もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2009年03月08日(日) 伊達な旅☆(後)

朝起きて〜
昨日の晩、カラオケでハッチャケ過ぎたせいで
喉がガラガラでしたが、頑張って起床!


もりへーとフミは、今朝も仮面ライダーもどきとプリキュアを
確りと見ていたそうです・・・(汗)


珍しく俺以上に起きて来ないMICHELの起床を待って、予定より
30分ほど遅れて出発!


宿の会計は既に済んでいたので、フミに鍵をフロントへ返しに
行って来てもらい、その間我々は車に荷物を積み込んだりして準備。


フミ「E.Tさ〜ん、何か宿の人が一人¥100ずつ返してくれました」


・・・・・・・・・何故???(汗)

ま〜確認しに戻るのも面倒だったので、有難く総額¥700を
返して貰い出発(笑)



まずやって来たのは、仙台市内『瑞鳳殿』
所謂、伊達家のお墓ですね。
霊屋(おたまや)と言うそうです。

桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931年、国宝に定されましたが、1945)年の戦災で焼失してしました。
現在の建物は1979年に再建されたもので、2001年に
改修が行われ、柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、
創建当時の姿に復元されたそうです。


敷地内に資料館があったので寄って見ましたが、
伊達政宗公の遺髪とか骨の一部とか、展示してありましたが・・・

毎度その手の物を見る度に「何だかな〜」と思います(汗)

死後、学術調査や宗教的意味合いも無く、ただ見世物にされるのは
正直自分だったら御免ですね〜(汗)




ま〜個人的な意見はさて置いて、仙台市内の観光は之にて終了!

次に向かうは、次回の山形行きのイベントを少しでも軽くする為に
宮城県と山形県の境目辺りを狙います!

まずやって来たのは、前回天童にやって来た時に
観光案内所で見つけて気になっていた『若松寺』
正しくは「鈴立山若松寺」

「西の出雲大社!東の若松寺!!」みたいな呷り文句が書かれていた
のがとても印象的でした。

・・・・だって、あの出雲大社とタメ張るって言ってるんだよ!?

どんだけ凄いんだよ!(汗)と、天童の街を抜けて
ウネウネと山道を登り、やって来ました!


・・・・・・・・・・・・・・・普通に、お寺です(爆)



全然大きくないです。





「・・・・・・ふーん」と軽い気持ちで境内を探索していたら
出るわ出るわ意外な事実!

実は若松寺は1300年の歴史を誇る古刹で、
有名な民謡「花笠音頭」の一節にも出て来ていて
「めでためでたの 若松様よ 枝も 栄えて葉も茂る」の若松様は
ココの事らしいです!

しかも、あの有名な「山寺」とは対の関係だそうで、
山寺は縁切り寺として有名であり、若松寺は縁結びの寺として
有名だそうです。
更に両者の宗派も同じで、1200年の歴史を誇る天台宗。


小高い山の上にあるだけあって、景色は良かったです!

・・・・足元が雪で滑りやすいのに、絶壁の見晴台に
柵も手摺りも無くてビビりましたがね(汗)



コチヤが「鐘がありました!」と
言って独りでガンガン鳴らしていたのは
「縁福大風鈴」でしょうか?





更なる良縁の為、恋人や夫婦で一緒に鳴らす鐘だそうです(笑)









後輩が身体を張ってオチを付けてくれたので、笑顔で山を降ります♪

そのまま山形県内を少し移動して、山形市へと向かいます。
途中、急激な眠気に襲われたので運転をもりへーに交代して
俺は少し仮眠を取ります・・・



1時間くらいで山形市『霞城公園』に到着!
隣接する野球場に車を停めて公園内をグルリと一周♪

最上義光のお城で、本丸跡と二の丸跡、周囲にめぐらされた二の丸堀と
土塁、東西南北の門跡には石垣が残り、国の史跡に指定されています。


最上さんの家と言えば「最上騒動」が有名。
そもそも「最上騒動」とは何ぞや?と言いますと、(以下説明文)

最上義光は相当な謀略家とで、小田原北条氏攻めの際、豊臣秀吉の
下に真っ先に駆け付け、高感度アップに勤しんだり、
当時急激に勢力を拡大していた伊達政宗と頑張って婚姻関係を結び、
東北地方での地位向上に励んだり、
関ケ原合戦時には徳川家康に加勢し、西軍の上杉景勝に仕えた名将
(大河ドラマ)直江兼継(米沢城主)と戦って功績を上げ57万石の
大大名となったりで大忙し!

