| 2013年02月04日(月) |
雨でも俺たち天下布武! |
俺とゲレゲレの休みが偶然合ったので、急遽企画したところ何人か釣れ たので開催決定した今回のイベント!
滋賀県にある凶悪な山城を小分けにして制覇していこう企画! 全国的に一日中雨だって言われているけど気にせず決行!!(マテ)
今回は織田信長の居城として一番有名な安土城をメインに滋賀県を 観光して来ました♪
参加者は俺、ゲレゲレ、老ちゃん、そして連続参加のツジの4人!
修理が終わったゲレゲレ車で皆を拾って来て貰い、そのままゲレゲレ車に 乗り込んで2:00前に出発です。
ゲレゲレの運転で秦野中井ICから東名に乗り西に進みます。
やはり途中から雨が降ってきました(涙) 全部雨男ゲレゲレのせいです! 俺は後ろで不貞寝します(ヲ)
雨のパワーを得て元気になったゲレゲレのドライビングで 俺が起きた時には愛知に着いてました! 俺に運転を交代して更に進みます!!
ゲレゲレ車はマニュアルなので若干面倒に思いながらも(マテ)順調に 進み、最初の目的地である『建部大社』には明け方には到着しました。
まだ外は薄暗かったので、車内で仮眠します・・・・・・
起きたら寝る前はガラガラだった駐車場が大型バス数台を筆頭に 何台もの車が停っていて吃驚!
どうやら節分系のイベントが今日あるらしく、朝から混雑し始めて いました。
・・・・最初に来ておいて良かった〜
建部大社は近江の国の一の宮で、本武尊を祀る神社です。 日本武尊の死後の景行天皇46年(116年)に、日本武尊の妃である 布多遅比売命が神勅により、御子の建部稲依別命とともに住んでいた 神崎郡建部郷千草嶽の地に日本武尊を建部大神として祀ったのが 創建とされているとの事・・・ 因みに昭和20年8月、日本で初めて作られた千円紙幣(甲号券)の 図柄に日本武尊とここの本殿が使用された事でやや有名(笑)
天気はやや回復して曇時々小雨をキープ! この好機にガンガン予定地を回ります!!!
お次は現在の「浜大津駅」前にあったとされる『大津城址』へ 明智光秀の坂本城が焼失してから秀吉が浅野長政に命じて、その遺構を 使って天正15年(1587)に、本丸5層の水城として築かれた城。 文禄4年(1595)に近江八幡城から移封された京極高次が城主と なります。 高次は慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦で東軍に与した為、 石田三成の軍勢に包囲され城に火をかけ敗退。 で合戦後、家康の命により廃城・・・ 天守は彦根城に移築され、他のパーツも色々と分散(汗)
なので遺構は無し! 地元の企業が「大津城風」石垣を作ったり、石碑が建っていてその周りが 石垣みたくなっていて雰囲気が作られている程度ですかね(汗)
コンビニに車を停めさせてもらい見学。 で、そのコンビニで駐車場代代わりに朝飯を買って車内で食います(笑)
飯中、さっきまで曇で持っていた空から雨が!
あぁ〜飯食って雨男ゲレゲレが元気になったから〜(ヲ)
そんな雨の中やって来たのが天台寺門宗の総本山『園城寺』 一般には「三井寺」として呼ばれている事が多いです。 7世紀に大友氏の氏寺として建立されました。 平安時代以降、皇室、貴族、武家などの幅広い信仰を集めて栄えたが、 10世紀頃から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、比叡山の宗徒に よって寺が焼き討ちされることが度々あったそうです(汗) 近世には豊臣秀吉によって寺領を没収されて廃寺同然となったことも あるとの事(滝汗)
その都度蘇り存続し続けている事から「不死鳥の寺」とも呼ばれる事も あるそうです(苦笑)
広大な敷地に国宝の金堂を筆頭に大門、釈迦堂、鐘楼、三重塔、 毘沙門堂、唐院四脚門と重要文化財のオンパレード!
