久し振りの北陸〜〜♪
今日は富山県へと行ってきました。 メインは蜃気楼を見る為に!!
・・・ま〜見られるかどうかは正直運次第ですが(汗)
メンバーは俺、ゲレゲレ、キタイ、 そして久し振りに平日参加のMICHELの4人です。
4人でゲレゲレ車のKeiはキツいので、少し燃費とかで 割高になりますが、俺のセレナを出動させる事に・・・
ゲレゲレ車で皆を拾って来て貰い、我が家に到着が何時も通りに AM0:30。
今月からレンタカー屋で働き出したゲレゲレも、今までの様な 仕事終了が23時過ぎコースは無くなり、本当はもっと早く集合できた のですが、まさかの俺が仕事が終わらずに帰宅が23時を過ぎる羽目に なってしまい、この時間に調整して来て貰いました(汗)
で、車を乗り換えて出発したものの・・・・・・・・・・ 俺が携帯電話を家に忘れてくると言うまさかまさかのアクシデント発生!
厚木ICに乗る前だったので、皆の好意に甘えて一旦家に戻らせて貰い 携帯を回収してから再出発です(滝汗)
そんな訳で、東名に乗ったのが2時頃と言う有様でしたが 道は空いていたので遅れを取り戻すべく100〜120kmで 頑張ります(ヲ)
助手席のキタイと 「匂いだけでヤバイ物」 蕎麦屋の匂い!ラーメン!カレー!!煮物!!焼きたてのパン! ウナギ!焼き鳥!蒸かしたてのジャガイモ!餃子!! 「音を聞くと食指が動く物」 天麩羅の揚げる音!唐揚げの揚がる音!衣に齧りついた時の音! 麺を啜る時の音!!等々食べ物トークで盛り上がりつつ ナビに従って走っていたら、気が付いたら東海北陸道の分岐をスルー♪ ・・・・・あら?(汗)
あぁ! 俺のナビがデータが古いから、まだ東海北陸道が繋がりきる前のデータ だから北陸道経由をナビったのね(泣笑)
無駄に遠回りになってしまいましたが、取り敢えずは渋滞も無く 賤ヶ岳SAにてMICHEL&ゲレゲレ組に運転と助手席を交代して 俺とキタイは仮眠を取ります・・・・
朝一発目に到着したのは『善徳寺』 城端別院善徳寺は、真宗大谷派の大刹で室町時代の文明3年(1471年) に建立された蓮如上人の開基から530年余りの古刹。 江戸時代には加賀藩の庇護のもと更に栄えます。 山門・本堂・太鼓楼・鐘楼といった県指定の文化財が見事でした! 門前に建ち並ぶ彫刻系の店々もまた雰囲気のある乙なモノでした(笑)
続いては『瑞泉寺』 井波別院瑞泉寺。 井波彫刻発祥の地とされ、山門や太子堂などに秀作逸品が今も残る 名所! 明徳元年(1390年)、本願寺5代綽如上人によって開かれたこの寺は、 北陸の浄土真宗信仰の中心として多くの信者を集め、大きな勢力を誇り ましたが、16世紀になると織田軍の佐々成政の軍勢に攻められ、焼き 払われてしまいます(汗)
その後、再びこの地に再建されました。 本堂は北陸地方の真宗木造建築の寺院としては、一番大きな建物です!
ま〜一応、瑞泉寺城とも呼ばれるくらいの規模の造りをしていた 物ですが、加賀前田家に滅ぼされ、以降は前田家の持ち城として 使われます。 城の遺構は曲輪、櫓台、土塁、堀。
本堂を初め、山門など素晴らしい建築物が目白押しだったのですが、 それ以上に目を引いたのが藤棚!
ここでまさかの満開の藤に遭遇するとはな(苦笑)
本堂に置いてあった、大きな柄杓の様なヘラの様な物を見つけて 俺「こんな感じのアイテムを使うスポーツあったよな?」 キタイ「あぁ〜ありました、ありました!」 MICHEL「あ〜ここまで出てきてるのに名前が出てこない」 俺「何だっけ?」 キタイ「何でしたっけ??」
MICHEL「あの宮崎で地鶏を焼くのに使うやつだろ〜」
使用するのはスポーツでですが?(滝汗)
地鶏をどうする気だ!?
MICHEL「・・・・・・・・焼き方とかを競う競技だよ」
マジかよ!(笑)
ま〜そんな感じにバカ話をしながら寺内を見学して行き(マテ) 最後に山門を潜る時に「俺たち、最後まで馬鹿な話をし続けてしまったな」 と反省するMICHELとキタイ・・・
じゃあ、俺が最後に素晴らしい話で締めくくってあげましょう!
