| 2013年05月19日(日) |
しまなみ海道を越えて(後) |
朝起きたら結構雨が降っていました(涙)
俺らの旅にしては珍しく雨だったので、俺も負けじと2度寝せずに 起きてホテルの朝食を食べます(マテ)
10:00チェックアウト
雨の中、進路を東に! 香川県との境、四国中央市へと高速を使い進みます。 まずは『川之江城』を見学。
南北朝の動乱の時代、南朝方河野氏の砦として土肥義昌が1337年に この地に城を築いたのが始まりと云われています。 1342年に北朝方の細川頼春が讃岐より7千の兵を率いて攻めてきます。 義昌は出城の畠山城主由良吉里と共に防戦しましたが破れ落城。 その後、義昌は各地を転戦した末に武蔵国矢口の渡で戦死しました。 細川氏の領有後、すったもんだの末に河野氏に返還。 城主は妻鳥友春になりました。 1572年、阿波の三好長治に攻めこまれますが撃退に成功! しかし、時代が進み土佐の長宗我部氏の四国平定の前に抗しきれなかった 妻鳥友春は、河野氏を見限り長宗我部氏に内通。 怒った河野氏は勿論城を攻め取らせました。 1579年前後の事と云われています。
ま〜何て言うか、国境を押さえる城が常に戦に巻き込まれるって言う 典型ですね(苦笑)
遺構は曲輪、石垣。 後は模擬とは言え天守、櫓門、隅櫓と中々に立派に作られていて 見応えは充分!
・・・雨の中、皆は傘とかをさしている中でそのままで見学する俺は 超・クール(マテ)
・・・・・・いや、だって普段から傘とか持つ習慣が無いからさ 天気予報で雨だって言われてても、家を出る時に降って無いと 「どうせ降らないか大して降らないから平気でしょ♪」って思っちゃう じゃん!(ヲ)
ま〜じっさいに木陰から木陰に移動していたのでそんなに濡れずに 見学終了〜♪
お次はかなり山中に入って行きまして、四国有数 いや、日本有数の鉱山跡である『別子銅山』へとやって来ました。
1690年(元禄3年)に発見され、翌年から1973年(昭和48年) までに約280年間もの間に、何と70万トンを産出し、日本の貿易や 近代化に非常に大きな役割を果たしました。 一貫して住友家が経営し(閉山時は住友金属鉱山)、関連事業を興す事で 発展を続け、住友が日本を代表する巨大財閥となる礎となった鉱山として 有名です。
現在鉱山跡は「マイントピア別子」と言う観光施設になっていて 観光客で賑わっています。 取り合えず駐車場、受付から当時の線路を使って運行されている トロッコに乗って鉱山入口まで移動します。 この地方出身の有名人として観光大使に任命されているのが 水樹奈々さんだったので、トロッコと鉱山の中のアナウンスは彼女の 声での案内となりますので、好きな人間には非常に堪らない空間と なっています(笑)
ま〜江戸時代、近代とマネキンを使っての採掘の様子を展示してある 何時ものパターンですが、その先の体験ゾーンは凄かった!
1分で踏破出来る大迷路!!(自称) 1cmも移動していないのに地下1000mまで下がったと言い張る 高速エレベーター! ボタンを押すとガガガガとサウンドとガタガタバイブレーションで 気分を満喫出来る設定な削岩機体験!! 中がスカスカで更に機械のアシストで巨大な岩を持ち上げて 力持ち気分を手軽に満喫出来るブース!!!
ヤバイ 普通に楽しかった俺たちが居る(苦笑)
結構遊べてしまった俺らはまだ若いって事でOK! お次はもう少しマトモな(マテ)遺跡が見たいと言う事で、更に山奥へと 進んで行き、車のすれ違いも困難なほどの狭い山道を登り続けて『東平』 エリアへと到着!
東平は別子銅山でも一番の見所で、当時の史跡がきちんと残っています! 大正5年から昭和5年までの間、別子銅山の採鉱本部が置かれた所で、 地中深くから掘り出された銅の鉱石を坑内電車で東平まで運搬し、 そこで選鉱した後、貯鉱庫に貯め、索道を利用して、現在の マイントピア別子にある端出場へと輸送していた中継所となっていた 場所です。 最盛期には、社員・家族を含めて約3800人が周辺の社宅で共同生活 する鉱山町でもあり、病院や小学校、郵便局、生協、プール、娯楽場、 接待館などの施設も整備され、一時期の別子銅山の中心地として 賑わっていた場所だったそうです。 残念ながら当時の施設の多くは取り壊され、植林によって自然に還って いますが、貯鉱庫、索道基地、変電所、第三通洞、保安本部などの レンガ造りの鉱山関連施設の一部が現存し、中でも重厚な花崗岩造りの 索道基地跡の石積みは、この地が「東洋のマチュピチュ」と呼ばれる 所以となった場所でもあります!
