もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2010年11月02日(火) 奥浜名へ行って来ました

今日は一応紅葉を見ようと企画したイベントに行ってきました・・・



先日の日記でも書いたけれど、これだけ気温が上がったり下がったりじゃ
紅葉のシーズンなんて読めるか!!(怒)



今回行くエリアは奥浜名を始めとした静岡県北部。
何時もは東海道沿いを見て周る事が多いので、意外とこの辺りを
メインに据えて見ると言うのは中々無いパターンです。



・・・ま〜、紅葉が見頃ならばこの辺りは結構見所があったのですが、
生憎のシーズン未到来だったので、この辺りに在る徳川、今川、武田の
史跡でも見ておきますか〜(汗)


メンバーは俺、ゲレゲレ、ミッキー、コチヤの4人です。


日付が変わった頃、ゲレゲレと合流したミッキーが茅ヶ崎へと
やって来て、我が家の前にて俺を拾ってもらい、駅前でコチヤを
拾って、さぁ出発♪


今日は流石に最遠が愛知県の静岡との県境なので、高速を使って行くと
早く着きすぎてしまうので、久し振りのオール下道イベントです!



何時もの通り、後部座席でゲレゲレとミッキーには寝てもらい、
俺とコチヤの先発組で出発です。

国道一号が工事・・・工事・・・・また工事!
とイラつかせますが、途中の箱根ににて新道が無料になっていたお陰で
箱根の山道=車酔いのコチヤが思っていたよりも楽に箱根越えする
事に成功♪

・・・ま〜それでも最後の方は酔ってグロッキー気味でしたが(汗)



長い長い静岡県を只管走る事3時間・・・





いくらバイパスがあるとは言え、流石に下道をタラタラ
走るのはダルイね(汗)


眠くなっちゃって、危うく信号無視&トラックに突入しそうに
なってしまったよ(マテ!)


そんなこんなで危ないと思ったので、後ろで寝ていたゲレゲレを起こして
運転手交代です・・・







で、後でコチヤに聞いたらゲレゲレも事故りかけたってさ(汗)





生きているって素晴らしい(ヲ)
何とか無事に最初の目的地である愛知県の『田峯城』へと到着。
田峯城は菅沼氏の治める城です。
三河と信濃を結ぶ重要な地であり、また武田・今川・織田の
勢力範囲の拮抗する場に建てられていた為、常に戦乱に巻き込まれて
いたエリアにあったので、近辺の3つの氏族で硬い同盟(山家三方衆)を
組み生き残ってきました。

が、長篠の戦いで武田家が衰退の一途を辿るとゴチャゴチャしだします。
長篠の戦いを留守番していた当主の叔父が謀反!

当主が城から武田家の居る信州へと逃走

翌年、当主が夜襲をかけて首謀者を鋸裂き

その間に武田家滅亡

信州にて討ち死にで菅沼家滅亡エンドで終了です


・・・・う〜ん、戦国の世ですな〜

すれ違い困難なほど狭い山道を段々畑の中登って行き、
本丸跡に復元された書院造りの御殿や復元櫓が、駐車場から
見える段曲輪や空堀と合わさって中々に雰囲気がありました!


続いて、誰でも一度は名前を聞いた事のある地名、長篠にて
『長篠城』を見学してきました。
先の三方衆の一人、長篠菅沼元成が築城した城で、当時は今川氏に
属していいましたが、今川義元が桶狭間で討たれると松平氏(徳川)の
配下に入ります。
その後、武田信玄の三河侵攻の際に武田家へと寝返るも、武田家撤退後
は徳川家に責め滅ぼされ、再び徳川家の持ち城に・・・
かの有名な長篠の戦いの時、前線の城として武田軍団の猛攻に
晒されるも耐え抜き守りきるも翌年に廃城になります。

現在は曲輪、土塁、空堀、碑が残り、歴史資料館が建っています。
長篠の戦いの前哨戦も含めた巨大な長篠・設楽原の戦いの両軍の
陣地配置、部隊の進撃図は中々に熱く盛り上がりました♪


ついでに近所にあったこの辺りの昔の家屋が現存している
『望月家住宅』へと立ち寄り、生憎と定休日だったので塀の外から
見学しておきました(笑)

周る順番を間違えて本当はもっと先に見ておくべきだった『野田城跡』
を戻って見学(苦笑)
野田城は菅沼氏が築城した支城で、本丸、二の丸、三の丸、廓、
侍屋敷が直線状に位置し、城の両隣には淵があり天然の堀として使われ、
土塁と空堀は現在も鬱蒼とした雑木林の中でも確りと確認する事が
出来ました。

この城には有名なエピソードがあり、武田信玄がこの城を攻めた時に
城から聞こえる笛の音にほれて聞いていたら鉄砲で狙撃され、その傷が
原因で死亡したとの伝説が伝わっています。

・・・・ま〜真偽の程は定かではありませんがね(笑)



愛知県はこれで終了!
続いて山沿いに静岡県北部へと入ります。

天竜川の畔、小高い山の山頂に築かれた堅城『二俣城』へと登城!
天守台、曲輪、土塁、石垣、空堀、虎口が確りと現存する中々見応えの
ある城跡でした!!
中でも山頂にある中でも一際高くなっている天守台から見下ろす
天竜川の景色は最高でした♪

この城は武田・徳川攻防の城として、そして更に
家康の嫡子信康が信長の命で切腹した城として有名です。


更に近所にある信康を祀る『清瀧寺』にも立ち寄って
お参りして来ました。
信康は家康の一子で、一説によるとあまりに出来が良かった傑物だった
為に、それを恐れた信長によって殺されたと言われています。

・・・もし、彼が死なずに生き続けていたら歴史は違った方向へと
向かったのでしょうかね?
歴史にIFは無く、言っても仕様が無い事と良く言われますが、それでも
考えてしまうのが歴史好きの病気ですな(笑)



続いて、只管に山道を登って昼なお鬱蒼とした山の山頂付近に車を停めて
『光明山遺跡』へと向かいます!

