に囲まれた神秘的な 空間に社が築かれ、海幸山幸の神話で名高い彦火火出見尊を若狭彦神と 讃えて祀っています。
下社は豊玉姫命(乙姫)を祀り、海上安全、海幸大漁の守護神として 信仰されています。
社の真横から生える巨大な神木は仰ぎ見ると首が痛くなる程の大きさ! まさに圧巻でした!!
この二つの神社は境内に、本殿・神門・随神門の3つの建物が一直線に 配置されている共通の造りでした。
若狭彦神社は畳・敷物業の神ともされ、現在はインテリア関係者の信仰も 集めているそうです。 若狭姫神社は安産・育児に霊験があるとされ、境内には子種石と呼ばれる 陰陽石や、乳神様とよばれる大銀杏など安産関係の諸々が多かったです。
下社は学校の集中地帯のそばに建っていたので、我々が訪れた時刻 8:00は通学途中の学生が大量に辺りを歩いていて、まるで不審者を 見るかのような素敵な眼差しで見守られていました♪(ヲ)
通報される前に撤収☆
次の目的地に行く前に、腹が減ったのでマックに立ち寄り 朝マック! 結構ガッツリ食べました(笑)
腹も満たされ向かった先は『空印寺』と言う小浜藩主、酒井家の菩提寺。 歴代の墓がある曹洞宗の寺で、ここは若狭守護武田元光が1522年に 守護館を建てていた跡で、周囲の地下には未だ濠が張り巡らされて いるそうです。
拝観料を払って寺宝を拝観。 暇だったのか住職の奥さんが付きっ切りで着いて来て説明して くれました♪
・・・・・・・・会話の大半が「本家の連中は滅多に顔を出さない」 「諸々の修繕費を国や県は全然出してくれない」でしたが(苦笑)
ま〜本当は別途特別代金がかかる歴代藩主の墓も¥0で見せて くれたので取り敢えずは感謝です(笑)
実はこの寺、歴代藩主の菩提寺だけではなく ・・・寧ろこっちが有名か!?
人魚の肉を食べて800年も歳をとらなかったと言う「八百比丘尼」の 由来の寺でもあるのです! 全国を行脚し貧しい人を助けたりと800年の歳月を過ごし、生まれ 故郷の若狭に戻り亡くなったという話ですが、境内には八百比丘尼が 亡くなったとされる洞窟があり、そこも中まで見学させて貰いました。
続きまして『神宮寺』 有名な奈良・東大寺二月堂の神事「お水取り」への水を送る 「お水送り」はこの神宮寺の神事なんですね〜
奈良のお水取りは知っていても、ここまで知っている奴は結構出来る奴 ですぜ(笑)
若狭随一との呼び声高い木造の本堂や、力強い木造金剛力士像を安置 した仁王門といった重要文化財も豊富です。
何より、勿論寺社の立派さも然ることながら、仁王門から続く道が 感動的です!
畑に囲まれた山間で生垣が左右をはしる小さな小道 地面は踵くらいまでの草で覆われて、緑の絨毯を敷き詰めたかの様で 蝉時雨を聞きながら、青空と遠く山々を眺めながら真っ直ぐ伸びる 小道を歩きます・・・
いや〜 夏休み〜〜〜〜!!!って感じ♪
続いては『羽賀寺」を参拝。 この地に鳳凰が飛来し、その羽を2枚落としていった事を吉祥と 喜ばれた元正天皇が、僧行基に命じて寺を建立された事が始まりと されている古刹。 寺宝の十一面観世音菩薩立像は若狭で最も美しい木造仏と 言われており、長く秘仏であった為、造った当初の彩色が 今も残っています! 脇侍の木造毘沙門天、木造千手観音は藤原時代末期の作で国の 重要文化財に指定されている他、勅筆や女房奉書などの公卿や門跡の 書状が数多く残されています。
ま〜さっきから何度か蛇だの見慣れぬ花だのを見かけますが、その都度 うちの生き物担当のキタイが解説をしてくれるので助かります(笑)
さて、若狭福井と滋賀との県境に位置する街道の宿場町 『熊川宿』がこの旅の福井県最後の目的地です。 若狭で古くから重要な街道2本の内 若狭をほぼ東西に走り、東は越前敦賀、西は丹後の舞鶴を結ぶ 「丹後街道」 そして大陸文化の玄関としての小浜から若狭町、熊川を経て、滋賀県 高島市朽木を越え、大原八瀬より京都へ続く「若狭街道」
この若狭街道の宿場町として栄えたのがこの熊川宿です。 別名「鯖街道」
海の無い京都の洛中に、如何に早く大衆魚でしかも痛みの早い鯖を 運ぶか!?的な意味から付いた名前らしいです♪
道の駅が併設されているので、そこに車を停めてから 自販機で水分補給をしながら、今尚街道の宿場町の風情を残す一帯の 街並みを炎天下の下、炎天下の下を関所であった『熊川番所』など 見学しつつウロウロと彷徨いました(苦笑)
さてさて、福井県を後にして続いては 滋賀県の『朽木陣屋跡』を見学です!
鎌倉時代よりこの地を治めた、近江源氏の佐々木氏の傍流に当たる 朽木氏の陣屋跡です。 関ヶ原の戦い以後、戦功のあった朽木氏が徳川幕府より譜代大名格の 待遇を受けて領地内に設けた館舎で、当時は本丸・二の丸・三の丸を はじめ、御殿・侍所・剣術道場・馬場・倉庫など戦陣拠点としての 諸施設が建っていたと云われています。 残念ながら、明治維新で全ての建物が取り壊されました(涙) 現在は、当時の堀・土居・石垣の一部と井戸。復元門が残っている だけです。 しかし、近年、植物・樹木が植えられ、わら葺きの民家が移築されて 史跡公園となって整備されたようです。
何だか朽木に近づくと雨が降ってきて、誰にツッこまれる前に ゲレゲレが自分で「ゴメンネ〜俺のせいで雨降ってゴメンネ〜」と ご機嫌に雨男アピールです(笑)
更に「雨乞いの踊り!」とか言い出して クイックイッと腰を振りながら奇っ怪な動きをしだす30歳
・・・・・・・・・・・誰か!槍を持てい!!!(ヲ)
槍が無いので、満場一致で蹴っておきました(マテ)
さて、後は微妙に時間が余ったのでと言う事で 「賤ヶ岳」にロープウェイで登って砦の遺構とか見るか〜と 思っていたら、山の麓に着いて吃驚!
・・・今日、ロープウェイ動いていない!!(汗)
って言うか、月の大半が動いていない(滝汗)
ガチで登ると本気で1日コースのハイキングになるので、勿論断念!
じゃあせめて滋賀の残っている厄介な山城を片付けるか!と 「観音寺城」を目指すも、まさかの入山16時までで 到着した時刻は16:20
流石にもう諦めて帰ります(涙)
最後は本気でグダグダになりましたが、帰りの高速も順調に進み 新東名のSAで飯を食ったり買い物をしたりしてマッタリと帰り道を 楽しみ、我が家近所のTSUTAYAに立ち寄り本を買ってから 22:00頃に解散です。
いやはや・・・ 最後のグダグダはドウにも、ね(涙)
ま〜でも若狭は俺もジックリ周るのは何気に始めてだったので 楽しかった! 現地で色々知って、更に行きたい場所が増えたので 若狭はもう一度行こうと思います!!
・・・日帰りイベントが枯渇してきているので丁度良いです(苦笑)
ってな訳ですが、今回も皆お疲れ様でした〜!
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