「ゲレゲレの免許は何故頻繁に傷つくのか?」
ゲレゲレ「今までで一番最低な話題だ!!!」
MICHEL「・・・・お前、最後の最後でネタをブッ込むな〜」
・・・・・・・・・そうか?(邪笑)
若干一名を除いて爆笑しながら次の目的地へGO!(ヲ) 『高岡古城公園』 加賀前田家二代当主、前田利長が築いた高岡城の城跡を、明治以来 公園として開放したものです。 築城後、すぐに一国一城令により廃城となり、越中国の国としての城の 機能は富山城に移ったとされますが、その後も密かに軍事拠点としての 機能を保ち続けたと云われています。 富山県で唯一の100名城! 遺構である水堀と石垣が大きく公園を囲んでいます。
暫し公園をウロウロと遺構を確認しながら散歩しました♪
・・・実はここまでの3つは過去に富山に来た時のイベント (過去日記参照)でも訪れていたのですが、中々に見応えのある物 でしたし、何より久し振りだったので再度訪れてみました(笑)
後、高岡は大仏が有名です。 それに最近ではコロッケもご当地グルメとして有名です! 「高岡コロッケ」 明治初期に高岡に伝わって以来、この地に根付いた料理となり、今では コロッケの購入額日本一(平成16年)の富山県。 年間で約8億5千万円!! 1世帯あたりの購入額は約2300円だそうです(笑)
道の駅の食堂で大きなコロッケを買って皆で食べました♪
・・・ただ、この食堂 道の駅内にあるくせに、マンガ喫茶?と思うくらいにマンガ本が 充実していて、皆コロッケを食べながら黙々と読書タイムへ!(マテ)
お陰で思わぬ所で1時間も足止めを食らってしまいました(汗)
気を取り直して再行動です! やって来たのは『白鳥城址』
越中を支配していた富山城の佐々成政を征伐する為に出陣した豊臣秀吉 が着陣した城です。 城の遺構は殆ど残っていませんが、発掘調査の結果、本丸は空堀で囲まれ、 周囲からはいくつかの土塁跡や敷石跡、陶器が発見されていて、その 殆どが富山県外から持ち込まれた物だそうです。
曲輪、土塁、堀切、空堀、井戸と少しは遺構が残っているので、城内を 山のアップダウンを「あぁ〜何時ものパターンだよ」と楽しみながら(ヲ) 見学して来ました。
次の目的地は『松倉城址』 富山を代表する・・・・・・・・・・・山城!
さ〜って、今日も登るぞ〜〜!!(笑)
曲がりくねった細い山道を、対向車が来ない事を願いながらクネクネと 登って行き、何とか本丸の真下まで辿り着く事に成功♪
・・・・しかし、ここからでもかなり過酷な急な石段を登る事になり 皆でゼーハー言いましたが(涙)
・・・・これを山の下から徒歩で登って来ていたら、それだけで今日が 半分は終わってしまったでしょうね〜(汗)
山頂部は空堀で区切られた5つの曲輪が南北に並び、その周辺には空堀が 掘られていて、全長1km級の巨大な城郭です。 松倉城の周囲には支城や砦跡と考えられている城跡の遺構が10ヶ所以上 も発見されており、越中で最大規模と考えられています!
戦国期には椎名氏がこの城を制してこの地を治めますが、上杉謙信の 侵攻によって滅ぼされると、元々はこの城の支城の1つであった魚津城が この地の支配の中心となり、政治的・軍事的役割は低下していきました。
いや〜山城! 本丸と二の丸を仕切る巨大な空堀も、二の丸と三の丸の間の堀切も 曲輪の形がはっきりと分かる良好な遺構の状態とか! 見所満載です!!
更に、城址で蕨が普通に生えていて採取できます(笑)
松倉城を見終えて、山から降りて行きまして、先程記載した 『魚津城址』を・・・・・・・見る前に(ヲ)
『魚津』にて蜃気楼を見よう!!!
・・・・・・・・・・魚津港に、蜃気楼を毎日観測している協会の 観測所があって、その傍に道の駅っぽい物があるらしいので、まずは そこを目指します!
海の見渡せる・・・って言うか、海の目の前の道の駅に車を停めて 蜃気楼が見えるかどうかを皆してジッと海を見つめて探す事数分・・・
良く分からない!(マテ)
観測時刻的には丁度今くらいの昼頃が良いタイミングだというので、 これで蜃気楼が発生していなければ、そもそも今日は蜃気楼が発生して いない可能性が濃厚(汗)
取り敢えず、埒があかないので道の駅の職員さんに 「今日って蜃気楼は見えますか?」と訪ねたところ
『蜃気楼が見えなかった記念証書』なる物を手渡されました(涙)
今日は朝から一回も発生していないそうです(涙)
取り敢えずムカついたので、蜃気楼観測所の案内板に載っていた 蜃気楼の写真を写メして「蜃気楼GETだぜ!」と無駄にテンションを 上げておきました(笑)
その後、市内に車を向かわせて現在はその敷地は小学校になってしまって いる「魚津城」へと向かいます。
松倉城を攻め落とした後、上杉家がこの地を治める中心地に定めた 魚津城。この城を語るならば、戦国時代末期に天下統一を目指す 織田家の北陸方面軍を率いる柴田勝家との激戦が有名でしょう!