拝観開始から早々に雨が小降りになってくれたので、寧ろシトシト降る 小雨の中、静かに情緒感タップリで見て回れました♪
天気も徐々に曇へと回復してくれて、お次は『膳所城跡』へ! 家康の命で、築城の名手である藤堂高虎が縄張りし築いた天下普請の城 第一号!琵琶湖の畔に築かれた水城です。
現在は膳所城址公園として整備され、模擬表門の他、水堀、土塁、石垣、 天守台などが残っています。 目の前の役場に「役場利用者意外駐車禁止!」と書かれていたので、勿論 守ります。
役場の駐車場に車を停めてまずは役場へ! 観光課で「膳所城の資料下さ〜い♪」でOK!(マテ)
思ったよりもちゃんとした資料が手に入りラッキー♪ 勿論そのまま見学開始です(ヲ)
城としては、琵琶湖に面しているので湖上の交通は楽そうだが 城の防衛的にはどうなのさ?って感じです。 きっと湖上の船から天守閣が狙い撃ちし放題ですよ(汗)
公園内は綺麗に整備されているのですが、何故か説明版が全然無くて 今ひとつ盛り上がりに欠けますな〜
これにて大津市を後にしてお次は近江八幡市へ! だんだんと強くなる雨に怯えながら『近江八幡城』を目指します。 秀吉の甥である豊臣秀次が琵琶湖を臨む標高271.9mの八幡山に 築城した山城で、最頂部に本丸を設け、二の丸、西の丸、北の丸、 出丸が配置された一大要塞です! 秀次は秀吉の甥として一時は関白の位を譲られるほどに重宝されますが、 秀吉に実子が生まれると一転して邪魔者扱いされ、最後はハメられて 無実の罪で高野山で切腹させられると言う悲惨な運命の子です(涙)
城は麓から登ると結構ガチなハイキングコースで片道30分のレベル だったので、奮発してロープウェイを仕様!
一気に数分で山頂の本丸跡に到着です♪
本丸跡には村雲門跡瑞龍寺が建っていました。 瑞龍寺は秀次の生母「瑞龍寺殿日秀尼」が秀次の菩提を弔う為に、 文禄5年(1596) に創建したそうで、日蓮宗唯一の門跡寺院との 事だそうです。
山の地形を生かしながら曲輪、石垣、堀、水堀、が現存していて 更にそもそもマニアックな場所&一日中雨と言われている日に他の人間 が居る訳が無く・・・ マジで城が貸し切りです(笑)
下りのロープウェイなんて俺ら待ちだったしな!
切腹関白として有名な秀次ですが、そのイメージが強過ぎて暗愚な 印象を抱きがちですが、実は結構な経済感覚の持ち主だったらしく 彼が作った城下町は『近江八幡』の街並みとして今も一部残っていますが 町は碁盤の目にし、八幡堀と呼ばれる運河を造り城下町と琵琶湖を通し、 物資の流通を計り商業の発展に力を入れていた事が伺えます。
堀と白壁の街並みを小雨が降る中、しっとりと見学して来ました。
お次は段々と強くなっていく雨に怯えながら『長命寺』へ 長命寺は。西国三十三所第三十一番札所。 天台宗系単立で聖徳太子の開基と伝える古刹です。 琵琶湖畔にそびえる長命寺山の山腹に位置し、麓から本堂に至る 800段余の長い、長い凶悪な階段で有名です(滝汗)
・・・ま〜今では途中まで林道が整備されて一気に車で登って行ける 様になっていますがね♪
いや〜この林道作った奴、間違い無く神だわ〜(ヲ)
本堂のすぐ傍まで車で来れました!
で、そこからの短い石段だけでも結構勾配が急で疲れたって言うのに 見下ろすと下が見えない程の石段が・・・・・
車で来れて幸せでした。
伝承によれば、第12代景行天皇の時代に、当時の大臣であった 武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を 祈願しました。 このため宿禰は300歳!の長命を保ったと言伝えが残る寺でして ご利益は勿論「長寿」!
確りと太く長く楽しく生きれる様にお願いして来ました♪ ・・・・・・・・・・・・・・賽銭レスでね(マテ)
さ〜って! お次はとうとうメインイベントだ!! 『安土城』
どんどん強くなってくる雨に萎えながらも一路安土を目指します。
その時奇跡が!!!
