もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2011年04月23日(土) 仙台の親戚たちを訪ねて・・・

21日の夜から今日まで家族で仙台へ行って来ました。


日付変更直前24日手前での帰宅です。




ま〜親戚の顔を見にと救援物資を届けにセレナ出動でした。
電話で無事なのは確認出来ていても、やはり直接顔が見たかったのです!



21日、仕事後に少し仮眠をとってから出発。
相変わらずに、早急に今やる意味があるのか不明な工事中の都内を抜けて
(この工事を自粛すれば結構節電になるだろう!)
東北道を使って仙台を目指します。



宇都宮を越えてるまでは順調な道程だったのですが、白河辺りで
天気が崩れ出してきます(涙)



で、更に地震の影響で一度は通行止めになった東北道。
この僅かな期間で復旧した事を流石!と思いますが、道は簡易舗装で
凸凹です・・・・
かなりガタンガタン振動がきます(汗)



で、福島県に入ると高架や看板、SAの売店やトイレ、もう至る所に
「救援有難う御座います」「支援に感謝します」の垂幕や看板に



こんな時にそんなに恐縮するなよ・・・・
と言ってあげたくなるね(汗)

流石に助けてもらって当たり前!的な発言をされると正直、どうよ?
と思ってしまいますが、只でさえ大変な東北の人達が『実費』で
こういった垂幕やら看板を用意してくれているのを見ると

やっぱり日本は政治は5流のカスだけど、国民性だけは素晴らしいな〜
と実感しますね☆



宮城県に入り、菅生PAにて1時間半ほど仮眠を取ります。

食堂で飯でも食おうと思っていたのですが、県外からやって来る
復興救援スタッフも高速を降りる前にメシを食おうと思うのか、
食堂も売店も食物関係はほぼ売り切れでした(涙)




で、空腹のまま仙台市内へと突入します!(汗)




まずは仙台市内(駅前の方)に住む母の親友の家にお邪魔して
休憩をとらせてもらいました。


仙台駅前は、本当に震災があったの?と言ったレベルでしたね。
もう普通に街が動いていて、綺麗なものでした・・・


ただ、午前中だけで思わず身構えるレベルの余震が
3回もありました(汗)


・・・・・こちら(関東)ではそんなにニュースにはなっていませんが
毎日こんなレベルの余震が一日に何度も続いているそうです(汗)




で、午後から母方の兄一家に会いに海方面へと市内を進みます。
伯父一家は親戚の中でも一番震災の被害を受けていて、津波で
家が流されてしまい、近所のアパートに引越しを余儀なくされました。


まずは無事な伯父一家の姿に一安心!

取り敢えずは震災後「皆無事だ」とは連絡を受けていたのですが、詳しく
話を聞いてみたら、伯父は5分の差で津波の直撃を逃れていて
長男は津波に車を浚われて胸まで海水に浸りながら泳いで避難所まで
辿り着いていてと、聞いていて此方が冷汗をかいてしまいました・・・

濡れた服で2日間もそのままでいて、しかも一家4人ともバラバラの
避難所にいて、合流できたのが2日後の夜と言う有様。

2日間で食べられた物は一家でオニギリ1つ!
1人1つじゃないよ?
一家で1つですよ!!


本当に無事で良かったよ(涙)




で、伯父に案内してもらい嘗て伯父の家があった港の方へと案内して
貰いました。















街が消えて無くなっていました








仙台駅から20kmくらいしか離れていないのに

辺りは瓦礫の山
家は潰され崩れて、車は地面に突き刺さり、
学校は校門の半分を残して消滅
倉庫も骨組みだけが辛うじて立っていて
残っている家も、2階部分が押し流されて1階部分から斜めにズリ落ちて
いたり、柱だけが残っていたり、電柱が壁に突き刺さっていたり、
車が2台3台がグシャグシャに1塊になって転がっていたり、
船の残骸が道路を塞いでいたり、

海水が川を溯った影響か、川縁にはマトモな平地は無く
瓦礫が堤防のように積み重なり、
田んぼには車や舟、電柱、家の屋根やらが突き刺さり
塩害と合わせて、再び米が採れるようになるにはどれだけの時間が
かかるやら・・・・・・・・

そして辺りに充満している海水の腐った臭いと廃墟の粉塵・・・・・
ギシギシとそこら中から聞こえてくる軋み音

こんな場所で作業していたら目も鼻も耳も異常になってしまうぞ!!