遺構は無く、石碑が建つのみの残念な城ですが、俺的には一度来て見たい 城だったので今回立ち寄らせて貰いました♪
信長が本能寺で明智光秀に討たれたのが6月2日 柴田勝家が魚津城を80日間に及ぶ壮絶な篭城戦で落としたのが6月3日 6月4日に信長の死が知らされ、織田軍が撤退。 その後、再び上杉軍に奪還されますが、翌年に佐々成政が魚津城、 松倉城を攻略し、越中をほぼ平定します。
で、信長の後を継いで天下を物にした豊臣秀吉。 信長の後継者レースで最も重要な信長の敵討ちに成功して それまでの先輩にあたる柴田勝家を差し置いて、一躍レースのトップに 躍り出て以後天下をその手に掴みます!
その秀吉は、勝家が北陸で戦っていた時、同じく中国地方で毛利と 地元豪族連合軍との激戦の真っ最中でした。
6月3日夜から4日未明にかけて明智から毛利への密偵を捕えて、 本能寺の変を知った秀吉は、信長の死を隠したままで速攻で毛利との 和睦を結び、後の「中国大返し」と呼ばれる岡山から京都までの 約200kmを全軍で踏破した、日本史上屈指の大強行軍を行ない 6月13日に山崎の戦いで光秀を破ります。
その間、勝家を初め織田家の有力な武将は他の方面で戦っていたり 新領地の統治が大変で動けなかったりで、結果迅速な行動を行なった 秀吉の一人勝ち状態になります。
まさに魚津城は歴史のメインとなった中国大返しの裏面と言っても 過言では無い場所ではないでしょうかね? もし、勝家が迅速に京都へと戻っていたら、恐らく歴史は大きく 変わっていた事でしょう・・・
ま〜小学校の敷地に石碑があったので、学校に車を停めてから 事務所にて用務員さんに「城の見学をさせて欲しい」と一声掛けてから 見学させて貰いました。
で、見学後に車に戻ってから、電源を入れっ放しにしていた3DSを見て 吃驚!!!
・・・・・・20人くらい一気にすれ違い通信が増えています! =現在学校の敷地内で20人が3DSを持ってきて居るって事か!?
先生! 今直ぐに生徒の持ち物検査を!!(爆)
そんなこんなでバカをやりつつ、いい加減に腹も減ってきたので 『富山』市にて富山の御当地メニューを食しましょう! 「大喜」と言うラーメン屋にて「富山ブラック」を食べます!! スープは醤油の濃度が高く、さらに上から大量の粗挽き黒胡椒をかけら れており、独特の塩辛さを持っているのが特徴。 色はまさにブラック!
胡椒の香りが食欲をそそる一品でした♪
・・・・・味がかなり濃いからライスは必須だと思うね(苦笑)
食後、一個見忘れた箇所があった事に気が付き、魚津市から富山市まで 移動して来たのに、一旦黒部市の海側まで戻ります(汗)
『生地台場』 幕末に、沿岸警備のために加賀藩が設けた大筒台場の1つで 現在は門、大砲、土塁が復元されていて、そこそこに雰囲気が出ている 場所です(笑)
・・・・ま〜ただ、実際当時の大砲は射程が短い! 命中精度は神のみぞ知る!! 弾幕を張ろうにも砲は5門のみで連射は不可!!!
・・・・・・・・・これで如何しろと!?(滝汗)
何も無いよりはマシとするべきか、無駄と切り捨てるべきか 非常に難しいですな(苦笑)
これでやっと今日の見学は終了です! 最後は射水市にある道の駅「新湊」のレストランで 富山湾名物の「白エビ」を使った掻き揚げ丼を食べて来ました♪
折角なので、白エビを生の刺身とかで食べて見たかったのですが、 ・・・生で食べると、平気で2〜3000円コースになってしまうので 掻き揚げ丼を食します(涙)
ま〜掻き揚げ丼も非常に美味しかったので無問題でしょう!
食後は道の駅の土産物屋で名物の「鱒寿司」等を買って、後は高速に 乗って帰るだけです。
帰りも特に渋滞などは無く、帰り道も折角なので新東名を使って 帰りました。 途中で浜松SAに立ち寄って給油がてら休憩をしたくらいで、後は何処 にも停らずに一気に厚木ICへ!
富山で20:00頃まで飯を食って遊んでいた割には 厚木ICを10日のAM2:00頃には通過出来たのでまずまずの タイムだったかな?
2:30頃我が家前にて解散しました。
・・・普通に富山でマッタリ遊び過ぎました!(笑)
今回のイベントは、携帯を家に忘れたり、高速道路上で道を間違えたりと 俺が色々とヤらかしてしまいました(汗)
どれもリカバー出来たとは言え、どれもダメージがデカいミスに繋がり やすいので、今後はもっと気を付けたいと思います・・・
ま〜それでも他の行程は、天気も良くて今日も楽しく無事に 行って帰って来れたので文句無しでしょう♪
・・・ただ、メインの蜃気楼が見れなかったのが非常に残念です(涙) 自然の産物なので、何時の何時ならば見られると言う確証は無い物なので 仕方が無いと言えば仕方が無いのですがね(苦笑)
今度また行く機会があれば、その時は是非とも蜃気楼をこの目で直接 見たいと思います!
それでは皆さん、今日もお疲れ様でした〜・・・
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