もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2009年10月28日(水) 聖★高野山(後編)

ボケ〜っと起床した2日目・・・


今日は宿と違って朝風呂も2度寝も無し!

何故なら家主のユースケは今日も仕事へ出勤です!!



ユースケと一緒に7時半頃起床して、荷物を片付けたりして
8時10分に彼と一緒に出勤(笑)

マンションの前で皆で写真なんぞを撮ったりして
ユースケをお見送り♪





我々は駐車場に行き、荷物の整理などをしてから出発!
・・・思っていたよりも駐車場代が安くて良かった♪



まず本日向かうは、大阪の市街地の中に位置する『大阪天満宮』へ!
商店街の真ん中にある神社で、「天満の天神さん」と呼ばれています。

毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、
大阪三大夏祭りの一つとして有名です。

見学後の時刻はAM8:40
普段だったら、まだ寝ているか部屋でゴロゴロしている時間帯に
見学を済ませて車を神社の駐車場に置いて、朝食を食べに商店街へ(ヲ)


入ったのはうどん屋さん!
安くて美味かった〜〜!

トッピングも色々あって楽しめました♪
・・・乗っけ過ぎて、結局それなりの値段になってしまいましたが(汗)

半熟卵の天ぷらウマーーーー!!!!




さてさて、腹ごなしも済ませて出発です!
次に向かったのは、同じく大阪の市街地に位置する
ビルに囲まれた『坐摩神社』
珍しい三鳥居の神社で、過去に行った「住吉大社」(過去日記参照)と
同じ摂津国一の宮です。
社号は、「いかすり」と読みますが、通常は音読みで「ざま」。
坐摩の語源は諸説ありますが、土地又は居住地を守り給う意味の
居所知が転じた名称と言われているそうです。


その後、一度大阪府を出てお隣の兵庫県尼崎市へ。

尼崎駅前の『尼崎城』を見学。
尼崎城は織田配下の荒木村重の支城でしたが、天正6年(1578)に
荒木村重は織田信長に突如反逆して敗退。
その後、激怒した信長は荒木村重の一族郎党600余名を
尼崎の海岸で虐殺、尼崎の地を焼き払いました。

秀吉の時代になり、大阪へ通じる海陸の要衝の地として整備され
徳川の御世には戸田氏鉄が西の守りの拠点として使わされました。

現在は・・・・・・・・・・・何故か堀(そのまま川か?)と
石垣、城壁のみが復元されています。
櫓は天守は〜?(汗)

それらが在ろうポジションには、現在市立図書館が鎮座しています。
図書館の防備しては備えすぎでは無いかい??(滝汗)



それにしても今日も天気が良い!=暑い!!!
少しでも渋滞に嵌ると暑さが厳しいよ〜
・・・停まった時に窓が開いてると排気ガス臭いし(涙)

そんなこんなで再び大阪へと戻り、池田市にある『池田城』を見学!
池田城の歴史は古く、鎌倉時代初期から御家人の池田氏代々が居館を
構えていましたが、城としての形態が整ったのは室町時代初期の頃です。

先の荒木村重が信長に喧嘩売った時に、荒木サイドに付いた為
もちろん信長に滅ぼされて鎌倉時代から続いた池田氏も滅亡・・・

平成元年から発掘調査が始まり、それに基づいて平成12年4月に
城跡公園としてオープン♪

当たり前ながら復元ですが、模擬天守、城壁、城門、土塁、井戸、
空掘りと確りと造られており結構イイ感じです!
天守閣の麓の池に浮かぶ舞台では、能なども演じられていたり
俺らが訪れた時も、近所の人たちがベンチで読書したり
絵を描いていたりと確りと有効活用してるな〜と素直に感心しました。

続いて向かったのは『茨木神社』
桐一葉で有名な片桐且元が城主であった茨木城址で現在では
城門が移築されています。(片桐且元は賤ヶ岳七本槍の一人)
茨城城の歴史は古く、南北朝時代に楠木正成が築いたと
伝えられています。

神社の敷地の隣りの市営地下駐車場に車を停めて拝観したのですが、
駐車場で車から降りると案内板には地下からそのまま道の向こうの
神社に行けると書かれています。
・・・・・・・何のこっちゃ??と思いつつも案内板の通りに進み
自動ドアを抜けると・・・・・・・・・・・・・・境内だ!

振り返り、自分たちが出てきた入り口を見てみると
祠の様な建物で、いかにも納骨堂とかそんな感じの建物!

逆に初めに外からこれを見たら、絶対に駐車場への入り口だ何て
気付かないから!!!