そんな立派なレンガ造りの朽ち果てた建物が山奥にいきなり現れるので とても神秘的ですらあります! 更に俺らの見学中はさっきまで降っていた小雨が上がり、山を覆い隠す 巨大な雲の切れ間から光が差し込んできて幻想的でした♪
いや〜 さっきの観光地100%の鉱山跡との落差が凄くて笑えます(笑)
予想以上にガッツリ見学していたので、予定の時間を大幅に過ぎて 次へと移動です(汗)
山を下って行き、再び高速に乗って松山方面へと移動。 別子と松山の中間にある『西条陣屋跡』を見学です。
西条陣屋は1636年に伊勢神戸城主一柳直盛がこの地へ6万8千石で 転封になりましたが、赴任の途次大阪で病没したため、嫡男直重が 西条6万8千の内3万石を継ぎ西条陣屋を築造し城下町を開いたと 云われています。 その後、一柳は参勤遅参で改易喰らって没落していき、西条は当時の 紀州藩主の次男が継ぎます。
徳川の一門ですが、明治時代は新政府に恭順して生き残ります(苦笑)
現在陣屋跡は西条高等学校となっていますが、校門となっている大手門、 門脇の堤、前濠の石崖と中々に良く遺構が残っています。 特に石鎚山の伏流水が一帯に湧き出ている為「水の郷・水の都」と 呼ばれていた西条に相応しく、水堀は圧巻!! 広大な水堀は、どう見ても陣屋クラスのものでは無く、城でもこれだけの 水堀を持つのは少ないのでは?ってレベルの物でした!
さて、そろそろ時間も怪しくなってきまして・・・
たぶん
と言うか、絶対にメインの松山城は間に合わないな(涙)
・・・・はぁ〜またリベンジですか(滝汗)
考えるのも面倒になり開き直ります! 途中で見つけた『石鎚神社』を急遽追加で参拝!!(笑)
石鎚神社は正式には西日本最高峰石鎚山を神体山とする神社で、 山麓に鎮座する本社、山腹の成就社と土小屋遙拝殿、山頂の頂上社の 4社の総称です。 今回我々が参拝したのは本社!
石槌山は役小角によって開かれたと伝えられ、その後、寂仙・上仙・ 空海・光定といった高僧が修行した山岳信仰のメッカ! 立派な権現造の本殿や大鳥居、神門を見学して来ました。
・・・・・・・・・また御利益増えちゃうな☆
境内から見下ろす街並みも、遠くまで広がる田園風景が
・・・・・・・・・・・・・・・・・地元みたいでした(爆)
続いて四国八十八箇所霊場の第六十一番札所であり、子安大師の寺として 親しまれている『香園寺』を参拝。 寺伝によれば、用明天皇の病気平癒を祈願して聖徳太子が建立したと いう古刹。 天平年間(729年〜749年)には行基が巡錫、大同年間には空海が 本寺で護摩修法をしたと伝えられています。 本堂と大師堂を兼ねる「大聖堂」と呼ばれる建物が建っているとの事 でしたので、さぞかし立派な本殿なのだろうと期待して行って見たら ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・市立体育館(マテ)
いや、だって見た目100%市立体育館か格技場です(汗)
お遍路を回っている外人さんが雨に打たれながら 辿り着いた瞬間に微妙な顔して「・・・・・・・」と 佇んでいるのが印象的でした(爆)
近所に『小松陣屋跡』なる陣屋跡があったので序でに立ち寄ります。 6万8千石の内、3万石で西条陣屋を長男が継ぎ。 次男は伊予川之江と何故か播磨小野で合わせて2万8千石。 ここ小松は三男の直頼が1万石で継ぎます。 小松一柳家は、直頼以後小松を離れることなく、9代頼明の時に明治を 迎えます。 戊辰戦争では、西条と同じく新政府軍として越後、会津へ転戦しました。
裏門が近所の寺に移築されている以外、陣屋跡には石碑と案内板しか 無くてこの旅の最後としては何とも寂しい終わりに・・・・(涙)
松山城を見学するには時間が足りませんが、帰りの飛行機の時間までは まだまだ余裕があったので、まずは早めにレンタカーを返してしまい 『松山空港』へと移動します。
ゆっくりと土産を買ったり、本屋で立ち読みしたり、仮眠をとったり、 携帯でゲームをしたりと皆好き勝手に時間を潰します。
余りに暇で、何かノリで紐を引っ張るとブルブル震えるバリィさんの 人形を買ってしまいました(苦笑)
後は折角の四国なので俺とコチヤとクラウザーでうどんを食べました!
予定通りに松山空港19:45発で離陸して、行きに比べると若干揺れた ものの穏やかなフライトで予定通りに『羽田空港』に21:15着
・・・・・・・・・あぁ 何度経験しても帰って来て飛行機を降りた瞬間の羽田空港の空気の 重さは異常(汗)
さようならバカンス♪お帰りクソッタレな日常♪ って感じが全身を駆け抜けて脱力させて憂鬱にさせてくれます(涙)
しかも東京も雨かよ!! 憂鬱さが倍増するわ!!!!(怒)
電車で帰るクラウザー 高速バスで帰るMICUELともりへー エイトパーキングに迎えに来て貰い車で帰る俺とコチヤ 空港内で解散する前に集合写真を撮ったりしてみました(笑)
川崎から茅ヶ崎経由伊勢原でしたが、思っていたよりも道は空いていて 茅ヶ崎駅前でコチヤを降ろしてから帰宅しても、0時前に余裕で 家に着いたので何時もの旅よりも余裕でした♪
これから荷物を片付けたり風呂に入ったりで、まだ寝れませんが ま〜今回の旅も無事に楽しく終えました! 皆お疲れ様でした☆
・・・・しかし松山城は痛恨のミスだったな(滝汗)
絶対にリベンジするけれど、行くなら土日で行きたいのですが 一体俺は次の土日連休は何時取れるのやら(汗)
ま〜頑張ります(ヲ)
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