もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2008年09月10日(水) 北関東(西)ブラリ旅♪群玉古城巡り

え〜っと・・・・・
本来ならば17日のイベントだったはずの今回の日帰りイベント。



日程変更になった元凶は俺です(汗)

8月の21日に母から「17日は墓参りに田舎に帰るよ」と
いきなり言われたものでして(汗)




そんなこんなで行く前からバタバタしましたが
(幹事のジュンさん、マジで申し訳無い!)
参加者は俺、ジュンさん、ゲレゲレ、老ちゃんの4人です。



仕事明けのゲレゲレが横浜駅で老ちゃんを拾って
茅ヶ崎へとやって来て俺と合流。

途中のコンビニで買い物をしつつ
川越のジュンさんの別邸(某@イヤルホスト)
に何時もの通りに車を停めてジュンさんを待ちます。


車から降りたゲレゲレが何やら騒がしいです・・・

「今見たら、左の前輪のホイールキャップが無い!」
「走行中に外れたかも!!!」


・・・・・・ホイールキャップって買うと意外と高いよ?(マジで)


「あぁ〜マジで凹む!!!」

何てやり取りをしていたら、ゲレゲレが
遠くの一点を見つめて黙りだしました(汗)


「あそこ(側のマンションの前)に停まっている車って・・・」

お!お前さんの車と同じだね〜

「ホイールキャップも・・・同じだ!」

・・・・・・・・(良く見て)いや〜違うだろ〜(汗)


「同じだ!!」


は〜左様ですか(滝汗)


「同じだ!!!」



はふぅ〜
ヤればいいんでしょ!ヤれば!!

エイッ☆と助手席側のホイールキャップを
地面に落ちていた車らしき鉄屑から廃品回収してきて
ゲレゲレにプレゼント♪(マテ)


「マジでやって来るとは思わなかった!」

え!ちょ!!オマ!!!
お前がいかにも欲しいってオーラを出してたからだろうが!


「オヤジに1つだけキャップが違うのをどう説明しよう!!」
盗んだって言えば?

「・・・言えない。E.Tの職場で貰った事にする」



何てやり取りを合流したジュンさんにしたら、ジュンさん大爆笑!

えぇえぇ笑って頂けて嬉しいですよ(涙)



運転をジュンさんに代わり、群馬県を目指します!
途中、猫の死骸やら此方に突撃してきた雀を撥ねましたが
無問題!(マテ)


先ずはやって来たのは『富岡製糸場』
映画あぁ野麦峠でも有名な明治時代に建てられた
当時最先端の製糸場です。
・・・何でも、世界遺産暫定リストに登録されたとかで
立て看板やポスターが町の至る所に貼ってありました(笑)

早朝5時。
最初の目的地に辿り着く直前にこの告知を見つけて
急遽寄って見る事に♪

早朝なのをいい事に、富岡製糸場の目の前に路駐!(爆)

もちろん施設は開いてないので、門の間や塀の上からメインの
建物を見学(笑)
危うく塀の上によじ登ろうとして有刺鉄線に気付かず痛い目に
あいかけたり、立小便をしていたジュンさんが犬にメチャ吠えられて
慌てて戻ってきたりと色々ありました(汗)

取り合えず、外壁を見終えたので
本来の最初の目的地である『貫前神社』へと向かいます。
貫前神社は上野国の一の宮と称せられる県下随一の名神大社です。
・・・・分かりやすく言えば寒川神社の同類です(笑)

急な坂を車で登り、総門の目の前でまたも路駐(マテ)
総門を潜ると、山(?)の上にある総門から本社に至るには
珍しい下り参道となっていました。

次に目指したのは『高崎城址公園』
徳川四天王の一人「井伊直政」の居城で今では
「水堀」「土塁」「本丸乾櫓」「三の丸東門」のみが残っている
公園で、辺りは高崎の近代的な町並みに囲まれた公園です。

隣りに高崎市役所(高層ビル)が在るのにも拘らず
もちろん市役所と公園の間に路駐!(爆)


すれ違った警察官に軽くビビリながらも無事に見学を終えて出発!


