・・・・過去に何度「これにて東京巡りは終了〜」的な事を 言ってきたかな?
同じ数だけ「また行って来ました〜」と言って来たね(汗)
で、またです。 大きな心で流して下さい(涙)
東京巡りにまたまたまたまた行って来ました〜!!!
前回周った後に、過去の記録を振り返った際 23区内で一回も行った事の無い区(通過は除く)が幾つか在ったのに 気が付いてしまったのが運の尽き!
その未開拓区にスポットを当てるべく、今回は東京入りしました! ・・・・・なのでその分過去の東京巡りよりも、よりディープに 且つマニアックなポイントが目白押しです(汗) タイトルの「裏」の文字に偽りは無し!
・・・・「裏」と見て、まずHな事を連想した奴は取り合えず 家の柱か壁に思い切り頭を打ち付けて反省して下さい。
参加メンバーは俺、MICHEL、クラウザー、もりへー、 そして久しぶりに旅イベント参加のTetsuの5人!
・・・車は俺のマーチなので激・狭の予感がって言うか今から覚悟の 必要大有りですな(汗)
俺らの大の苦手な朝早くに集合だった訳ですが、案の定Tetsuが 寝坊・・・・・・ 7時に茅ヶ崎出発の予定が出発したのが7:30過ぎでした(汗)
Tetsuを家まで迎えに行き、大和駅前でMICHELともりへーと 合流したのが、やはり予定30分オーバーの8:30頃。
その後、カーナビの誘導で細い道を右に曲がってスロープ(?)で グルッと一周りしてから更に右折! 右折後すぐにまた逆サイドにスロープで一周! そしてまた右折!!と言った感じで振り回されたものの 奇跡的に間違える事無く通過・・・
この時は車内から賞賛の声が上がりました(笑)
やはり30分ほど遅れて9時半に品川駅前にてクラウザーさんとも 無事に合流。
ここで席替えです! 俺=運転席は固定で 助手席をTetsuからMICHELへ交代。 取り合えず大型2人を前に入れて、後部座席に小〜中型の3人を 押し込んでOK!(ヲ)
ま〜狭いと言っても、チョクチョクポイントで降りるし 何とかなるでしょ♪
・・・それにしても東京巡りで参加人数が3人を越えるのは 珍しいな(笑)
まずやって来たのは、同品川区『鈴ケ森刑場跡』 江戸時代、江戸の町には処刑場が2つ在りました。 その1つが此処です。
・・・・・イベントの初っ端から処刑場ってね?(苦笑)
ま〜暖かな日差しに包まれた日曜日の朝っぱらから 処刑場になんて来る奴は居ないよな〜と思いやって来たら・・・・
30人くらいの集団が居ました!(爆)
社会科見学か地元のレクレーションか知りませんが、老若男女が 処刑場に30人も!!
・・・・今日は有名人の処刑でも予定が入っていましたっけ!?
彼らに混じって、慰霊碑や説明版、磔台の柱跡などを見学。 心霊写真でも写っている事を期待して写真を撮るも失敗(涙)
帰りは知らないお爺ちゃんに交通誘導までして貰い撤収(笑)
続いて『レインボーブリッジ』を渡って港区へ! やって来たのは『台場公園』別名「品川台場」(港区なのに) 品川台場は、江戸幕府がペリー提督率いる黒船来航に備えて、東京湾の 海防上の目的のため品川沖に築いた砲台跡です。 このような人口島砲台は明治以降、「海堡(かいほう)」と 呼ばれています。
幕末に造られた台場は8つあったと言われていますが、1つは 品川の御殿山下台場。現在の品川区立台場小学校になっています。 第四と第七台場は未完成のまま工事中止となり、第一、第四、第五台場は 周囲が埋立てられて現在は痕跡が存在しません。 更に、第二、第七台場は撤去されてしまっています。
第三台場と第六台場のみが、現在も残されています。 場所はまさに「お台場」で、レインボーブリッジの南側真下辺りです! このうち第三台場は、お台場海浜公園から東京湾に突き出たように 地続きとなっていて、台場公園として無料開放されているため、 歩いて入る事が出来ます。 台場内は石垣積みの土塁や弾薬庫跡、玉薬置所、陣屋の基石が 残っています。
景色は良かったですね〜 レインボーブリッジと海! フジテレビビルとお台場と高層ビル群!