安土城に着いた直後に雨が上がった!(笑)
信長が日本城郭史に大変革をもたらした名城! 5層7階の豪壮華麗な大天守が築かれた事で有名です! だが天守閣を含めた城郭のほとんどは天正10年(1582)に起こった 本能寺の変で信長・信忠父子が明智光秀に討たれ、山崎の合戦の後に 焼失しています(涙) 焼失の原因は、この頃安土城にいた明智秀満(光秀の女婿)が山崎敗戦 の報に触れ、城に放火して坂本城に避難した説。 秀満退避後に入城した織田信雄(信長の次男)が火を放った説。 一揆の手による放火説と諸説があるが、真相は未だに不明です。
残っていれば何程貴重な史跡になっていた事でしょう(涙)
焼いた奴は来世でも呪われろ!(怒)
しかし、流石は当時最大規模の城郭です。 現存している物だけでもかなりの物が残っているのが救いです。
山頂の天守曲輪跡に天守台が現存している以外にも本丸御殿跡、 二の丸跡には後に秀吉が築造した信長廟、天守台・本丸・二の丸の石塁、 黒金門枡形の石垣などが立派に残っていてテンションが上がります!
結構ガチで石段を登り続けるコースだったので、車で留守番すると言う 老ちゃんを残して3人で登城します。
安土城山麓大手門跡から登り、両サイドを家臣団の屋敷跡の石垣に 囲まれながら、たまに振り返り石段と石垣が織り成す風景に当時の 風景を重ねて想像して悦に入ったり(ヲ) 石段に使われた仏像が所々そのままの形で残っていて、それを発見する 度に足を止め写真を撮ったりと思う存分に楽しみました!
それでも入口で係員に言われていた「往復1時間以上かかる」を 大幅に縮めて往復して来た結果に我々団体の日々の活動 (朝から山白ガチ登山等)による成果が見て取れました(苦笑)
安土城を登城後は再び小雨が降ってきたのですが、正直雨に降られて困る のは安土城が最後のポイントだったので無問題です(笑)
お次は安土より東へ移動して『五個荘』と呼ばれる近江商人の館跡などが 多く残り、当時の雰囲気が残る街並みを見学して来ました。
大きな蔵と白壁の並ぶ古い街並みを小雨が降る中、マッタリとマッタリと 散歩しました。 山城登城やガチ石段トライ中でなければ小雨くらいは風情が あって良いものです(笑)
街中にて江戸時代、この辺りを管理する為に置かれた『近江金堂陣屋』 も見学して来ました。 陣屋の跡地は稲荷神社になっていて遺構は残っていませんでしたが、 陣屋の表門が近くの勝徳寺の表門として改修されて残っていました。
さて、そろそろ日も暮れてきましたのでラストスパート!
やや離れた場所に位置する「永源寺」なる寺を目指します・・・・・
が、20分遅く閉門(涙)
はぁ〜面倒な場所が残ってしまった〜〜(汗) ・・・・・ま〜絶対にリベンジするけどね!
さて、閉まったものは仕方が無いので諦めて帰りますかね(泣笑) 近くにICがあったので其処から名神高速に乗って一気に帰ります。
乗って直ぐの多賀SAで各自職場やら実家に土産を買って、 更に途中の富士川SAに立ち寄り、晩飯を食ったり給油したりで あっと言う間に秦野中井ICを通過して我が家に帰宅!
今日はゲレゲレ車だったのでマニュアル運転が怠かったが、 殆どゲレゲレが運転してくれたから楽だった〜(笑)
雨も要所要所で止んでくれたし、道も空いていたし、 ツジも今回のメンバー皆と馴染んでくれたし良かった良かった!
滋賀にはイイ山城がたくさん残っているのですが、一個一個がヘビー なのでイベント毎に振り分けが大変です(汗) 今日はロープウェイを使ったとは言え2つも攻略出来たので今後が 結構楽になりました!
・・・・と言っても、残っている山城が「観音寺城」「佐和山城」 「賤ヶ岳砦」と残っているので気合入れて逝くぞ〜〜〜!!!
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