白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2003年03月16日(日) 『戦場のピアニスト』

『戦場のピアニスト』を観に行ってきた。

正直なところ、オスギがあれほど絶賛していた理由がイマイチ分からなかった。
良い作品だとは思ったが、フィクションの作品は、捉え方がムツカシイ。
その作品が面白くても、そうでなくても
「本当にあったことなんだよねぇ」というところに行き着いてしまって
作品がど〜とか言うよりも、私の場合は「事実」に振り回されてしまうのだ。

「ピアノ演奏が素晴らしい」とか「ショパンの調べが耳に残って」と聞いていたので
ピアノの演奏を期待していたのだがピアノ的には
『海の上のピアニスト』とか『シャイン』の方が
私の好みだったと言うか、なんと言うか。ちょっとだけ膝カックンであった。
もともとクラッシック好きなので、嫌いではないんだけどなぁ。

それしにても、主人公がナチスの迫害から身を潜めて生きる姿にはグッときた。
人間は……というよりも、生命をもつものというのは
どんな状況におかれても「生きたい」という本能があるんだなぁ……と。
生き続けたいという欲求、生きるために食べたいという欲求
生命を脅かされずに安全に暮らしたいという欲求。
当たり前のことを「さあ、どうだ」とばかりに突きつけられて
正直なところ、ちょっぴり戸惑ってしまった。

「生きたい」というのは本能なんだろうなぁ……

ナチスの将校と、主人公のピアニストが出逢う場面は、想像以上に良かったと思う。
芸術なんて、なくても生きていけるような気がするのだが
でも、やっぱり「なくてはならないもの」なのだと思う。
音楽も、文学も、絵画も……「人はパンのみにて生きるにあらず」ってところだろうか。

肩に目一杯、力を入れて観入ってしまったので、やけに草臥れてしまった。
物語の筋はわかっていたのに、それでも目が離せなかったのだ。
世界情勢が、なにかと物騒でいただけないだけに、余計に色々と考えてしまった。
とりあえず、殺したり、殺されたりってのは嫌である。たぶん、これも人の本能。

明日から、また1週間がはじまることだし、今日は早めに休むかなぁ。
そんなこんなで、今日の日記は、これにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2002年03月16日(土) 「なんか面白いことない?」って聞かれてもなぁ。

白蓮 |MAILHP