もへんじょ=だろの不定期更新日記
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2004年05月31日(月) 死ぬと言う事

祖母が亡くなりました。
享年79歳。80歳を目前にしての死でした。


祖父が亡くなる前から癌で入院していた祖母は
手術後も容態が回復せずに祖父の葬儀にも出ることができないくらいに
衰弱していました。

そこに祖父の死が重なり、かなり堪えたのだと思います。
祖父の葬儀の帰りにお見舞いに行ったときに、祖母が寂しげに言っていた
「置いていかれた」と言う言葉が今でも耳に残っています。

祖父の49日と重なっての葬儀でしたが、きっと祖父が祖母を呼んだ
のだと思います。


祖母の病状が悪化したと知らせがあったのが今月の半ば過ぎ、
その頃から母は病院に泊りがけでした。

俺は、就活やバイト、大学、犬の世話や家の事があったので
止むを得ず留守番でした。

母から電話で「痛み止めに点滴の中にモルヒネを入れた」と聞いた時から
覚悟はしていました。

それから1週間ほどして、俺が金・土と病院に付き添いに
行く事が出来ました。
所謂、最後のお別れをするためにです。

金曜日、就活が東京の方であったので、それが終わり次第新幹線で一路仙台へ

病院に着き祖母と1ヶ月振りに対面しました。

その時は既に祖母は言葉を発する事も出来ず
呼吸困難と無呼吸を繰り返していました。

それでも話し掛けると反応を返してくれたり
目で俺の方をじっと見たりと自分の意思で意思の疎通を
図ろうとしていました。


その晩、明方まで祖母と2人で色々な事を話しました。
母の事、妹の事、親戚の事、祖父の事、俺の事、昔の事
家の事、大学の事

まだまだ話したいことはたくさんあったのに、
一晩ではとても語り尽くせぬほどに一緒に色々と思い出を作ったのに


・・・・・・夜が開け、49日の為に仙台に向かう親父と妹から
家と犬の世話を引き継ぐ為、俺は帰宅することに。

帰り道、電車の中で寝てしまい小田原の方まで行ってしまいました。

電話を見てみると母からの不在着信が3件

全部分かりました
祖母がもうこの世に居ない事
また俺は死に目に会えなかった事
まだここで泣くわけにはいかない事


すぐにでも仙台に戻りたかった。
でも犬をどこかに預けないといけない。

朝までイライラと時を過ごし
犬を預け終り、再び仙台へ


斎場に着くと祖母は綺麗に化粧されて柩の中に横たわっていた。


通夜の夜、色々思い出した

俺が昔、卵焼きは甘い方が好きだといったら
今の今まで甘い卵焼きを作ってくれたこと

足が悪いのに俺を駅まで迎えに来てくれた事

一緒に買い物に行って色々なものを見て周った事

コンビニで新しい商品が入ると皆で回し食いしたこと



晩年、足を悪くし台所に立つ機会が減った祖母ですが
祖母を一番のイメージは台所で料理しているところです。

葬儀から帰ってきても
今では使う人の居ない台所で祖母を捜してしまします


葬儀は祖父の時と同じように進みました。
覚悟はしていたので泣かないようにしました。

火葬場から出てきた祖母を骨を拾っている時に
視界が揺れ
呼吸が苦しくなり
顔が熱くなり

泣きました。

人前で泣いたのは久しぶりでした。



立て続けに親しい人が亡くなり良く死について考えるようになりました。

最近祖父母に会ってないという人は会って置いてください。
忠告と言うよりはお願いです。
本当に当たり前ですが死んでからでは全て遅いんです。
もしもの時に後悔しないように、自分が嫌いにならないように
会って色々な事を話して感謝して自分の気持ちを伝えて置いてください。

後で墓石の前で祈っても手遅れです。




追伸
色々と心配かけましたがもう大丈夫です。
元気です。
色々時を使ってくれてありがとう。


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