しかし、この義光には最上氏の跡取となる実子がいたにもかかわらず、
徳川家康のご機嫌をとるため家康の息子を養子にし、この子に最上氏を
相続させようとした。
これがもとで家臣同士の権力争いが起こり改易となった。

これが世にいう「最上騒動」と言う訳です。


二の丸跡には、野生の誇りを根こそぎ捨て去った猫と、勇壮な馬上姿の
最上義光の銅像
(槍に鉄砲の二刀(?)流な「お前は戦国無双か!」的な勇壮さ(笑))
と法体の斯波兼頼のレリーフが建っている。

最上義光の銅像の案内板に
「この銅像は時代考証を無視して鎧冑を作ってあります」
と書かれていました・・・・・・・・・・ダメじゃん!!!

鎧は、細かくて違いが分かり難いからともかくとして、
冑ってすげーー目立つ大事なポイントでしょ?
「俺が最上義光だーー!」って感じの前建てとか付いてたんでしょ??

せめて、そこくらいは勢いに流されて作らずに
時代考証してあげようよ(汗)



山形県は之くらいにして、再び宮城県へと戻ります!
まだもりへーに運転をしてもらい、俺は再び仮眠モードへ・・・

う〜ん、寝たのにあまり眠気が覚めないな(汗)



宮城県白石。
『白石城』に到着!
伊達政宗の側近、片倉小十郎景綱が治めた事で有名。
元和の一国一城令以後も、仙台伊達藩は特別に仙台城と白石城の
2城が許され、片倉氏は伊達氏の陪臣ながら白石城主として
1万7千石を与えられ、片倉氏11代が世襲して明治維新を迎えます。

更に戊辰戦争の際に奥州越列藩同盟が結ばれた城としても有名です。

現在は益岡公園として整備され、本丸跡には白石城のシンボルとも
言える三階櫓と大手一ノ御門、二ノ御門、土塀が平成7年に
復元されています。


城も見終え、丁度小腹も減ったので、白石名物「うーめん」を
食べようかと売店に入るも
「フードメニューは15:00まで!」
現在15:30(涙)


何を勘違いしたか、至る所にチラホラ飾ってある
戦国BASARA(カプコン)のキャラの等身大ポップだの
キャラクターグッズが途轍もなくウザかったです(怒)



空腹と30分差のお預け、勘違いした戦国BASARAに
イラッとさせられながら撤収!(ヲ)




相変わらず、もりへーの運転で東北道へ乗って帰路へ!




途中の福島県のSAでご飯を食べて、運転交代!
何時も通りに渋滞と無縁の常磐道をただ進みます(笑)
常磐道の美野里PAで、家族が迎えに来てくれている
老ちゃんとお別れです〜
老ちゃんのご家族さま、毎度毎度すみません(汗)


ついでにハデスがお土産に「納豆チョコ」を買ってみたりして(汗)


その後も然したる渋滞も無く、21時頃に上野駅でハデスとお別れ!
今回も大阪行きに続き、帰りのETC割引を使わない計画だったので
ハデスも余裕で終電に間に合い、これで全員今日中に家に帰れます(笑)

横浜片倉町でフミを降ろし、二俣川でMICHELを、大和駅で
もりへーを降ろして、コチヤを茅ヶ崎駅の南口方面で降ろしても
まだ今日!(笑)


帰りにラーメンを食べて帰りました♪






いや〜
今回も無事に楽しくイベントを終える事が出来ました♪
本当にこの事実が何よりです(笑)

今期も残す所、後僅かですが無事に怪我無く楽しく過ごしたいと
思います!

さて、次回は〆キャンプだ〜!


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