2002年05月20日(月)→→→卑屈と傲慢

きょうもバイト遅番で月9も見てません。
バイトについては、本当にただの一時的生活費補填くらいなので何も書いてませんがまったく脳を使わない単なる肉体労働です。
って言ってもいちおう接客なんですけど(笑)。
まあ過去の経験を生かした惰性の仕事です。
とりあえず、私みたいに精神の波の揺れの激しい人間に接客は向いていません。
でもま、需要が多いですからね。手っ取り早いのです。
あと、「お客様に向かって敬語を駆使したりにっこり微笑んだりして応対する店員」を演じている、そういうおもしろさがありますね。
今の敬語と微笑みのタイミングは完璧だった!とか。
まあ仕事をする以上は、どんな仕事であろうとその道のプロフェッショナルを追求する必要があるわけですし。
なんだってRPGみたいなもので、ゲームだと思えばいいのです。って全然プロフェッショナルじゃないですね。

ところできょうは卑屈と傲慢について考えました。
HPで、山田詠美の言葉を紹介しました。
「自分が他人から必要とされていないと思うことは傲慢である」
細かいところは違うかもしれませんが、まあこんなような言葉です。
この言葉を読んだ時、ものすごくびっくりして、ものすごく納得しました。
他人から必要とされていない、と思うことっていうのは一見すると単なる「卑屈」であったり「いじけ」であるような気がします。
けれど、必要とされていない人なんていないわけですし、必要とされていないと言い切ることには傲慢さがあります。
うーん何かものすごく微妙なニュアンスなんですよね。
卑屈と傲慢は一見、相反するように見えながら、実は背中合わせというか紙一重なんだな〜と思いました。
自分は他人から必要とされていない、と思うっていうことは、とっても必要とされたがっているということでもあるわけですし。
とっても必要とされたがっているということは、傲慢要素があるわけですし。
あーあーあーうまく言えない。
自分が卑屈になっているときって、自分のことは他人には所詮わからない、自分の良さは自分にしかわからない、っていう傲慢さもありますよね。
私は私、って思うこと。
それは卑屈から見を守る虚勢であり、ある種傲慢であるという気がするのです。
私は自分が卑屈で、そしてとても傲慢な人間だといつも思います。
たとえるならば中島敦の「山月記」の主人公です。
小さなプライドが、人間を卑屈にしたり傲慢にしたりしているのかもしれません。
プライドと自分(の力)との間で苦しむこと。
それが卑屈や傲慢をうみだすのでしょうか。


     
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