白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2002年06月03日(月) 正論が常に正しい訳ではないでしょう。

正論が常に正しいのではない
……なんて事を思わずにはいられない今日この頃だったりする。

景気は回復しつつある…ってな話もポツポツ聞かれるようになったけれど
まだまだ厳しさは相変わらずのようで
私が派遣されている職場でも「リストラ」問題は深刻である。
若手社員の間にも、そろそろ「悪い噂」が横行していたりする。
会社として生き残っていくためにはリストラも仕方のないことかも知れないが
他人事とは言うものの、やはり胸が痛む。

「仕事できない人を置いとくのは無駄だから当たり前のこと」
…というのは正論だろう。反論の余地は、どこにもない。

しかしながら「親がかりで暮らしている独身のお嬢さん」や
「1人暮らしをしているが、いざとなったら駆け込む場所のある娘さん」
……のように「働いて糧を得る」ことの重みを感じていない人達の口から
このテの言葉を聞くと、内心、腹立たしい気分になってしまうのは
私だけのことだろうか?
いっぱしに所帯をしょって立つオヤジが言うのであれば
それもまた「社会の厳しさ」として納得できる部分もあるのだけれど。

「利益を生み出さない」社員は企業にとってお荷物なことこの上ない。
しかし、彼らにだって生活ってものがある。
家のローンだの、子供の教育費だの、老いた親の生活費だの
どうしてもお金がいる世代の人間がリストラされちゃったりしたら……
ちょっとや、そっとの大変さではないと思うのだ。
「仕事やめちゃったら、とりあえず、のんびり休養して……」
なんて暢気な事が言える、そこいらの娘さん達と
所帯持ちのオヤジ達とでは「労働」の重みはまったく違う。
もちろん「娘さん」だって、重みのある「労働」をしている人もいるのだが。

正論が、いつも正しいという訳ではないと思うのだ。

極論だが「いっそのこと自殺しちゃいたい」って言う人がいたとして
「死にたきゃ死ねばいいぢゃん。死ぬのは個人の自由だしさ」
なんてのも正論と言えば正論だが、どこか違うよな気がするのだ。
ましてや「死にたい人がいたら、背中押してやるよ」
なんてことを言うとなると、それは言語道断……だと思う。
人の痛みが分からないのか、もしくは感情が欠落しているのか……
正義感とか、倫理感とか、そ〜ゆ〜問題ではなくて
「それって、どうかしてるんぢゃない?」と思わずにはいられない。

リストラ関連の話題でもって、蔑んだり笑ったりできる人というのは
私の中では「どうかしている人」としか思えないのだ。
そして案外「どうかしている人」の数は多かったりもするし
「どうかしている人」は、ものすごく身近にいたりなんかもする。
私とて、いちいち腹を立てたり、反論したりする訳ではないのだが
「なんだかなぁ」という思いは拭い切れない。

やたらとシビアなことを書いてみたりなんかして
今日の日記は、これにてオシマイ。


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