そんな中で懸命に捜索、復旧作業に当たる方々には本当に
頭が下がります。




ここに来て、この地に自ら立って、初めて今回の震災を実感できた
事に気が付きました。


今まで「大変だ」と思っていても俺、絶対に全然現実感が湧いて
いなかったよ



もう、直接被災していない俺が立すくんじゃう景色が其処には
現実としてありました。





伯父と別れ、今夜の宿へと向かいます。



仙台市内でビジネスホテルをやっている親戚がいたので
今回は無理を言って泊めて貰いました。


大手のホテルは震災時に営業を止めてしまったので
個人でやっている小さなホテルが帰宅難民やボランティアスタッフ
報道の人間の為に営業を続けていたそうです。

こういった情報はやっぱり現地に来ないと分からないね(汗)




親戚の小父さん小母さんに晩飯を御馳走になり
田んぼと蔵元が震災で壊滅した今では非常に貴重な
仙台の地酒をご馳走になりました!

・・・・・再びこいつが飲めるようになるには、最低でも4〜5年は
かかるそうです(涙)



翌日は朝から父の姉と会い、父方の墓参りに行きました。

墓石も倒れずにいてくれて一安心です。



父の姉一家は仙台駅前の方に住んでいたのでそれ程大きな被害には
合わずに済んだそうで良かったです!


墓参り後に伯母さん一家と別れて、今度は母の姉夫婦のマンションへと
向かいました。


丁度、父の姉の家と母の兄の家の中間に住んでいた叔母夫婦は
家の中が物が倒れて来たり、マンションの立体駐車場内で車が
落ちて傷付いたり、マンションのエントランスや廊下の壁や床、天井に
亀裂が入ったりと大変そうでした。
因みにガスはまだ回復していません(汗)




伯母夫婦を乗せて、俺の車で母方の墓へ向います。




こちらの墓も倒れずに堪えてくれていたので本当にラッキーでした!


ただ、辺りは墓石が通路に倒れていたり、墓石同士で打つかって
壊れていたりと、霊園中が壮絶な事になっていました。



その後、昼食をファミレスで食べてから伯母の家に帰り
休憩を取った後、帰路につきます。

帰り際に
「どうせ飲まないし、何本か震災で割れて勿体ないし、貰い物だし」
と言って、高級そうなワインを大量に貰ってしまいました(苦笑)





帰りの東北道では大雨に降られて大変でした。
簡易舗装の道が水はけが悪く、ライトの灯りが反射してきて目が
疲れてショボショボしてきます(汗)


まさかの福島でSAに立ち寄り2〜3時間の仮眠です(汗)



SAの売店でお土産などを序に購入してきましたが、売場内でも
慌ただしくペットボトルを大量に買い込んで走って車両に戻り
急ぎ足で東北方面へと向かう自衛隊の車両や、家具や建材を満載した
トラックが何台も停っていたり、
「私は医者です(外科)」とデカく書かれたプレートを首から下げた
医者が疲れ果てて椅子で休んでいたり、


皆一生懸命に今自分に出来る事を頑張っているんだなと
頑張ってくれているんだなと
一人一人にお礼が言いたいレベルです!


本当に、役に立たない政治家や諸悪の根源の東電の社員は
全財産を東北の被災した人と、こういう人たちに寄付した後に
死ねばいいと思うね




SAで仮眠を取り、その後も雨と霧に苦しめられながらも
埼玉まで戻ってくれば晴れていたのであと一息です(汗)



相変わらずに工事だ、事故だで混雑中の都内を抜けて
先程やっとこさ帰宅したわけですが・・・・・・・・・・




疲れた


肉体的にって言うよりも
想像を絶する現実に打ちのめされて帰って来たって感じです(汗)


今後、震災の爪跡は消える事なく残り続けるでしょうが
それに負けること無く復興に向けて頑張って生きていって欲しいです!








今回出会った東北民から関東圏の皆さんへ伝言(?)があります。



「心配は本当に有り難いが、何でもかんでも自粛なんて止めてくれ!
寧ろジャンジャンやって東北の分まで経済を回してくれ!!」


「何でもかんでも自粛されると東北民としてはプレッシャーを
感じてしまいす。」


との事です。



因みに仙台は今年の七夕祭りは決行します!
決定です!!
なんとしても夏の七夕までには日常を取り戻そうと必死に頑張っています!
更に七夕以外のイベントも、例年通りに開催できるものは全て開催する
そうです!!!

・・・・・よければ見に行ってあげて下さい。
本当に頑張っています。
色々悲しくて、大変だけれども前向きに頑張っています。




最後に

震災はTVの中の出来事じゃなかったよ
他人事じゃなかったよ


応援してあげて下さい。
募金をはじめ、支援の手を差し伸べてあげて下さい。
下衆な風評に惑わされないで下さい。


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