大規模な石垣が遺構として残されている光明山遺跡は、戦国時代には
徳川・武田の戦場となった光明城の跡地であり、江戸時代には壮大な
伽藍を誇る光明寺があったと伝えられています。
光明寺は明治時代に火災で焼失・・(涙)


案内板が曲がっていたのか間違っていたのか知りませんが、看板の通りに
進んて行ったら悲惨な目に!!!
何時何処で猛獣やら死体が出てきても不思議では無いような山中を
歩かされ、気が付いたら「これ以上危険だから入るな」の目印の赤い
テープを『外側』から見ていました(滝汗)

(割とリアルに)怪我をする前に正しい道に戻り、家康が武田信玄から
逃げる時に腰掛けた石等を見つつ、石垣が残る展望台のようになっている
遺跡へと到着。

遠州灘、浜名湖、そして富士山とダイナミックな景色を楽しんだ後は
俺らを騙してくれた案内板に蹴りを入れつつ撤収!(ヲ)


そろそろ空腹でエライ事になっていますが、最後の力を振り絞り
『岩室廃寺跡』へと立ち寄ります。

平安時代から室町時代にかけて栄えた密教系の大寺院で、開創は
弘法大師と伝えられているそうです。
かつて信長に現存している観音堂以外を焼き払われた歴史を持ち、現在
までの発掘調査により礎石・瓦などの遺構・遺物が発見された他、観音堂
には過去に地中から掘り出されたと伝えられる仏頭・仏像が安置されて
いるそうですます。
この観音堂の仏像は、かつて 比叡山との争いの際に境内に埋めて
隠されたという伝承があるそうです。



さて、『浜松』市にやって来た腹ペコ集団が目指すは、勿論
「浜松餃子」です!!!
今回、痛恨の宿題忘れを犯してしまったミッキーの奢りなので
楽しみで仕方がありません!(邪笑)

前回家族旅行で来た「喜慕里」さんにやって来たものの、残念ながら
休憩中(涙)
流石に1時間以上も待つ気は無かったので色々と携帯で検索した結果、
同じく浜松市内にある「福みつ」さんに決定!

カリカリの皮とジューシーな肉汁がたまらなく美味かった餃子定食を
遠慮も無しに俺、ゲレゲレ、ついでに本人ミッキーも大盛りで注文して
お会計は(悪)夢の¥5000オーバー(マテ!)


いや〜・・・・・・・ミッキーご馳走様でした☆(邪笑)


・・・ここの餃子、浜松餃子の特徴のもやしが付いて無かったのが
やや気になりますね(汗)




食後、そろそろ日も暮れそうなのでラストスパートで頑張ります!

やって来たのは『横須賀城』
次に向かう高天神城と密接に関係しているこの城は、玉石を積み上げた
珍しい石垣が特徴の城で、武田家に奪われた高天神城奪還の拠点として
築かれました。
元々は城のすぐ南面は、遠州灘から深く入り込む入江があり、それが
天然の堀となり堅牢な守りの拠点となっていました。
横須賀湊は水上交通と物流の拠点で、海辺の道と海運の拠点として
遠州灘を押さえる要衝でした。

が!

城前のこの入江は、1707年の宝永大地震による地盤隆起によって
干上がり、城周辺の様子は一変!
まさかの出来事で湊は使えなくなってしまいました(涙)

どれだけ地形が変わったかと言うと、現在は海岸まで直線にして
約2kmが陸地となっています(汗)

現在も玉石を使った珍しい石垣が曲輪などの遺構とキレイにマッチして
公園として整備されています。


続いて、本日の最終ポイント!
先に少し説明した『高天神城』へと日没ギリギリに到着!!!

「高天神城を制するものは遠州を制する」と謳われた要衝の城で、
武田と徳川との間で何度も争奪戦を繰り広げた激戦区です。

高天神城は、大手口と搦手口を除けば周囲を絶壁と深い谷に
囲まれている天然の要害で、築城に関しては不明な点が多々あるものの、
今川家が護大名から戦国大名に成長する過程で築かれたとする説が
有力だそうです。

今川家滅亡後は徳川家の持ち城となり、武田信玄の猛攻にも耐えるも
武田勝頼が2万の大軍で攻め城は落ちます。

長篠の戦い後、家康は高天神城攻略の足場として横須賀城を築き、
10ヶ月の長きに渡る激しいの攻防の末、高天神城の奪還に成功します。

薄暗い中、結構急な石段を登り本丸跡や曲輪・土塁・堀切・井戸跡を見学。

中でも武田勝頼に責め落とされた際に捕虜となった大河内政局が、家康
に取り戻されるまでの9年間にわたり幽閉され続けた石牢は中々に
見モノかと♪

・・・・ま〜薄暗くて良く見えませんでしたがネ(汗)



さてさて、後は帰るだけですよ〜!
帰りも勿論の事、オール下道ですよ〜!!



思っていたほどの渋滞も無く、途中でミッキーが後方不注意で
車線変更時にトラックにカマ掘られそうになった以外は何事も無く
順調に帰宅(マテ!)



俺が帰宅したのが23時くらいだったかな?
ま〜流石は静岡、近いです。






今回のイベントは、原因は色々あるものの運転手が3者3様に
事故を起こしそうになりました(滝汗)


まずは何事も「楽しい!」よりも「安全に無事に!!」なので
今後はこの件を忘れずに安全第一を徹底して行きたいと思います。

皆も気を付けよう!
久し振りに真面目に反省です(汗)


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