後は海を挟んで孤島になっていて船でしか行けずに、一般公開されて いない第六台場が見えます。
何だかダイバーまで居たり、天気が良くて今日は暖かいとは言え この1月に海パン一丁で日光浴をしていた気合の入ったオッサンが居たり 結構色々な楽しみ方があるのだな〜と納得(ヲ)
次は渋谷区にGO! どうしても行って見たくて、今回無理やり予定に入れた場所です!! 『東京ジャーミイ』
神社やお寺、教会などは比較的行って見る事は容易いですが、 イスラム教の礼拝場である「モスク」は馴染みの薄い場所では無いで しょうか? 東京ジャーミイはトルコ人によって1938年に建設され、その後、 老朽化に伴い2000年に立て直されたトルコの文化センターの役割も 持つ施設で、東京の街中に突如現れたオスマントルコ様式の建物に 一同唖然!!!
中に入って更に唖然!!!
・・・・・・・・異国だ マジで異国に居るみたいだよ(汗)
入り口の脇のサロン(?)には噴水があるし、トイレに足洗い場があって 風呂場みたいだったり、建築様式、装飾も全てイスラム風で 統一されていて、とても本格的! 流石は本国から一級の職人を呼び寄せて造らせただけの事はあります!
で、2階に上がって礼拝堂に入ってデカルチャー!!!
圧倒されて言葉を失いました・・・
高い吹き抜けの天井に、シックな感じのシャンデリア(?)燭台(?) そして四方の天井を飾る見事なステンドグラス・・・
ここは日本だけれど、日本じゃないぞ(汗)
何だか無性にトルコに行きたくなったり、驚愕して興奮して 圧倒されすぎて疲れたな(苦笑)
お土産コーナーで俺は絵葉書を、Tetsuはトルコの伝統音楽のCDを 購入♪
やや足元が覚束無い感じがあるものの次へと出発します(汗)
さてさて、ここからは人跡未踏の未知なる大地へ!(マテ) 杉並区へと入ります♪
先の東京観光で見た「井の頭恩賜公園」(過去日記参照)と並び 武蔵野三大湧水池と呼ばれる『善福寺公園』へとやって来ました。
善福寺池に隣接する公園で、善福寺池は古来より武蔵野台地からの 湧水池として知られていた。 まだ農村だった江戸時代には、貴重な水源であったそうです。
池の名称は、昔この付近にあった寺の名からとったと伝えられています。 上の池と下の池に分かれ、池の面積は公園全体の47%を占めます。 池にはカモ、カイツブリ、バン、アヒルなどの水鳥がたくさん羽を 休めていました。
実はこの公園に来る前に、近所に在った『善福寺』にも 寄って来たのですが・・・・・
とても新しめなコンクリート製の昭和の香りがムンムンな寺院が 建っていました(汗)
・・・とくに案内板や説明書きも無し!
これは流石におかしいだろうと思い、帰宅後調べてみたら こう言う事だそうです・・・↓
これは福寿院という寺院が、後年地名とって改名されたものであり、 地名の由来にはなっていない。 地名の由来となっているとされる元の善福寺は善福寺池のほとりに あったが、江戸時代に災害により、壊滅しそのまま廃寺になったので、 現在はない。
そして、公園を散歩後に車を停めさせて貰った大きな神社も序に 参拝してくる事にしました(笑) 『井草八幡宮』 ノーチェックでしたが、流石に大きいだけの事はありました! 歴史は古く、神社としての形態をととのえたのは平安時代末期と 言われています。 当初は春日神を祀ってたそうですが、源頼朝が奥州討伐の折、 八幡神を合祀して戦勝を祈願して以来八幡宮を合祀し、後年春日社を 末社として奉斎するようになったとの事。
境内を見学後、そろそろいい加減に腹も減っていたので 近所の飲食店をナビって、近くにあったラーメン屋「天の道」で 決定!
俺は珍しくラーメンでは無く、油そばを注文♪ トッピングを色々付けて美味しく頂きました〜!!