ま〜色々とツッコミを入れて、境内を散策。
さっそく発見した、社の柱の下でお休み中の猫を発見♪

写真も撮ったし他へ行こうかとその場から移動を始めた瞬間に
今更になって飛び起きた猫。
足を滑らせ、今まで自分が寝ていた柱の出っ張りに腹を打って
地面に落下↓

ギニャーと鳴いて逃げて行きました・・・・・・・・・

・・・・・・・俺たちが悪いのか?(汗)


近所のお婆ちゃんに「神社の裏の豆腐屋が猫の溜まり場だよ」と
教えられて、すげー巧妙に隠された裏口から豆腐屋へ♪

思う存分に猫とモフモフしたら、祠から駐車場へとワープして
(本当にそんな感じ思えてくるって)車に乗り込み出発!



本来ならばこの時点で今日の予定は終了〜
現時刻はPM12:50

う〜ん、どうせ厚木ICは0時過ぎないとETC割引の関係上で
通過できないから、昨日見逃した和歌山方面へ向かうので丁度
良かったのかな?

大阪を真っ直ぐに南下して再び和歌山県へ入ります。
途中、コンビニで飯を食って16時頃に紀伊国一の宮で世界遺産
『丹生都比売神社』に到着!
にぶつひめじんじゃと読みます。

「丹」は朱
魏志倭人伝には既に古代邪馬台国の時代に丹の山があった事が記載され、
その鉱脈のあるところに「丹生」の地名と神社があります。
丹生都比売大神は、この地に本拠を置く日本全国の朱砂を支配する一族の
祀る女神とされています。

名前の通り立派な朱塗りの輪橋、楼門を見学して来ました。


拝観後まだ時間はあったので、九度山方面へと進みます!


ラストスパートでやって来たのは『慈尊院』!
弘仁7年(816年)、空海(弘法大師)が嵯峨天皇から高野山の地を
賜った際に、高野山参詣の要所に当たるこの地に、高野山への表玄関として伽藍を創建。
玉依御前(空海の母)は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から
息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は
7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、
本尊の弥勒菩薩を篤く信仰した為、女人高野と呼ばれたそうです。

・・・・別に母ちゃん位来ても良いじゃんかよ。と思ってしまう
現代人です(笑)

その関係でしょうね、境内にオッパイ型の安産守りが至る所に
収めれれていて、そのせいでゲレゲレが過剰反応してました(汗)


残念ながら塔は工事中でしたが、紅葉と土塀がとても綺麗でした!

本堂の裏手に在った長い石段をその場のノリで上ってしまい、その
先に在った『丹生官省符神社』も拝観して参りました(笑)


まだもう少し時間がありそうだったので、九度山といったら!的な
スポットへと急ぎ向かいます!!!

近場まで車で入って行けない様な細い道だったので一度役場まで
行って、役場の駐車場へ車を停めて歩いて戻って来ました。
『真田庵』
正式名称は善名称院と言い、戦国時代最後の武将、真田昌幸・幸村
父子隠棲の屋敷跡としてマニア垂涎の地!(マテ)
関が原で大阪方に立って戦った責任を取らされて、この地に流された
幸村が蟄居、そして再び戦場へと返り咲いたその過程で
彼は何を思ってこの地に居たのでしょうかね〜

う〜ん浪漫だ!



時間的にもベストなタイミングで今回の旅の目的地は終わりです!
後は安全に帰るだけです。

出発前に、近くのすき家で晩飯を食べました。
ゲレゲレが「余裕で食えた!」と言ってキング牛丼を食べるのを見て
「だから腹回りの肉が競り出て来るんだ!」とジュンさんと納得して
しまいました(苦笑)

高速代をケチる&厚木を丁度0時頃出る為の時間調整の為
下道とバイパスを使い九度山から亀山まで行き、後は一気に東名を
使って帰ります!!!



途中、予想通りにゲレゲレが「トイレ〜」と言い出す以外は
順調に進み、予定よりは若干遅れましたが1時前には厚木ICを
通過して1時頃に我が家へ到着〜☆


いや〜人数が揃わなかったり、ユースケを現地調達したり(笑)、
前日(当日か?)まで俺の参加が危ぶまれたり、
本気で色々あったイベントでしたが、その分楽しさも
完遂できた充実感も格別です♪

お二人さん、運転お疲れ様でした〜!
ユースケも忙しいのに付き合ってくれて有難うね!
&泊めてくれてマジでサンキュー!!


来月は紅葉狩りの時期なので、それ系のイベントが続くかな?
ま〜楽しく行きたいものですな☆


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