2002年03月28日(木)→→→Parlez-Moi d'Amour

ここ数日の寒さで冷えたらしく、めっきり胃腸の調子が悪くなった。
子供かい!
ここ最近体調管理に四苦八苦。

きょうは、Wさんと桜木町でランチ♪をして、MM21をふらふらして、何の役にも立たないガイドを務め、学校へ。
在校生としては、最後の学校だ。
なんだか感傷的な気持ちになって、出来ることなら世にも悲しい声でパルレモアダムールを歌ってやりたいと思った。
でも歌えないので、代わりにパルレモアダムールを歌っている栞ちゃんと順子さん(江國香織「なつのひかり」)を想像した。

あんなにさっさと卒業したいと思っていたのに、やっぱり愛着ってのは湧くものだ。
高校一年の時、高二でクラス替えがあるから、あまりクラスに愛着を持たないようにしようと思ったことがあった。
中二になる時に中一のクラスメートと離れるのがつらかったから。
私は、環境が変わるのがひどく苦手なのだ。
でもそんなことは決めようと思ってもできることじゃない。
今の研究室は学部の時に比べたら人間関係もわけわかんないし、研究内容もそれほどすごく面白いわけでもないし、みんながみんなちゃんとがんばってるわけでもない。
はじめのころは研究室にいるのが気詰まりで、しょっちゅうふらふら構内散歩をしていた。
でもそのうちちゃんと、研究室は私の“居場所”になっていった。
おしゃべりしたり、教えてもらったり、手伝ったり、一緒にごはん食べに行ったり、そういうことをするのが当たり前になった。

「なつのひかり」で、栞と洋一が、来年の今月今夜は何をしているだろう、と言うシーンがある。
二人とも、来年の今月今夜一緒にいないことを知っている。
そして、それぞれがそれぞれの時間を、まるで元々お互いを知らなかったかのように、お互いのことなどこれっぽっちも思わないで生きているということを知っている。
そして、それを寂しいとか悲しいとは思わない。
ただ、受け入れているだけだ。
“現実というのは、うけいれる他につきあいようがない”

私も、来年の今月今夜、研究室の人たちのことなど何も思わずに生きているのだろうということを知っている。
でも私は感傷的なたちなので、秋元研や小尾研のみんなのことをしょっちゅう思う。
会いたいと思う。
でも、それぞれの生活があることを知っているから、たまにしか会わないことも知っている。
何だかそういうことを悲しいと思ってしまうのは、やはり私が子供だからなのだろうか。

“私を愛していると言って”Parlez-Moi d'Amour.
“愛無き子供のような慕情”?


     
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