食後、お隣の中野区へGO! 鬼の様に狭くてゴチャゴチャした商店街を貫けて『百観音明治寺』へ
この寺の関基は榮照法尼(えいしょうほうに)と呼ばれている尼さんでした。直接のきっかけは、明治天皇が崩御された事、つまり明治という 時代を見送った事と伝えられています。
ここは境内に名前の通り100体の観音様の像が祀られています。 これは近畿一円に広がる西国三十三観音と、関東地方の坂東三十三観音、 それに秩父の周辺に広がる秩父三十四観音の札所 を総称したものです。 この庭園に並ぶ観音石像は、その百ヶ寺に祀られてあるそれぞれの 観音様方の姿を写して石に刻んだもので、これを「写し霊場」と言います。ここには番外の観音様も増えて、現在のところ百八十体以上になってる そですが、いずれにせよここに居並ぶ観音様をー通り拝んで行くと、 百観音札所のすべてをお参りするに等しいご利益を授かれると 言われています。
つまりは一つで百個美味しいって事ですな!(ヲ)
参拝後、近所の公園のベンチでマッタリ寝ていた猫に萌え萌えして 隣に座ったら膝の上に乗ってきて、膝の上で寝だしたりと 萌え殺されそうな勢いでした(汗)
猫の誘惑を振り切って、そろそろ日も暮れてきましたが ラストスパートで『哲学堂公園』へ! 哲学堂公園は、明治39年に哲学者で東洋大学の創始者、 故・井上円了博士によって精神修養の場として創立された、 哲学世界を視覚的に表現し、哲学や社会教育の場として整備された 全国でも珍しい公園です。 広大な敷地内には野球場・庭球場・弓道場があり、哲理門・四聖堂・ 宇宙館・絶対城・六賢台・三学亭と呼ばれる区の有形文化財登録されて いる古い建築物などが建ち並びます。
・・・・その中でも哲理門は笑えた! 瓦全部に「哲」って彫ってあるの!! 門の屋根をよく見ると「哲」「哲」「哲」「哲」「哲」・・・・って
・・・・いい加減にもういいよ!って感じです(苦笑)
さて、そろそろ最後の一区へ向かいます! 本当は残りの東京の行き先一覧全工程の半ばくらいですが、 ま〜これ位しか周れないだろうな〜と予想していたので無問題です!!
・・・残りはまた来れば良いしね〜♪
練馬区に到着。 やって来たのは『三宝寺』 三宝寺は、山号を亀頂山といい不動明王を本尊とする真言宗智山派の寺。 南北朝時代の応永元年(1394年)、大僧都幸尊が開山したと 伝えられています。 文明9年(1477年)石神井城落城の後、現禅定院(東方約500m) 付近から現在の地に移ったと言われているそうです。 当時は、後北条氏や徳川氏からも保護を受け、江戸時代には近くに数十の 末寺を持ち、府内八十八か所巡りの十六番札所となっていました。 二度の火災で焼失したものもあるが、優れた仏像や絵画など現在でも たくさん保存されている寺です。 徳川三代将軍家光が狩りをした時、ここを休憩所としたとも 伝えられています。
結構広い境内に立派な本堂。巨大な観音像を見学して撤収!
お次は寺の裏手から回り込み『石神井公園』へ急ぎます!!!
石神井と書いて「しゃくじい」と読みます。 ・・・・・・・普通は読めないよな〜(汗)
三宝寺池、石神井池の二つの池を中心とした公園で、園内には武蔵野の 自然がよく残されています。 木々に囲まれ静寂な趣の三宝寺池と、ボートで賑わう石神井池のほかに、 「石神井城跡」とこれに関する幾つかの遺跡があります。 そして武蔵野三大湧水池最後の一つです。
夕暮れ時の涼しげな池の辺をユッタリと散歩して来ました〜
公園内を一通り見て周った後は、三宝寺に車を停めっ放しだったので 急ぎ戻ります(マテ)
今日の予定はこれで終了です〜 現時刻は17時前!
いや〜早い事ですな〜(笑)
やや込み始めた都内を走り、何やら在り得ない事に横浜でこれから飲む! とか言い出している面々を白けた目で眺めながら車は進みます・・・
心優しい俺は、運転手で飲め無い&駐車場代が高いとかの理由で 不参加にも拘らずに皆を横浜駅前で降ろしてあげました。
・・・・・・・いや〜マジで無いわ〜(怒)
俺が帰宅したのが20時前だったかな? 流石に東京は近いね〜
結局全部見終えずに終わってしまったので、最低でも東京はもう一回は 楽しめますな(笑)
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