続いて向かうは織物の町として有名な『桐生』
『桐生天満宮』や旧家の蔵が立ち並ぶ町並みを見て周り
蔵と言うか倉庫を改装して見学施設として開放している『有鄰館』を
見学し、芸術家のアトリエとして利用されている『無鄰館』では
只管、犬と戯れて桐生、終了!(ヲ)

最後にゲレゲレがタバコ屋で纏め買いした
国籍不明の甘ったるいタバコ数種類を俺とジュンさんとゲレゲレで
吸ってみて、あまりの甘さと不味さと不健康さに皆で苦しんだりと
言った一幕もアリ〜ノで次は山道を上って『太田金山城跡』へと到着!
金山城は、太田市のほぼ中央にそびえる標高235.8mの全山
アカマツに覆われた金山に築かれた山城で、その城域は四方に延びた
尾根上に展開され、東西3.8キロ、南北3.1キロの広範囲に及ぶ
広大な山城で、歴史は古く南北朝時代の新田義貞が砦として
整備したと言われています。
館や建物は残されていませんし復元もされていませんが、
総石垣構えの大手虎口道が復元されています。

ここは武田、上杉、北条と名だたる戦国武将たちの間で長きに渡り
生き延び続けてきた堅城です。

明治8年、実城域の本丸跡に新田義貞公を祀った
『新田神社』が創建されたそうなので参拝してきました。


山道を下り、再び街中を走って『館林城跡』へ!
築城者は赤井照光さんで、その後戦国時代で越後の上杉氏や甲斐の
武田氏、小田原の北条氏による三つどもえの攻防のなかで、「長尾氏」
「北条氏」などが館林城を支配するようになったそうです。
更にその後の天正18年(1590)の徳川家康関東入封に伴って、
徳川四天王の一人「榊原康政」が10万石で城主となり江戸時代を
迎えると、「館林」は、利根川を押さえることができる東北方面への
要所として、また、徳川綱吉が5代将軍になってからは、将軍を輩出した
徳川宗家に関わる重要な地として、江戸幕府に位置づけられ、
最後の城主秋元氏まで江戸幕府の重鎮を務めた七家の居城として
栄えたとの事・・・
城の建物の大半は明治7年(1874)に焼失してしまいましたが、
現在でも本丸、三の丸、稲荷郭、城下町などの土塁の一部が残っていて、
三の丸には土橋門が復元されていました。

・・・・・・・・・・う〜ん、土浦の「亀城公園」や静岡の「駿府城祉」
と同じ感じの雰囲気の公園ですね(笑)


その後、一路埼玉県へと戻り、
最近「のぼう様」で有名になりつつある『忍城』へと到着!
本丸土塁と忍の時鐘(鐘楼)以外は明治に全て取り壊されており、
今はコンクリ製の復元の天守が博物館として利用されています。

天正18年(1590)豊臣秀吉は、関東攻めのため小田原城を
攻囲したが、この時豊臣方の武将石田三成が丸墓まるはか山に陣を張り、
周囲7里(約30キロメートル)に及ぶ堤を築き、忍城を水攻めにしたが
落城せず、小田原北条氏の本城開城後、説得されて開城することになった。
攻めるに堅い名城として後に“忍の浮城”と呼ばれるようになった。

と説明書きが書かれていましたが、自分としては忍城を語る上で
外せないのが「甲斐姫」では無いでしょうか?
城主の娘としてスパルタ教育を受け、長刀の腕前はマスター級!
一説によると美人!
美人!!!

・・・・・美人!!!!!!



秀吉の北条討伐においては、北条方の支城の一つであった
忍城はもちろん北条方として秀吉方と戦う事に!
その際、小田原城へと出兵する父、氏長から「この城を頼む」と
言われたそうで、なんと氏長は当時19歳くらいの甲斐姫に忍城の
守りを託した訳です。その時の城兵わずかに300。

石田三成率いる3万は北条の主城である松山城・岩槻城・鉢形城を
速攻で落とし、忍城攻略にやってきました。
三成は「こんな小城、半日で落とせる」とタカをくっていたんですが、
甲斐姫率いる城兵の激しい抵抗を受けて敗退。
この時、甲斐姫は父と約束していた
「城の守りは任せたが、敵に突撃だけはしてくれるなよ!」と言う
約束は全無視です(笑)
ならばと、今度は利根川の水を流し入れて秀吉直伝の「水攻め」を敢行!
不安に陥った城兵たちに甲斐姫は「こんな時期に川を塞き止めても
洪水になって自爆するだけ!こんな事もあろうかと、この城は
水攻めに強く造られてるから無問題!!」と言い、城内で宴会をやって
三成を挑発までしてくれます♪

その後、すぐに甲斐姫の読み通りに利根川を塞き止めた
堤防が決壊し三成の陣地は水没(笑)
多大な犠牲を払い一時撤退・・・

援軍の浅野長政隊が合流し、総攻撃をかける事になりました。
このまま落城か!?と思いきや、今度は家宝の名刀「浪切」を携え、
甲冑に陣羽織で完全武装し、黒馬にまたがり城から突撃!!!
浅野隊へガンパレードマーチです♪

浅野隊をバッサバッサと切り伏せて、敵将たちをなぎ倒し
気が付けば浅野隊は恐れをなして撤収・・・


貴方は何処のガンダムですか!?


更には追加の援軍で戦国を代表する名将真田隊(昌幸・幸村)も
到着して忍城を攻撃するものの、再び甲斐姫が出撃しまして、
あの真田幸村を追っ払います・・・
甲斐姫強すぎです(汗)
ここまでの武勇伝を持つ人物は、そうはいません。
結局、本城である小田原城が先に降伏してしまったので、
忍城も開城交渉に応じたのですが、甲斐姫は忍城を守りきったわけです。
あんた凄すぎだぜ(滝汗)


戦後はエロ爺秀吉の側室になったり
秀吉死後は、その息子秀頼の守り役となり
大阪冬の陣・夏の陣を生き抜き、戦後徳川秀忠の娘千姫の取りなしに
より命を拾い、鎌倉の東慶寺で仏門に入ったと伝えられています。


・・・・・・・・・・イメージ的にはナウシカ!?



そろそろ時間も押してきましたので、最後の目的地へと急ぎます!
目指すは
駄菓子とサツマイモと蔵の町、そして上質なジュンさんの産地として
有名な川越!
『川越城』へと急ぎます!
何故急ぐかって!?

ここの閉館時間が16時半だったのです(汗)


今回唯一駐車場代と拝観料(¥100)のかかる場所です(笑)

川越城は、長禄元年(1457)に、上杉持朝の命により、
家臣の太田道真・道灌親子が築いたといわれています。
江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が
城主となっていました。
現存する建物は本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が
残っています。

広い御殿を見学後、隣りに建っていた『三芳野神社』も見学。
ここは、あの童謡「とおりゃんせ」の発祥の地だそうです。


・・・・・・何気にあの歌を聞くと怖いのは俺だけかな?(汗)



その後、駅で老ちゃんを降ろしてから駅前で買い物をし¥2000
購入分のレシートで駐車2時間無料の駐車場で
¥1000分のレシートで「1時間なら無料だろ?」と
押し通りジュンさんを何時ものファミレスで降ろして一路
神奈川県へ・・・


途中、ゲレゲレが「渋滞ダルイから高速使う!」と言い出し
予定よりも早く帰って来られました♪

二俣川に寄ってMICHELと合流し、茅ヶ崎のファミレスで
今後のイベントの事などを話し合って22時頃解散・・・・・・・




今回のイベントのコンセプトはずばり
「何時も移動が大変なジュンさんに楽をさせてあげよう!」でしたので
そこはクリアかな?(笑)

今後も、こう言った隠し的要素を入れて色々な企画を考えてみたいと
思います!

しかし、関東地方も本当に色々な見所があるものだと
行く度に思います。

さて、次は何処に行くかね???


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